【九】まぶだち
「おー! ゆきおーっ!!」
青く青く晴れた空が広がる日だった。
その男は、腰まである長い髪を馬の尻尾にして、ばっさばさと揺らせ、両手をぶんぶんと振りながら、結を頭に乗せた雪緒を目掛けて走って来た。
が。
「メ゙――――――――ッ゙!!」
「ひぃんっ!?」
「結様!?」
「星兄様ぁ――――――――っ!!」
咄嗟に雪緒の頭から飛び出した結に体当たりを喰らい、きら~んと云う音が聞こえるのではないかと云うぐらいに、その男は見事に、宙へと空へと高く高く舞ったのだった。
◇
雪緒が口にした一回忌と云う物は、とにかく慌ただしかった。
普段は目にした事がない人達が、入れ替わり立ち替わりにやって来て、結はその度に姿を消して、ちょっと硬い笑顔を浮かべる雪緒を見ていた。
何だか肩が重そうだとか、仏壇の線香の煙が絶える事なく揺らいでいるとか、ぽかぽかで穏やかな棲家なのに、何だか居心地が良くないと、そんな事を思った。
気が付けば、庭にある桜の木は満開になっていて、時折吹く風によって、その花弁を宙へと舞わせていた。
ひらひらとはらはらと。
結は、それらを追い掛けたいのを一生懸命我慢していた。
だって、約束したのだ。
雪緒と一緒に山で桜を見るって。
追い掛けるのは、その時で良い。
だって、そこでなら笑って桜を見られるって、雪緒が言ったから。
桜を追い掛ける結を見て、笑って欲しいから。
だから、結は我慢する。
我慢したら我慢した分、嬉しくなるから。
大福と同じ、特別だから。
そして、慌ただしいのが落ち着いて、満開だった桜の花がスカスカになり始めた頃。
「では、行きましょうか」
と、雪緒が言った。
留守の間の家の様子は、瑞樹と優士が仕事の合間に見に来てくれるらしい。何かあれば連絡すると約束してくれた。
ガタンゴトンと揺れる汽車に、結は初めて乗った。結がうにうに動くよりも、雪緒が歩くよりも、速い。ただ、何故かは知らないけど、眠くないのに眠たくなるのが不思議だ。
個室で誰も来ないからと雪緒に言われた結は、姿を消すのを止めて、窓の脇にあるちっちゃな机に乗って、流れる景色を見ながら瑞樹が持たせてくれた大福を食べた。
けど。
気が付いたら眠っていて、雪緒に『到着しましたよ』と、起こされてしまった。
勿体ない。
帰る時は起きていようと結は思った。
「よっ! 久しぶりだな、雪坊!」
そして、駅と呼ばれる建物から外へ出たら、深い藍色の作務衣を着た四十代ぐらいの大きな男が、片手を上げて白い歯を見せて笑いながら雪緒へと近付いて来るのが見えた。
その瞬間、いや、その少し前から、結は身体がチクチクとするのを感じていた。
(ナ゙ニ゙?)
結は姿を消して、雪緒の頭の上に乗っている。
その雪緒と結を足した身長よりも、その男はデカい。頭一つでは足りないぐらいにデカい。まあ、結を足したとて微々たる物なのだが。
しかし、結が驚いたのは、それではない。
(…コ゚イ゙ヅ、ヘン゙…)
雪緒と同じ人間なのに、その気配があるのに、自分と同じ妖の気配もする。
(…ドジデ?)
「お久しぶりです、天野様。本日は、お出迎えありがとうございます」
しかし、結の動揺に雪緒は気付かない。
「相変わらずだな、雪坊は! さ、乗った乗った! 皆、待ってるぞ!」
雪緒の丁寧な挨拶を軽く流して、天野と呼ばれた男は、右腕を曲げたその親指で背後にある軽トラックを指した。
人間の年齢とか結は知らないし、気にした事もない。
だから、雪緒より年下に見える天野が、その雪緒の事を坊と呼ぶ事も特に気にしなかった。
それよりも。
(イマ゙…オレ…ミ゙ダ…?)
