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演技について考えよう

 天出優子が代役を務めたミュージカルは無事終了した。

 優子の評価は、大学風の成績判定なら「良」といったところであろう。

「可」、ましてや「不可」よりは上だが、「優」は与えられない。

 舞台監督や演出家の指示を受け、その通りにしたので、役は無難に演じ終えた。

 いや、無難というよりはもっと上手く、コミカルに悪役を演じ、それなりには評価が高い。

……あくまでもアイドルの演劇では、という括りではあるが。

 主役の寿瀬(みどり)の場合、その圧倒的な存在感や演技力、歌う時の堂々とした態度は「アイドル」枠を超えて演劇関係者からも評価されている。


 優子の前世は「作曲家」として、歌劇(オペラ)に関わって来た。

 優子も歌いながらの演技、すなわちオペラと同じような部分では評価が高い。

 まあ「ミュージカルよりも、オペラ向きの重厚さ」とも言われているが。

 そんな感じで、音楽に関わらない普通の場面での演技の評価はそれなりのものであるが、本人は気にしていない。

 彼女は音楽家、現在はアイドルであって、女優ではないのだから。




「お前のミュージカル終わったな。

 とりあえず、千穐楽おめでとうよ。

 俺と同じ舞台に上がったんだから、それくらいは言ってやるよ」

 中学校で、芸能クラスのスクールカースト上位、親が偉い「セレブ組」のトップである、伝統芸能のドラ息子が話しかけて来た。

 こいつが優子に近づくと、武藤愛照(メーテル)、堀井真樹夫の2人が警戒態勢に入る。

 優子が勝ちそうではあるが、それでも以前、こいつに押し倒され、セクハラされた事案があったからだ。

 そんな過去は忘れたようで、ドラ息子は

「で、演劇関係のコネと親の権力を使って、お前の芝居を観たのだがな」

「……それ、威張って言う事じゃないでしょ」

「まあ、音楽の凄さに比べて、演技の方は平凡だな。

 素人よりは良いが、それだけだ。

 到底俺たちには及ばないな」

「当たり前でしょ。

 天出さんはアイドルであって、役者では……」

 反論する愛照を制し、優子は黙って頭を下げる。

「それはその通り。

 貴方の言うのが正しい。

 その上でお願いしたい事があるの」

「なんだ、気持ち悪いな」

「貴方の親の伝統芸能、見学させて欲しい。

 練習の方を見てみたいんです。

 どうか、お願い出来ませんか?」


 ドラ息子は拍子抜け感じだが、急に真面目な表情になる。

(こいつでも、こんな表情になるのか?)

 愛照と堀井が失礼な事を考えていたが、彼とて真面目な時間はあるのだ。


 素行が悪く、威張り散らしていて、取り巻きを引き連れるのが何よりも楽しいドラ息子。

 だが、一方で演劇に対しては真剣であった。

 彼は2人の兄と1人の姉がいる、末っ子である。

 祖父はいずれ人間国宝、父親も祖父くらいの年齢になればそうなるであろうという名門。

 その後継ぎは長男であるし、今は大学生で女優をしている長女も、伝統芸能名門の他家との者との婚約がされていた。

 三男で末っ子の彼は、いくら中学で威張っていても、恐らく後継ぎにはなれない。

 しかし、幼少の頃からこの道に居た彼は、この業界で頑張っていく他に道を知らない。

 そこで、婚姻関係で複雑に絡み合っているこの業界だが、遠い遠い親戚のとある役者のように、破天荒で豪快な役者として身を立てようと、本人も気づかぬ内に志していた。

 その仮面を外すと、彼はドラ息子ではなく、役者馬鹿なのである。


 ドラ息子は、天出優子という「格下の、十把一絡げの集団アイドルの一人」に対し、チンチクリンと馬鹿にし、セクハラをしたりしているが、他の女と違って侮ってはいない。

 役者馬鹿の部分が、努力と才能を兼ね備えて昇華した「天才」というものを感じ取っていた。

 こと音楽に関しては、世界コンクールのジュニア部門で入賞、大人も含めた部門でも良いところまでいく目の前のピアニストよりも上であろう。

 音楽の授業だけでその片鱗を感じられるが、コンサートとかではそれが控え目、しかし堀井とつるんで音楽を競っている時は「こいつ、化け物か?」と思うくらいの圧を感じる。

 そんな女が、演技という自分たちの得意分野に首を突っ込んで来た。

 役者になる気か?

 単に勉強したいだけなのか?

 どっちにしろ、演技で見れば素人の倍から3倍くらいの能力で、音楽で感じるような天才さは見当たらない。

 その程度の人間を、稽古場に連れて行っても良いのだろうか?


