(番外)武藤愛照のレベルアップはダテじゃない
「なんか、貴女ミュージカルに出るそうじゃない」
ライバルと思い目標にしている天出優子に関して、やたら耳が早い武藤愛照が話しかけて来た。
「昨日正式発表になったからね」
「安藤(紗里)さん、大丈夫なの?」
「魔女の一撃食らったからね。
しばらく安静にしてないとダメで、ライブもお休み。
復帰してもしばらくは座ってのパフォーマンスになるって」
「ねえ、魔女の一撃って何?
ギックリ腰じゃなかったの?」
魔女の一撃(Hexenschuss)は、ドイツ語でのギックリ腰の事であり、天出優子は転生後に日本語話者となっても、この言い回しの方が「痛さと突然さを的確に表現している」と気に入っていた。
「へー、ミュージカルね。
観に行きたいから、チケットくれない?
ちゃんと正規料金払うから」
登校中、並んで歩いている女子2人の会話に割って入ったのは、若手ピアニストの堀井真樹夫である。
この年頃なら「女の子の会話を盗み聞きするな!」とか変態、ストーカー扱いされそうなものだが、彼は人柄のせいか、そういう事を言われない。
……「セレブ組」の伝統芸能ドラ息子ならボロクソであり、実際
「なんだ、天出、お前芝居するのか?
俺が指導してやっても……」
「お巡りさん、こいつです」
と扱いは雲泥の差だ。
そんな固まって歩いていた4人だが、校庭脇のある場所で愛照が立ち止まり、優子の手を握って引き止める。
不思議に思った堀井も立ち止まると、そのまま歩いていたドラ息子に、朝練習中の野球部の大ファールが直撃した。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃねえよ!
軟式ボールだから良かったけど、硬式なら死んでたぞ、こら!
来るなんて思ってなかったから、完全に無防備だったし」
「……身構えている時に、死神は来ないものさ」
「あ?
武藤、なんか言ったか?」
「というか、武藤さん、なんで立ち止まったの?
君、ボール来るって分かったの?」
「そうだよ、私の手まで引いて。
完全に予想してたよね」
「予想じゃない、見えていた、何かが来るって。
フロイライン!に居ると、こんな能力も身につく……」
愛照は遠い目になり、自分のレッスンについて語り始めた。
フロイライン!のダンスの売りは、艦隊運動ダンスであり、一糸乱れぬ連携を見せつける。
我が強く不仲なメンバーたちだが、それ故に訓練を積んで互いの機動を確認し、衝突しないように気をつけていた。
「双頭の蛇」から「紡錘陣形」への変形では、左右最も遠くに立っていた者は、高速移動して中央に戻る必要がある。
更にフロイライン!作曲担当はロック歌手だったりするので、多くの曲はテンポが早い。
彼女たちは高機動と瞬時の判断能力を求められるようになっていた。
結果、「光速の女獅子」相生里愛、「壇上の狼」留流エル、「縮地」瀬田のり子と言った「カメラのシャッタースピードより速い」アイドルが出来上がった。
だが、全員がここまで高速で動けるわけではない。
その場合、「先読みして動けば良い」となる。
こうしてスピードがないメンバーは「勘」を異常発達させる。
愛照は後者であった。
愛照は、リーダーとサブリーダーから昇格を約束されているようなものだが、それは正式なものではない。
彼女はいまだ研究生で、フロイライン!に合ったパフォーマンスを身につけている最中である。
そして、ステージ上での高速機動、正しい空間認識という部分で、他より少し遅れを取っていた。
歌唱、ダンス、表現力は前提であり、それが出来た上で次のステップに進める。
ひとえにステージパフォーマンスと言っても、各会場、各公演でステージの広さや形、ステージセットは異なる。
アリーナ会場での思いっきり広いステージもあれば、小さいホールゆえに階段を作って三階建てとしたセットもある。
花道を設ける場合もあれば、リフトによって迫り上がるステージもある。
それらに合わせた機動をしなければならないが、愛照はよく転んだり、ぶつかったりしていた。
クスクス笑う他の研究生。
だが、愛照はへこたれない。
天出優子の真似をして、手足に重りを付けて走ったり、高層ビルを使わせて貰って、屋上と地上を往復する練習で何とかしようとした。
「そのような、俗物でも思いつく訓練では到底追いつかぬぞ」
無駄な練習を止めたのは、サブリーダー濱野環であった。
「濱野さん」
「ハマーン言うな、俗物が!
