Durchbruch(ブレークスルー)
新曲のレッスンは難航していた。
誰もが基本ダンスは覚えて来ている。
しかし、転調や逆回転になると間違い続ける。
歌詞が同じ事もあり、同じタイミングでの踊り出しや、リバースではなくノーマルと同じダンスをしてしまったりする。
メイン担当はまだ良い。
メインから僅かに遅れて残像を担当する場合が間違いやすい。
先日見本のダンスをした時は3人だったが、実際は6人一組である。
立ち位置の指定もより細かくなる。
(この曲は、アイドルには無理なのではないか?
CGでないと実現出来ないように思える。
やりたい事は分かるが、理屈倒れで現実的ではないかもしれない)
振り付けを担当したKIRIEですらそう考える。
プロのダンサーを使えば出来るだろうが、それでも練習に費やされる時間は大変なものだろう。
一ヶ月程度で身につけるのは至難の業だ。
そうやって練習の末、ダンスパフォーマンス集団の目玉となるものだ。
それをダンスのスキルでは劣るアイドルたちにやらせる。
その上、彼女たちは歌も歌わねばならない。
コンサート時は口パクでダンスに専念するが、音源の為のレコーディング時間は必要だ。
今回の曲に関しては、歌割りが決まってからダンスの場位置を決められない。
ダンスの場位置が決まってから歌割りが決まる。
時間制限がある中、誰をどこに配置するかが決められず、故に本番用レコーディングにも進めない。
KIRIE、歌唱指導の晴山メイサともに、現状煮詰まっていると感じて、総合プロデューサー戸方風雅を交えたミーティングを求めた。
スタッフたちが抱える不安感は、メンバーにも伝わる。
上手く出来ない事への苛立ちは空気で感じるが、スタッフも難しい事は承知していて、感情的にはならず、自分の指導で改めるべき事はないか模索しているような感じだ。
メンバーも、リーダー辺出ルナ、前リーダー馬場陽羽を中心に話し合いを持つ。
そしてスタッフ、メンバーとも議論の後、同じ結論を出した。
指揮者が必要なのではないか、と。
楽器を使った演奏会を考えてみよう。
ソロの演奏に指揮者は必要ない。
しかしオーケストラともなれば、必ず指揮者が存在する。
その境界は?
具体的に決まっていないが、10人前後といったところだろう。
J.S.バッハの「ブランデンブルク協奏曲」はバイオリンとヴィオラが複数人、コントラバスとチェンバロが1人ずつ、チェロは楽団次第といった編成で演奏されるが、指揮者はいる場合といない場合がある。
この辺りが、奏者の阿吽の呼吸で成り立つか、指揮者に委ねるかの境い目かもしれない。
指揮者はただ漠然と指揮棒を振れば良いものではない。
大人数の奏者に対し、音の「入り」や「切り」、テンポ、強弱などを指示するという役割がある。
これを成す為には、その曲に対して深い理解と、自分なりの解釈をしている必要がある。
スケル女の場合、戸方Pの意図を完全に理解し、メンバー全員の立ち位置や動き出しのタイミングが頭に入っていた上で、ステージの大きさや、フルか「1番と半分」かメドレーかでしっかりと切り替えられる人間となろう。
「戸方さんが自ら指揮棒を振る?」
「いやいや、僕じゃダメだよ。
打ち込みとかは出来ても、生きた人間相手に臨機応変な指揮とか出来ない。
僕は元々、生演奏とかはして来なかった人間だから。
それに、ファンは僕の顔をコンサートで見たいなんて思わないだろ?」
「だとすれば……」
「あの子ですか?」
その時スタッフの脳裏には、天出優子の顔と名前が思い浮かんでいた。
「あの子に出来ますかね?」
「あの子で無理なら、この曲は形態を変えて対応するしかないでしょう」
「まあ、天出さんなら出来ると思うよ。
ただそれだと残念な事がある」
「それは?」
「彼女の歌やダンスを見られなくなる事さ。
まあ、この曲がお蔵入りするよりはマシだと思うけどね。
それだと、天出さんだけでなく、全員のパフォーマンスが見られなくなる」
そこにマネージャーが
「すみません。
辺出からメールが入っていまして……」
と口を挟んだ。
「なんか、メンバー皆で話し合った結果、指揮者を独立で置けないか? って言ってます。
彼女たちで試したところ、天出が指揮者なら失敗が少なくなったって」
「ううん……」
「やっぱりそうか」
