新曲の正体
「KIRIE先生から飲みに誘われるなんて珍しい。
どうしましたかね?」
普段からストイックな振付師のKIRIEが、スケル女総合プロデューサー戸方風雅と一緒に飲みたいと伝えていた。
お互いもう中年半ば以降で、色っぽい話ではない。
酒の力を借りて、腹を割って話したい事があるようだ。
「戸方さんが天出優子を目に掛けている理由、分かったような気がします。
今までも、歌が凄い上手いし、ダンスのリズム感が抜群だと、逸材だとは思っていました。
ですが、今回の新曲への取り組みを見ていたら、それすら過小評価だったようです。
天才……という言葉で片付けてしまって良いのか……。
ですが、他に言葉が見当たらなくて……」
KIRIEが酒を煽る。
いまだ14歳の少女・天出優子。
彼女は高難易度の曲を、完全に攻略していた。
メンバー全員の歌い出しや、振り付けを覚えている。
そして的確に指揮をしつつ、自分なりのアレンジもし始めていた。
元々指揮者というポジションは無く、その振り付けはKIRIEも考えていなかった。
だからト書きで「天出自由」と、指揮者としての動作に制限は設けていない。
余りに悪目立ちをするようなら注意しようと思っていたが、それも杞憂に終わる。
存在感を出しつつも、舞台と調和し、一体化した動きをしていた。
それでいて、踵を鳴らすタップパートで、普通のリズムのもの、足音が近づいて来るような強弱をつけたもの、意表を突いたタップダンス風のものと、様々に試している。
合唱パートでの集団からの離脱や合流でも、ただ歩くのではなく、工夫をしていた。
彼女には全体が見え、客がどういう雰囲気になっているかが分かっているようだ。
「まあ、理解してくれて良かったです。
だったら、君が更にアレンジを加えても、天出さんは受け入れるし、メンバーも応えられるでしょう。
動き出しという気を使う部分を天出さんが引き受けてくれるなら、ダンスのアレンジは彼女たちも得意ですからね」
「あ、私の意図が分かってたんですか?」
「元々貴女の振り付けは画一的ではなく、それぞれが動きながら、全体としてまとまったパフォーマンスとして成立させるものでしたからね。
本来、ダンサーを使った大掛かりな演技を、技術も時間も足りないアイドルたちにさせようとした。
簡単になるよう、随分と削ぎ落としましたね。
心配が一つ解消した以上、削ぎ落とした部分で、戻せるものを戻しても問題無いでしょう。
あと、一人が突出するのは良くない。
その一人の足を引っ張るのではなく、対等の強者を複数作って、強い個の集合にしたいのが貴女の考え方。
だから、好きなようにやって下さい」
それを聞いたKIRIEは、酒を飲み干すと
「そこまで理解していただけたのなら、私も遠慮なくやれそうです。
アイドル相手の振り付け仕事、今までは淡々とこなして来ましたが、今回はかなり楽しくなって来ました」
と笑った。
戸方PとKIRIE先生が意見を交わしたように、メンバー間でも情報共有がされていた。
天出優子に対し、指揮者候補でもある辺出ルナ、馬場陽羽、品地レオナが教えを乞う。
彼女たちも、優子がこの難曲を吸収し、理解し終え、自分なりにアレンジ出来る段階まで進んでいる事を直感していた。
上から見た移動図を作ったりして、全体の動きはどうにか把握出来る。
しかし、曲の意図というか、歌の世界を理解しないと、それに沿ったアレンジが出来ない。
アレンジは、しようとしてするものだけでなく、突発的なアクシデントに対応して行うアドリブも含まれる。
パフォーマンスする人数が変わる場合、全く同じ曲にはならない。
曲を短くしたメドレー形式では、やれる事も限られる。
スタッフの指示にただ従えば楽だが、それでは指揮者という役割の、ただのお手振りパフォーマーにしかならない。
そこの所を解決する為にも、優子の意見も聞き、ヒントを得た上で自分の答えも出したい。
彼女たちの意識の高い質問に、天出優子も嬉しくなっている。
どんなジャンルの音楽でも、真面目に取り組む後輩を見るのは嬉しい事だ。
優子は質問に対し
「今回の曲、多分深い意味はないと思います」
と彼女以外からは疑問に感じる答えを出した。
「多分、プロデューサーや振付師のチャレンジ精神が形になったもので、そこに意味を込めるまでは出来なかったと思うんですよ。
だって、最初は完成するかどうかも不安だったじゃないですか。
今の新曲は、余計なものを削ぎ落とした結果ですよ」
「あの難しさで?」
「いや、確かに難しいんですが、今回の曲はこれからの曲の試金石だと思いますね。
今回かなり厄介でしたが、指揮者が居ればどうにかなりました。
ただ、難しかったのは動き出すタイミングであり、動作自体は基本の組み合わせでしかない。
それで、この難しかったのをクリアして、次のステップに進めるって事ですかね」
「次のステップとは?」
「アイドルのダンスって、皆が揃っているのが基本ですよね?