気のせいかも知れない。
けど『相変わらず』だと天野が言いながら、雪緒を見た時にちらりと頭を、そこに居る結を見たような気がした。
(…オレ…キエ゙デル゙…ハズ…)
ブロロンブロロンと走る軽トラックの中で、結は考える。
人間は、姿を消した結を見る事が出来ない。
百貨店に行く時だって、百貨店の中でも、その帰りだって、雪緒が結を連れているだなんて、誰も気付かなかった。たくさんの人と擦れ違った。でも、誰も雪緒を、結を、咎めたりしなかった。
(ヴン゙、キノ゙セイ゙)
と、結が納得しかけた時。
「じゃ、人目も無くなった事だし、結坊を紹介してくれ。そこに居るんだろ?」
駅から離れ、すれ違う車や(まあ、車は滅多に通らないが)、歩く人々の姿が見えなくなった頃、天野が雪緒の頭上に目をやって笑った。
「ドジデ!?」
思わず結は声をあげ、ついでにぼふんっと身体中の毛を爆発させて姿を現した。
「おー、ぼっふぼふで、怒った猫みたいだな」
「天野様、人が悪いですよ。結様でなくても驚いてしまいます」
そんな結の姿に肩を揺らせて笑う天野を、雪緒は軽く窘めるが。
「雪坊が言うかあ? 俺の事も、皆の事も話していないんだろう?」
返り討ちに遭ってしまう。
「ええ…まあ…。…お話しするのは、実際にお会いしてからの方が良いと思いまして…。その…驚かせてみたかったのです…」
軽く肩を竦めてから、雪緒はばつが悪そうに笑った。
話すだけでは信じられないだろうと思い、実際に皆に会わせた上で『こう云う事なのですよ』と言いたかったのだ。そして、驚く結を見たかったのだ。
「だろ? ま、お相子って事で」
しかし、その肝心の結は頭の上で、天野が語った"怒った猫みたい"なその姿を見る事が出来なくて、雪緒は少し残念だと思ったが、これは悪戯を仕掛けようとした自分が悪いのだと反省した。髪の毛越しではあるが、びっくんと固まる結の事は感じる事が出来たしと、自分を納得させる。
「結坊、俺は天野猛。ゆかりん…あぁ〜と…」
慣れない事はする物ではないと、肩を落とした様子の雪緒に、天野は眉を下げて軽く口角を上げてから、未だに毛を爆発させてる結へと声を掛けたが、はたりと口籠ってしまう。
「大丈夫ですよ、天野様。結様、天野様は、僕の旦那様の幼馴染み…古くからのお友達なのです」
そんな天野に雪緒は静かに微笑みを向けてから、頭上に居る結へと語った。
「ダナ゙…」
旦那と聞いた結は、ぴくりと細い目を動かした。
「ア゙マ゙ノ゙、ユキオ、オイ゙デガナ゙イ゙?」
「はあっ!?」
結に睨まれた天野は素っ頓狂な声を上げた。
置いて行くとはどう云う事だ? 何処かで雪緒を降ろし、そのまま去ると云う事か? 自分は、そんな人非人に見えているのか? と、頭を悩ます天野の耳に、くすりとした雪緒の笑い声が届く。
「…旦那様の事をお話しした時に、置いて行かれましたと、お伝えしましたので…」
「あ、ああ…そうか…」
笑顔ではあるが何処か寂しさを滲ませる雪緒の様子に、天野は右手はハンドルを握ったまま、左手で軽く首裏を押さえ、結へと視線を向けた。
「…そうだな…。結坊、安心していい。俺は…これから会う皆も、誰も雪坊を置いて行かない。絶対だ」
「…ナ゙ラ゙、イ゙イ゙」
絶対なんてどうして言い切れるのだろうと思ったが、天野の言葉は力強く、また迷いが無かったので、渋々ではあるが結は少しだけ睨む強さを弱めて頷いた。
それから雪緒と天野は、和やかな会話をしていたのだが。
(ピリ゙ピリ゙、スル゙…)
軽トラックが進み、周りにある民家等が少なくなるにつれ、汽車から下り、駅を出てから遠くに見えていた山が近付くにつれ、結は身体中がピリピリとするのを感じていた。
天野の時とは違う。
(…ナ゙ガマ゙…チガヴ…ケ゚ド、イ゙ル゙、ダグザン゙…)
これは、混じりっけの無い妖の気配だ。
(デモ゙…ナ゙ン゙ガ…チガヴ? デモ゙…)
雪緒と天野に話すべきか結は迷う。
天野はここに住んでいるみたいだし、雪緒も来るのは初めてではないし、話しても良いのだろうか? と。
たくさんの妖の気配がする。
けど、何か違うのだ。
結が棲んでいた山に居た、妖達の気配はとにかく凶悪だった。
それなのに、今、感じている妖の気配は違うのだ。凶悪さを感じない。けれど、これは、間違いなく妖の気配だ。
話すべきなのか、知らないのか、それとも知っているのか。
知っているのなら、良い。けど、知らなくて話した事で気分を害してしまったら? いや、知っているとしても、話した事によって、やっぱり気分を害するかも知れない?