「あいつなら出来るのか……」
大人は黙り込んだ。
メンバーの方が、現場に立っているだけに、自分たちがどうすれば良いか分かっていたようだ。
そしてその解決方法も。
大人としては、過ぎれた一人に頼るのではなく、阿吽の呼吸で全員間違わずに出来れば良かったと思っていたのだが……。
「もう解決したようだね」
戸方Pはスッキリした表情で皆に言う。
この人は、「今のままでは新曲を完成させる事が出来ない」という判断を聞いた後、この形がうっすら見えていたようだ。
そして
「多分、他に方法は無いよ。
半年かけてじっくりやっていいなら、指揮者にも、天出さんにも頼らない事は出来るかもしれないけど、そんな時間は無い。
第一、そんなに時間を掛けていたら、卒業したり脱退したりするメンバーも出て、未来永劫完成しなくなるだろう。
ここは天出さんに頼ろうか。
相手はまだ14歳だけど、正直天才だと思ってる。
頼っても恥じゃないよ」
しかし、KIRIEが異を唱えた。
「それだと、この曲は天出優子ありきの曲になります。
スケル女は編成をしょっちゅう変えますし、小規模イベントでは歌うメンバーも絞り込まれます。
常に天出を使い続けるわけにもいかなし、彼女が卒業したら、もう曲は歌えなくなる」
戸方はうんうんと頷いている。
そして、それに対する解決策を口にした。
「この曲は、指揮者を常設して、指揮者役の子はそれ専用で練習してもらおう。
すぐに出来るのは天出さんだけど、辺出さんや馬場君、あと品地さんとかは、鍛えれば出来そうだ。
近々には天出さんでいくけど、指揮者という役割は教えれば誰でも出来るようにしようか」
異論は出ない。
全員が舞台上で迷走する状態からの突破口は、指揮者が指示を出す方法しか無いようだ。
「……というわけで、指揮者を設置し、皆に指示を出してもらう事になりました。
天出さん、お願い出来ますか?」
プロデューサーが出張って、メンバーに決定を話す。
メンバーも、大方自分たちが出した結論通りなので、慌てたりも嫉妬したりもしない。
彼女たちも「未完成で葬るか、天出を指揮者にするか」という二択になると考えたのだから。
「分かりました。
それでやります」
優子が力強く答え、全員がホッとする。
その後、戸方Pは
「常に天出さんに頼りっきりじゃダメだから、指揮者になれる人を他にも指名します。
リーダー、前リーダー、品地さん。
君たちも全員の動きを頭に入れて、指示を出せるようにしておいて下さい。
他にも、希望者は天出さんや、オーケストラのバンマスとかから話を聞いて、指揮について勉強して下さい。
天出さん一人しか出来ないって状態は避けましょう。
そして、歌い続けられるようにしましょう」
メンバーたちは明るい表情になった。
彼女たちも、これでは天出優子がいる場面でないと歌えない曲になる事を危惧していたようである。
それが解決出来るなら、全ての問題はクリアとなった。
だが、戸方Pは更に先を見ている。
「正直ね、天出さんのパフォーマンスが見られなくなる、彼女が客席に背を向けたままなのは残念でならない。
そこで、指揮者にもパフォーマンスをして貰おうと思う!!」
「は????」
天出優子は驚いた。
前世で、指揮者とは指揮する者以外の何物でもなかった。
しかしモーツァルトの死後に出来た音楽、例えばマウリシオ・カーゲルが1981年に作った「フィナーレ」という曲には「指揮者が倒れる」という演出があり、ディーター・シュネーベルが1962年に作った「ノスタルジー」という曲では指揮者一人がパフォーマンスしたりする。
他にも指揮者が聴衆に語ったり、ホイッスルを鳴らすなど、指揮者が指揮をするだけの音楽からの脱却も図られていたのだ。
「というわけで、天出さん用のパートも用意するから、待っててね」
そういたずらっ子のような笑顔で言ってのける戸方Pに
(まったく、勘弁して欲しい)
と思いながらも、新しい音楽の可能性にニヤける天出優子であった。
おまけ:
さも当たり前のように天出優子が指揮者を引き受けましたが、それは中の人が18世紀の人間だからです。
19世紀半ば以降になると、指揮者は専門職化し、作曲家が自分の曲だからと指揮をする事はほとんどなくなりました。
なお、メンデルスゾーンとマーラーは、作曲もし指揮もする音楽家でした。




