メイクアップ!
(一体どうしてこうなった……?)
天出優子を悩ませているのは、先日現れて皮肉を言って来た「神の使い」の言葉ではない。
戸方Pから作詞してみろと言われ、そこで露呈した「前世持ち」ゆえの弱点についてでもない。
過去に「貴女に負けたから」と言って辞めていった子たちへの自責の念でもない。
音楽に関わる事以外は興味が無いから、そこから来るトラブルというものでもない。
「ゆっちょもぉ、もう中学2年なんだから、メイクとか覚えてみようよぉ~」
とスケル女同僚・照地美春が言い出した事で、先輩たちがわらわら群がり始め、彼女を玩具のようにしながら、色々と化粧をし始めた事だった。
天出優子の前世、覚えている化粧とは「白粉」「頬紅」「口紅」そして「香水」であった。
貴族社会を中心に、女性は肌をとにかく白く見せていた。
労働者階級の日焼けした肌とは違うと示す為に、特権階級ほど白さを求めた。
その白さは、鉛白を原料とした粉を使ってのもので、健康を損ねるものと分かったのは後年の事である。
その白く塗った顔に、頬と唇には紅を差して血色良く見せ、眉毛を整えて美を創出する。
カツラも重要で、貴族だけでなくモーツァルトたち音楽家も、髪型や髪色を変える事で自分をプロデュースしていた。
そして、現代でもそうだが、欧州人は頻繁には風呂に入らない上に体臭がきつい為、それを打ち消すように香水を用いる。
「ケルンの水」こと「オーデコロン」は、モーツァルトの生きた18世紀に商品化されたものだ。
転生し、現代日本で育っていく中、天出優子は当初
(随分としみったれた化粧をする国なんだなあ)
と母親や周囲の女性を見ながら感じていた。
だが、育った年月と共に、それがナチュラルメイクだという事、スキンケアの観点から化粧のし過ぎは良くない事、流行というものがあり、厚塗りは好まれない事を理解する。
中身はともかく、肉体は女性であり、小学校高学年から中学校にかけて、女子はそういう話に詳しくなっていくものだ。
一方で彼女は、芸能界という一般人とは違う世界でも生きている。
そこでは相変わらず厚塗りメイクは健在だ。
例えば、スケル女のようなステージで歌い、踊るアイドルの場合、薄いメイクは好まれない。
遠くの席からでもハッキリ分かる、濃く明るい赤い唇、映える白い肌、メリハリの効いたアイラインなんかが求められる。
またライブではたまに、客席降臨というものも行う。
ステージから客席があるフロアに降り、通路を使って歌うものだ。
これはモーツァルトの時代は無かった演出である。
口パクかどうかはともかく、アイドルが客席を走る通路でパフォーマンスをしてみせる。
この時に、フワッと漂って来る良い匂いに、ファンは心を射抜かれるものだ。
また、芸能界ではテレビ映りというのも考える。
多忙な芸能人は、時に血色が悪く、くたびれた顔になっている事がある。
そんな顔を見せられない。
男性芸能人でもドーランを塗り、目の下の隈を消したりして、明るい顔に仕上げていた。
さて、スケル女だがローカルルールで「研究生の内はメイクは控え目」というものがあった。
これだけの人数がいるアイドルグループである為、メイクアップのスタッフの手が回らない。
だから自分たちでメイクをするのだが、楽屋の鏡台の数も限られている。
そして、本人も笑い話にしているが、最年長の灰戸洋子なんかは
「お化粧の乗りが悪いのよ。
だから時間をかけて入念にメイクしないと、ファンの前には出られない」
と言って、化粧台を長時間占有してしまう。
そういう事もあり、研究生は正規メンバーの邪魔にならないよう
「小・中学生とかは化粧しないでも大丈夫。
高校生以上はメイクしても良いけど、ささっと終わる程度ね」
となったのだ。
そして正規メンバーになった優子に対し、可愛いものには目がない照地美春がメイクを奨めて来た。
これまでワンポイントのウィッグや、唇を荒れさせない為のクリーム程度しかして来なかった優子の身に、見た事はあるが使った事は無い多数の液体やゲル状のものが塗りたくられる。
「あのさあ、天出は羨ましいくらい肌ピチピチなんだから、無理にファンデーション使う事ないよ」
と灰戸が言い、
「まずは化粧水だね。
これ、良いのを使った方が後々幸せになれるよ。
これを手抜きすると、二十代後半からマジで後悔するよ!」
と生々しい証言とともに、肌にペタペタ塗って、馴染ませていく。
化粧水は、日本では平安時代に既に「ヘチマ水」というもので使用されていたが、スキンケアの意識が薄いヨーロッパでは一般的ではない。
(水だよな?
