新しく学んだ事を
天出優子は指揮者について勉強を始めた。
普通の指揮なら出来る。
しかし、戸方プロデューサーが言うには、指揮者のパフォーマンスがその曲の演出の一部になる事があるそうだ。
これは前世、18世紀には無かったやり方だ。
新しい音楽、ならば勉強するまでだ。
「なんか、随分腰をクネクネしてるなぁ」
「なんか走って来て、指揮台に飛び乗ったぞ」
「奏者に近寄り過ぎてるなあ、わざとだけど」
「これ、奏者が指揮者無視してる!
それで怒ってる。
まあ、これが演出なんだけど」
動画を漁りまくって、変わった動作、派手な演出の指揮者について調べる。
指揮者という音楽家が独立して百年程は、以前の作曲家が指揮者を勤めていた時代と、大きくは変わっていない。
同じ曲でも指揮者は、リズムや抑揚を自分のものに変え、その人の表現に変える。
これにより、同じ交響曲でも違った表現となって、音楽の幅が広がった。
また表現の違いにより、誰それの指揮で聞きたい、誰それのは上手い、いや下手だ、と指揮者そのものへの注目も増した。
だが、それでも長い間指揮者は奏者を束ねる者であり、自らが奏者同様のパフォーマーになる事はなかった。
それが最近……まあ歴史上での話だが、一部変わった表現をするようになって来ている。
ごく一部で、この路線がこの先流行するかは分からないし、奇抜な表現を求めたものだから、王道に行くどころか、この先もほとんど現れないかもしれない。
だが、楽しみたい音楽の中なら、面白い表現ではある。
そう咀嚼した天出優子だが、やはり音楽家ゆえのジレンマを抱えた。
確かに指揮者を任され、かつクラシックの指揮者ではないのだから、ある程度目立つのは良い。
自分は前世も今も、目立つのは大好きだ。
しかし、曲は指揮者が目立つ背景装置ではない。
あくまでも曲の一部となり、曲より目立って曲の印象を消してはならない。
考えどころである。
だが、すぐにこれは答えにたどり着いた。
さて、この四次元的パフォーマンス曲の総責任者たる戸方Pも、指揮者パフォーマンスを優子に投げっぱなしにしたわけではなかった。
彼も彼なりに演出を考える。
作曲家としては、やたら仕事が速いだけの凡人の彼は、曲を活かした指揮者パフォーマンスを思いつかなかった。
指揮者が倒れ、別の者が指揮を引き継ぐというのは、それを意図した曲だからである。
指揮者無視の演奏に、指揮者ブチ切れというのも、意図があっての演出だ。
そういうのを考えずに、ただ真似ても意味がない。
そこで彼は、曲外で目立たせようと考える。
曲が始まる前に、メンバーを横一列に並べ、一歩前に指揮者担当の子が歩み出て、それっぽく一礼。
そこから歌唱隊形に速やかに移動する。
また、戸方楽曲では少ないが、フロイライン!や自由音楽同盟の曲には、台詞パートが含まれている。
またフロイライン!ではソロからトリオ程度の単独ダンスパートも組み込まれたりする。
艦隊陣形ダンスは、ダンスが得意なメンバーが目立たない短所がある。
ゆえに、ダンスが得意、それをフィーチャーしたいメンバーを最前に移動させ、間奏部中に派手なダンスをして目立たせる。
戸方はあくまでも大衆音楽のプロデューサーで音楽大学等で、古典音楽を系統的に勉強した事はない。
参考としてクラシックを観ても、それだけでクラシックの音楽家にはなれない。
だから、取り入れるなら得意分野からにしよう。
……この点、前世で後にクラシックと言われる音楽の頂点に立ちながら、転生後はガラッと変わってアイドル音楽に切り替えている天出優子が柔軟なのだ。
クラシックも自分の死後に生まれた表現や技法を取り入れ、アップデートを続けているから、新しい交響曲を書けと言われたら、1ヶ月程度で作るだろう。
転生して、スマホ、タブレットくらいは使わせて貰える程度に裕福で理解ある家庭で育ち、望めばどこかの音楽教室でも学ばせて貰えたから、「DTMも使える古典音楽家」に進化している。
本人に、もうクラシック音楽に関わる気がない、新しい交響曲とかを作る意思が無いから、天国に居るケッヘルさんも一安心やら、残念やらだろう。
……オペラは書く気あるから、油断は禁物だ。
一週間程し、新曲レッスン後に二人は意見を交換する。
優子の指揮者としての能力は、この一週間で更に上がっていた。
腕の伸ばし方で奥行きを示し、その位置のメンバーに指サインでスタートのタイミングを知らせる。
両手全体を使って、隊形を示す。
身体の浮き沈みを使い、音量をコントロールする。
(天出優子のパフォーマンスが目立たない、っていうのは杞憂だったかな?)