お前が使わせて貰っているビルから、いつまで使うんですか?と苦情が入った。
目処が立つならいつまでと答えも言えようが、アレではいつまで経っても速くはならぬ。
だから、もうあの練習はするな」
「はい」
「素直なのは良い事だ。
では練習場所を奪った詫びに、私が訓練してやろう」
こうして連れて来られたのは、某バスケットボールクラブのトレーニングルームであった。
「走り込む事より、初動が重要だ。
広い会場でも、50メートル走る事は無い。
ダッシュとストップが出来れば、それで良い。
それにはトレーニング方法を変えるのだ」
初動負荷トレーニングというものである。
ここに愛照を紹介し、一通り器械に触らせる。
「今日は他にも行く所がある。
さっさと行くぞ」
そう言って連れて来られたのは、バッティングセンターであった。
「放たれたボールから避ける、またはキャッチするのだ」
「無理です」
「やりもせずに無理と、二度と言うな!
キャッチはともかく、避ける事は出来るだろう。
私が手本を見せてやる」
そう言って濱野は、目隠しし、音も聞こえないよう耳栓をしてホームベース上に立った。
投手の設定は、「投げる国際問題」と言われる、荒れ球が魅力のメジャーリーガー。
その100マイルの、時に顔面を襲う豪速球を、濱野は予知でもしたかのように避ける。
「広島の選手も当てられる前に、投球動作の時点で予知していた。
人間出来るものだ」
実例を見せられたら反論も出来ない。
初心者だから、目隠しと耳栓は無しで挑戦したが、見事にヘッドショットされてしまった。
「目で見てから避けるな、感覚を研ぎ澄ませば、脳裏に1秒先の未来が見えてくる。
その勘を信じて動くのだ」
痣を作ってヘトヘトになる愛照。
「まだいけるな?」
「はい」
「良い返事だ。
音を上げていたら、見限ったのだがな。
では次に行くぞ」
だが、次は意外な場所であった。
「ここって、濱野さんの家?」
「そうだ。
機材はここにしか無いからな」
そう言って部屋に招かれ、謎のゴーグルを着けられる。
「これって、3Dのゲーム機?」
「ゲームには違いない。
私が改造した。
さあ、始めるぞ」
すると眼前の映像が高速移動する。
「確かに勘で先読みする事は必要だ。
だが、いざという時には目がものをいう。
これは動体視力を鍛える為に、卒業した西明日菜という奴と改造した、通常の3倍の速さのゲームなのだ。
これを見極めろ」
こうして瞬発力、先読み能力、いざという時の動体視力を、練習という名のしごき、他の研究生から見たら
「濱野さんが新入りを潰しにかかった」
と言われた特訓を持ち前のど根性でクリアした愛照は、360度全ての方位に注意が行き、1秒先の未来が見える気がするくらいにレベルアップしたのだった。
「……えーと、フロイライン!ってどんなアイドル?」
「堀井君、理解しようとしないで。
考えるんじゃなく、感じるんだ」
「そんなわけないだろ。
こいつがハッタリ言ってるだけだ」
そう言ってツッコミの手を出そうとしたドラ息子は、手を動かす前に動きを止められる。
「あんたが手を出そうとする、0.5秒前の信号を捕らえた。
動きが丸わかりだよ」
感情も無くそう呟く愛照を見て、
(日本の女子アイドルって、恐ろしい……)
と感じる若き世界的ピアニストであった。
おまけ:
動画で「藤浪」「鈴木誠也」「察知」で調べてみて下さい。
濱野様が言っている「投げる前に回避」が現実にあった事を理解出来るでしょう。