水で良いんだよね?)
と、されるがままの優子はビクビクしながら自分に言い聞かせていた。
「天出も中学生になって、流石に小学生の時のミルク臭さは抜けたから、乳液も使おうね」
リーダーの辺出ルナが、やはり謎の液体(優子の感想)を優子の肌に塗る。
ヨーロッパでは、化粧水というものがない代わりに、保湿の為に油を塗る習慣がローマ時代からあった。
だから知っているはずの化粧品なのだが、時代が違えば見た目も、質感も違う。
ほんのりと漂うミルクの香りに身を委ねつつも、
(油ではないし、何なんだろう?)
と頭の中では変な思考がグルグルしていた。
「確かにゆっちょの肌、プルプル、ぷにぷにで気持ち良いけどぉ~。
やっぱキラキラも欲しいと思うんだよねぇ~。
涙袋とか、こういう風にしたいんだよね」
アイラインのメイクは、それこそクレオパトラの頃から存在している。
だが、これ程流行の移り変わりが激しいものも無いだろう。
長期間、目の上は青く塗るのが標準的だったが、カッコよさを出す為にダーク系になり、黒くなった時もあれば、泣いたように見せる赤系も流行る。
照地美春はキラキラしたものが好みな為、ピンク系にラメが入ったファンデーションで、目の下をメイクしていた。
「ほら、キラキラしてるっ」
と鏡を見せられるも、
(これがラメってやつか……。
他人がしているのは散々見たけど、自分がされたのを見るのは不思議なものだ)
と言葉が出て来ない。
「リップも、まあ軽く塗っておこうか。
若くてプリップリな唇だけど、全体のバランスも考えてね」
「だったら薄いピンクのナチュラルで、ラメだけ入ったのが良いよぉ~」
「本当に、ラメ好きだよね」
「それも良いけど、自然光沢系のが合ってるよ」
自分を囲みながら、一番の魅せどころでもある口紅について議論し出すメンバーたち。
施される本人は、もう何が何やらと、頭の中は飽和状態になっていた。
考えてもみよう。
天出優子の中身は、18世紀のヨーロッパの男性なのだ。
それが初めて、女の子に囲まれながら、知っているはずなのに体感としては未知の液体を塗られ、いじられまくっているのだ。
現代でも、オッサンが初めてそのような事をされたら、気持ち良さよりも、緊張というか、不安というか、そういう気持ちになるだろう。
当の女子たちは、ワイワイキャーキャー言いながら、楽しんでいる。
自分がメイクしている時は無言なのに、初めてメイクする女子中学生に対しては実に楽しそうだ。
女子にも
「あの子の初めては私が手ほどきしたの」
という征服欲のようなものがあるのだろう。
そしてメイク狂騒曲は終了する。
最後に、先代リーダー馬場陽羽が熱く指導する。
「メイクは落とす時が肝心。
その内、面倒臭くなって、メイクしたまま寝るような奴がいる。
言語道断だ!
メイク落としこそ、長く美を維持し続けるものと知るのだ!
クレンジングで手を抜くな!
冷たい水で顔を洗うな!
保湿に常に気を配れ!
若いから何とかなる時期は、あっという間に過ぎ去るのだ!
今から習慣を身につけておくのだ!」
最後はスパルタ指導であった。
おまけ:
馬場「メイクは落とす時が肝心。
その内、面倒臭くなって、メイクしたまま寝るような奴がいる。
言語道断だ!
メイク落としこそ、長く美を維持し続けるものと知るのだ!」
灰戸 (ビクッ)
暮子 (グサッ)
辺出 (ドキッ)
馬場「私も散々な目に遭って実感した」
灰戸・暮子・辺出 (ホッ……)