(ドジヨ゙…)
「よっし、到着だ」
どうするのが良いのだろうかと、うーん、うーんと悩んでいる内に目的地へと到着してしまった。
とても広い棲家だと、結は思った。
竹で組まれた塀が茅葺き屋根の古民家をぐるりと囲い、その裏にはずっと見えていた山が広がっている。
(ユキオ、ビャ゙ク゚、モ゙ッ゙ドイ゙ル゙…?)
「あ、結坊、そのままで良いぞ。ここの奴らも、雪坊や橘達と同じで妖には慣れているからな」
雪緒換算で屋敷の大きさを測る結に、天野が声を掛けながら軽トラックのドアを開けて降りる。
その言葉に、結は目を瞬かせた。
(…ナ゙レ゙デル゙?)
それならば、この棲家の裏に広がる山に居る妖の事も知っている? 自分の心配は杞憂だった? と、結は良かったと安心した。
「結様、降りますよ」
「ヴン゙…」
声を掛けられた結は、落ちないようにと雪緒の頭にがっしりとしがみつく。
落ちた事はないけれど、落ちたらきっと雪緒が悲しむから。だから、絶対に落ちないぞと云う気概を籠めてべったりと張り付く。
そんな結の姿に、先に降りて助手席側に回っていた天野が白い歯を見せて笑う。
「緊張してるのか? 怖がらなくて良いぞ。みくちゃんが、張り切って伊達巻き焼いているからな!」
「…ダデマ゙…?」
「ああ、僕が初めて結様に…」
伊達巻きに、みくちゃん。
何だか、何時だったか聞いた気がすると、結が身体を傾け、雪緒が説明をしようとした、その時だった。
「おー! ゆきおー!!」
と、賑やかな声が聞こえて来たのは。
(ミ゙ッ゙!?)
その声の大きさもさる事ながら、急速に近付いて来る気配に、結はぼふっと身体中の毛を逆立てた。
(ナ゙ン゙ダ、ア゙レ゙ッ゙!?)
両手を振って走って来るのは、人間の男だ。
(デモ゙ッ゙!!)
その男が放つ気配は、妖の物だ。天野とは違い、混じりっけの無い、純粋な妖だけの物。
(ジラ゙ナ゙イ゙! オ゙レ゙、ゴナ゙ノ゙、ジラ゙ナ゙イ゙ィ゙ッ゙!!)
人間の姿をしているのに、人間の気配がしない。
こんなのは知らないと、未知の存在に結は怯えた。
「星兄様、待って下さい〜っ!!」
と、そのセイと呼ばれた男の後ろから駆けて来る男の姿を見て、結は更に毛を逆立て混乱する。
(ア゙レ゙モ゙!? ナ゙ニ゙? ナ゙ニ゙? ナ゙ン゙デナ゙ン゙デ? ジラ゙ナ゙イ゙! ゴヷイ゙ッ゙!!)
頭の上でぶるぶると震える結に、雪緒が苦笑する。
(少々、驚かせ過ぎてしまいましたか…)
少々どころでは、ない。
ないのだが、今、目の前に迫っている男は、雪緒の親友なのだ。二十代後半にしか見えないが、間違いなく、少年の頃からの親友なのだ。
だから、雪緒は無防備にその男へと一歩足を出し、右手を軽く上げて挨拶をする。
「星様、お久しぶ…」
いや、しようとした。
その男が、雪緒に今にも抱き着こうとした瞬間。
「メ゙――――――――ッ゙!!」
その事を知らず、怯え混乱しまくった結は、雪緒の頭から勢い良く飛び出し、その男の顎に体当たりを喰らわした。
「ひぃんっ!?」
舌を噛む事が無かったのか、雪緒の親友である男、杜川星は情けない声を上げて空高く宙へ宙へと舞い、その勢いのまま屋敷の裏に広がる山の中へと飛んで行ってしまった。