 しばらく真剣な顔になった後、ブスっとした表情で

「親父か兄貴に聞いてみるわ。

 ダメって言われたら無しな」

 と返した。




 許可は案外あっさりと出た。

 家に女を連れ込むのは自由だが、稽古場でチャラチャラした事をしたら思いっ切り殴られた。

 それなのに何故?

 ドラ息子は首を傾げたが、理由は実にくだらないものである。

「優子ちゃん!

 この前のオンラインサイン会ではありがとうね」

「チェキ届きました?」

「うん、可愛かったよ!」

「……兄貴、こいつのファンだったのかよ」

「こいつとか言うな。

 お前よりずっと、演劇についての造詣も深いぞ。

 どっちかというと、西洋の演劇に詳しいんだよね?」

「はい、流石に日本の伝統芸能は、本職には全く及ばないって知れて良かったです」

(いつの間に、堅物の兄貴をここまで篭絡しやがったんだ?)

「で、そちらの2人も紹介して欲しいなあ。

 2人とも有名人だし、知ってはいるけど、紹介は必要だろう?」

「同級生の堀井真樹夫です」

「初めまして、武藤愛照と言います。

 今日は無理を言って同行させてもらいありがとうございます。

 勉強させてもらいます」

「お前ら、着いて来なくても良かったんだぞ」

「あんたと天出さんを2人きりにしたら危険じゃないの!」

「お前ら、一体俺を何だと思ってんだ?」

「性犯罪者」

「色情狂」

「天出さんに手を出した事、許してないんだからね!」

「警察呼ばれなかった事に感謝するんだな」

「お前らなあ、俺はあの後三半規管が狂って、大変だったんだぞ」

 その途端、ドラ息子の肩に、兄がガシっと手をかけた。

「その話、後でじーーーっくり聞かせて貰おうか……」

 明らかに殺気が籠っている。

(役立たずの神の使いよ、今日哀れな子羊がそちらに旅立つかもしれません。

 その魂を救いたまえ、アーメン)

 優子は不謹慎な祈りを捧げていた。


 優子が見たかったのは、存在感の出し方。

 早口の台詞回しは、コミカルに感じさせる一方で、存在感としては薄くなってしまう。

 一方、重厚な台詞回しをすると、存在感は出ているように見えるが、狂言回しの役割には向かない。

 両立させるにはどうするか?

 オペラだと、歌の上手さで存在感を出せる。

 しかし、普通の芝居だと難しい。

 さりげなく芝居を動かし、うるさ過ぎず、邪魔にならず、リズムを狂わさず、それでいて存在感を出す。

 ミュージカルで、優子は丁度良い悪役であったが、主役の寿瀬と並んでは弱かった。


「間というものの取り方、喋っていない時の演技、掛け合いの時のリズム、もしかしたら歌舞伎とか能とかを見て学んだ方が良いかもしれないね。

 君の場合、言って覚えたり、実践するより先に、上手い人の実演を観た方が吸収早いかもしれない」

 舞台監督や演出家からそうアドバイスされてもいた。


 彼女は役者になる気はない。

 しかし、音楽に関わる事には妥協したくない。

 ミュージカルという音楽と芝居の融合した劇。

 音楽を普通のシーンの演技が足を引っ張らないよう、学べるものは学びたい、それが最高峰のものなら、ドラ息子に頭を下げるくらいお安いものだ。


 かくして優子は、稽古が始まると一転して厳粛な空気になる中で、僅かな事でも、見逃すまいと凄まじい目になって見学をしている。

 その真剣さ、分析するような目配りに

(まるで本番前の稽古総仕上げで、一座の長老(じいさん)たちに見られているようだ)

 とドラ息子でさえ背筋が冷たく感じていた。


 見学終了。

 礼を言って稽古場から帰っていく3人。

 残されたドラ息子に、それこそ一座の長老たる祖父が声を掛けた。

「あの一番小っちゃいお嬢さん、ありゃあただ者じゃないぞ。

 わしもこの年まで生きて来たが、あんな目をして演技を、しかも練習を見るようなのは数える程しかいなかった。

 良いのを見つけたな。

 アレが嫁なら、お前も数段上の役者になれるぞ」


 ドラ息子は

(それは御免こうむる)

 と股間の思い出し疼きと共に拒絶をするのだった。

おまけ:

シェイクスピア「モーツァルト君は余り興味が無いと思うけど、喋らず、歌わずに演技をする仮面劇というのがあってなあ」

ベン・ジョンソン「パントマイムとかは、ここから発展したのだよ」

イニゴー・ジョーンズ「舞台製作とかも、参考になると思うぞ」


チャップリン「そんな遥か昔に廃れて、継承もされなかった演劇よりも、無音映画時代の私を参考にした方が良いと思うよ」


最近は音楽家だけでなく、演劇畑の人間もあの世でウォームアップを始めたようです。

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