表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
飛魚幟を呑む燈陰町-廃塩田に灯る血灯りと歯車心臓が導く、亡娘再生の潮狐火神話-  作者: NOVENG MUSiQ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/3

中編 藍礁の章

 潮柱(ちょうちゅう)を裂いた緋閃(ひせん)が闇に()(あと)を残した夜明け前。(はい)塩田(えんでん)は既に工場でも坑道でもなく、海鳴(うみな)りと歯車が混線(こんせん)する仮初(かりそ)めの夜殿(やてん)へ姿を変じてゐた。天井の索道(さくどう)(さび)みを吐き、吊鎖(つりくさり)がじりと震えるたび、白狐(びゃっこ)の尾が無数に(ひらめ)き、霧中に散った潮狐火(しおきつねび)水飛沫(みずしぶき)のやうに弾けた。潮気(しおけ)に濡れた空気は鉄の味と海藻(かいそう)腐香(ふこう)(はら)み、喉奥(のどう)()がす。


 母は()亡骸(なきがら)を胸に抱きしめたまま、ゆらぐ歯車を踏み潮柱の根へ後ずさる。篝火(かがりび)灯芯(とうしん)血油(ちあぶら)の尽きかけた(ほたる)のごとく弱く、安堵(あんど)よりも焦燥(しょうそう)のほうが濃い。ここまで灯を(つな)いだ。それでも(なお)、娘は息を返さない。潮繭(しおまゆ)が現れぬのは、祈りが足りないのか、それとも母という器が欠けてゐるのか――。


 そのとき、(めん)(いただ)童女(どうじょ)(ささら)を掲げ、高みから(かん)と一打。霧が裂け、潮狐火が床を(はし)り、母の影を壁に焼きつける。影は(すす)絵のやうに揺らぎ、やがて二重三重に縫い分けられ、寸分(たが)わぬ「もうひとりの母」が輪郭を帯びて立ち上がった。


 ――われこそ真実、そなたは影。


 (ふた)つの母は喪衣(もい)血染(ちぞめ)灯芯(とうしん)も等しく写し取ってゐる。だが相手の(ひとみ)だけが深藍(しんらん)(よど)み、冷い底光(そこびかり)を宿す。鏡像(きょうぞう)めいて合わさった呼吸が、反吐(へど)のやうな海蝕(かいしょく)の匂ひを生む。


 (おきな)(おうな)――錆鍵(さびかぎ)を杖にした老狐面(ろうこめん)の二人――が潮柱根(ちょうちゅうこん)に現れ、()れた声で告げる。

 「七刻(しちとき)(ちぎ)り、此処(ここ)()ちたり」


 宣言と同時、塩壁(えんへき)(あわ)影絵(かげえ)となり、()わりに藍礁(あいしょう)潮水田ちょうすいでんが辺り一面へ(あふ)れた。磯影(いそかげ)だけの漁夫(りょうふ)飛魚幟(とびうおのぼり)の骨を担ぎ、無声の葬列(そうれつ)を成して(あぜ)を進む。潮狐火が彼らの(あし)を照らし、水面(みなも)星図(せいず)のやうにきらめいた。


 第一(だいいち)の母――すなはち「影」とされた本来の母――は娘を抱き潮柱の影へ身を寄せる。第二(だいに)の母は潮狐火の(うず)へ進み、簓を掲げる童女と視線を(から)めた。

 潮柱(ちょうちゅう)の空洞が深い(かね)の音を放ち、(おとと)の影が木肌に浮かぶ。口を閉ざしたままの面差(おもざ)しが、第二の母を手招(てまね)く。

 第二の母が恍惚(こうこつ)(めん)を崩し、娘を差し出そうと腕を伸ばした――その瞬間、母の喉から裂帛(れっぱく)の叫びが(ほとばし)る。


 「いけない……わたしの子を渡さない!」


 潮狐火の軌跡(きせき)が一瞬(こほ)りつき、洞奥の巨大塩熔釜(えんようふ)(うめ)いた。蓋の(すき)から青黒い蒸気(じょうき)が漏れ、熱と氷を混ぜた腐香(ふこう)が押し寄せる。簓を打つ乾音(かんおん)が二度、三度。藍礁(らんしょう)幻景(げんけい)(にじ)み、潮面ちょうめんが天井へ反転(はんてん)し、足元が崩れた。


 落下――時間も深さも失せ、母は娘を抱いたまま塩熔釜の(ふち)(たた)きつけられる。

 ()けたはずの塩は不気味な鏡膜(きょうまく)を張り、そこへ映る母と娘の像が揺らめく。奥底(おくそこ)からもう一対の母娘が手を伸ばす……それは、弟の(うた)に記された潮繭(しおまゆ)(きざ)し。灯を繋ぎ七刻満たせば、生と死の狭間(はざま)にこの繭が現れ、魂を(はら)むのだと。


 けれど鏡の娘は(くちばし)のやうに(くち)を裂き、声なき(なげ)きの形を刻む。絶望が胸を穿(うが)ち、無我(むが)のまま釜へ飛び込む。

 熱も冷えも感じぬ。耳に残るのは(おの)れの心拍、そして潮狐火が閉じる音。(くさり)が縁を締め、面の童女が最後の簓を振り下ろす。


 蒼白(そうはく)(うつ)ろを漂う母の腕で、娘の肢体(したい)麻布(まふ)を脱ぎ捨て、からりと乾いた音を立て崩れた。藍砂(らんさ)木屑(きくず)、そして翡翠(ひすい)の歯車ひとつ。

 喉が裂ける。涙か血か判らぬものが(ほお)を伝い、塩繭(しおまゆ)の空気が真紅(しんく)に滲む。鏡膜を破り現れた第二の母が、娘木偶(むすめでく)の胸から歯車心臓(はぐるましんぞう)を引き抜き、恍惚(こうこつ)の笑みを浮かべる。


 「(かげ)よ、()け。われこそ真実(しんじつ)


 歯車が不吉(ふきつ)駆動(くどう)音を刻み、塩熔釜は赤白(せきはく)(みゃく)を走らせる。母の叫びを吸い取りながら(たい)のやうに膨らみ――やがて(しぼ)み、深い静寂(しじま)を残した。


 響くのは、娘木偶から抜かれた翡翠歯車(ひすいはぐるま)釜底(ふそこ)を打つ(かた)い音のみ。母は震える手でそれを拾い、血と涙で曇る金属を胸に押し当てる。


 潮狐火は天井近くで(うず)を巻き、翁媼(おうおう)の狐面老人が(おきて)を告げる。

 「七刻を越えた願ひは光でなく影を孕む。母よ哭き尽くせ。魂を歯車へ()よ」


 狭間(はざま)の響きが霧を震わせ、足元に(から)む影が母を釜の外へ引き戻す。気づけば廃塩田の床。娘の(むくろ)は消え、(てのひら)には冷たい歯車。潮柱の空洞は鎮魂歌(ちんこんか)のやうに静まり、弟の影が背を向け闇へ溶けた。


 ――まだ()わらぬ。歯車が鳴る限り、母は灯を求める。


 薄紅(うすべに)微光(びこう)が屋根の(ひび)から差し込み、潮柱の幹に一瞬娘影(こかげ)を落とす。母はそれへ手を伸ばし、(むな)しい(てのひら)で闇を(つか)んだ。耳の奥で歯車が(かす)かに()き、夜宴(やえん)(いびつ)な夜明けへ向けて、なお胎動(たいどう)を続けてゐた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