と、見学していた戸方Pが考える程に、指揮者として存在感があった。
派手な動きの指揮あるが、それは必要な事。
座ったまま基本動かないオーケストラと違い、三次元で動き回るものを指揮する場合、口で命令を出せないなら、身振り手振りで示してやるしかない。
どこぞの沈黙提督のように、指クイッのハンドサインだけで意図を理解し、全軍が正しく機動出来る命令に置き換える副官なんて、まず滅多に存在しないのだ。
メンバーたちのダンスも上達していた。
振り付けで、ダンスを間違う事は滅多にない。
一旦動きに乗れば、考えずとも体が勝手に動く程度に、体に覚えさせて来るからだ。
彼女たちがよく間違うのは、踊り出し、歌い出しである。
同じフレーズを繰り返す間奏パートからの入り等、熟練のアイドルだって間違ってしまう。
それを気にせず、指揮者のサインで動き出せば良いとなれば、不安も消えて覚えも良くなるというものだ。
一週間前とは見違える程の仕上がり。
スタッフたちから、新曲は完成しないかもしれないという不安は消えたようだ。
このままでも、世間に発表出来るようになる。
だが、優子と戸方Pだけが、
(まだだ。
まだ付け足せるものがある。
それでやっと完成する)
という意識を共有していた。
「何か思いついた事がある表情だね。
でも先に、僕の意見を聞いてくれる?」
先に戸方Pが話し始めた。
歌前の整列と指揮者礼、間奏部には指揮者ではなくダンサーか朗読者になる方法。
(それもアリだな)
優子は黙って頷く。
一通り戸方の意見を言い終えると
「じゃあ、次は君の考えを聞かせてよ。
なんか、僕とはまるで違う考えっぽいよね」
戸方は興味津々である。
優子は二つ意見を出した。
一つは休符部分を少し長くして、休符終わり前に自分の足音を出させて欲しいという事。
もう一つは、ラストの合唱パート時に、メンバーに合流する、それもゆっくり歩きながらにさせて欲しいという事。
そして実演してみせた。
自分のタブレットから、少し休符を伸ばしたものを聞かせる。
賑やかだった休符直前から一転、静まる。
戸方はその間を短くしたいと考え、一小節に留めた。
優子はそれを長くし、音が止まって観客が不安を感じる刹那、足をカツ、カツ、カツと音が鳴る。
そのタップ音が大きくなり、緊張が解けたように音楽が再び鳴り響く。
曲ラストの合唱パート、逆回転の「Re:BIRTH」では歌い始めになるが、そこの指揮台相当場所との移動も、妙に存在感があるものだった。
歩き方はゆったりしているが、所々で瞬間的に立ち止まり、客席に見得を切る。
「歌舞伎の技法?」
秀才型の戸方は、理解が早かった。
思いつきはしなかったが、見れば分かるくらいに聡い。
これは舞台出演で、主役の前では平凡になる自分の演技に手を加えるべく、クラスの伝統芸能ドラ息子に頭を下げて学ばせて貰った技術だ。
一言も発しない、更に客席に背を向けてさえいる。
なのに、存在感を出す、言い換えると注意を引く。
間と、緊張とそれを解く儀式。
歩く際も、一直線に向かわずに、弧を描きながら向かい、要所要所で背を向けていた観客に対し、顔を披露する。
歌舞伎なり能楽なりの技法。
演劇について、伝統芸能にヒントがあるかもしれないと言った中には、他ならぬ戸方も入っていた。
「君は凄いね。
学んだ事がすぐに血肉となり、それを表現出来る。
若いって良いね」
驚嘆した戸方だったが、彼も中々の男だ。
(これなら台詞回しも、棒読みとかにはならず、舞台やミュージカルで学んだ事を活かし、きっと存在感を出す雄弁さを見せてくれるだろう)
彼は自分の演出に、新しい(いや、古典的か)技を身につけた優子を組み込める事を、内心喜んでいた。
おまけ:
あの世にて
近松門左衛門「どや?
間を使った緊張とか、異人さんには無いんとちゃいますか?」
鶴屋南北「奇抜な演出は、おいらたちが考えたんでぃ。
大衆演劇じゃ、あんたら紅毛人にゃ負けねえよ」
神の使い「日本人!
そうやって煽るな!
あとシェイクスピア先生、その技法いただき!と目を輝かせて、新作書こうとしないで下さい!
発表する事無いんですから!」