ちょっとした違いがあっても、大体同じように揃う。
それが、スケル女はここ数曲、異なるダンスを組み合わせて、それで1つの曲にしている。
戸方さんも、色々試行錯誤を繰り返し、その上で今回のを一旦の集大成とし、その水準まで上がったメンバーに今度は意味を持った、メッセージ性の強い歌を歌い踊ってもらう。
これはこの前、戸方さんから直接聞いた事です」
「じゃあ、今回の曲は踏み台程度のものって事?」
「踏み台……練習曲なのかもしれませんね。
ただ、練習曲と言っても、ショパンの練習曲並に高度なものですけど」
「あ……」
練習曲といっても、天出優子が名を出したショパンのだけが難しいのではない。
リストには「超絶技巧練習曲」なるものもある。
カイホスルー・シャプルジ・ソラブジにも「超絶技巧百番練習曲」なる曲集がある。
他にも高い技法を要求する練習曲を書いた作曲家は多い。
練習曲といっても侮れない。
その練習曲は、演奏会に出しても十分通用する。
誰かに捧げた曲でもなければ、自身の感情を乗せたものでもない、技術を見せる曲であっても、それはそれで表現しなければならない。
今回の新曲はそういう風に見せるのが良いと、前世では「練習曲」と銘打った曲は作った事が無いながらも、そう考えていた。
「じゃあ、表現はどうしたら良いんだろう?
天出はどう考えているの?」
この問いに、優子は微笑んで回答する。
「楽しく見せる。
こんな難しいのを、サラッとやってのけてみる」
その回答に、いまだ納得していない先輩たちに、優子は戸方Pの心情を代弁した。
「超絶技巧練習曲みたいなものだけど、これはこれで、プロデューサーは楽しんで作ったよ。
だから、難しさの裏にある遊びというか、楽しみを読み取った。
ならば、楽しんで歌い踊るのが正解じゃないかな、と私は思ったんです」
「それは天出が、『音楽は楽しむもの』って信条だから、そう思ったんじゃないの?」
「そうだと思います。
私の考えを聞かれたので、私は私の信条に沿って答えました。
何も思いが籠っていないので、受け取る人によって表現は自由なんじゃないですか?
だから、私は私の考えで表現したいと思います」
「よし!」
馬場が手を打った。
「それが正解だね。
受け取る人に任せる曲。
戸方先生の思惑を考えるよりも、私たちがどう表現するかを考えれば良い」
「なるほどね。
私が指揮する時と、陽羽が指揮する時、天出が指揮する時で違った表情でも良い」
「まあ、それって難しいとは思うけどね」
「違いない」
先輩たちは笑った。
曲に込められた想いは無い、だからこそ自分たちの自由に表現する。
指揮する者が皆、天出優子の真似をする必要はない。
オリジナルを出せるのなら、出して良いのだ。
難しいけど、やりがいのある仕事だろう。
こうしてこの曲は「天出優子ありきの曲」ではなく、メンバーのスキルを高めて、それを表現する「皆の超絶技巧練習曲」という位置づけになったのであった。
おまけ:
調べましたが、モーツァルトの場合「ピアノソナタ第11番イ長調」 K.331の第1楽章が練習曲として使われる事が多いようですね。
トルコ行進曲付きってやつ。
段階的に難しくなっていくのが、練習曲として向いているとか。
(超絶技巧が無いにしても、練習曲として作った曲が無いのはちょっと意外でした)




