神の使い、三度(みたび)
(君は恋愛経験が足りない)
(等身大、14歳の天出優子の恋愛が無い)
優子は、レッスン後に戸方Pから言われた事が、妙に突き刺さって鬱々としていた。
日本のポップミュージックは、若者の恋愛を歌うものが多い。
それを露骨には言わず
「ハートを狙い撃ち」
「私の何か壊れました」
「今じゃないって言っているわ」
といった言い回しで表現する。
だからと言って
「天にも昇る心地に歓喜の声をあげ」(ゲーテ)
「神、この姿永遠に守り給え」(ハイネ)
「愛の甘美な望みがつかの間のものなのか?」(シラー)
のような、文学的には美しくても、仰々しいものは受け容れられない。
(人生経験が足りないって、戸方Pは言っていたけど、私の場合、前世の分余計に経験しているのが、逆に良くないように思う。
実際問題、この日本の歌詞よりも、前世で知り合った詩人たちの言葉の方が、自分としては良いと感じてしまうんだよなあ。
日本の曲は、楽しいから良いんだけどさ。
楽しいと感じるもので、一字一句読んでいけば、大した事は言ってないって思うよ。
とある曲なんか、要約すれば
「片思い中に眼鏡の男子がカッコ良く見えたけど、そいつの彼女が出来て、眼鏡をしなくなった顔を見たけど、全然大した事ないじゃん、バーロー!」
ってものだったし……)
そうベッドの上で悶々としている所に、またも奴が現れる。
「やはり、君はその身体を放棄し、君という人格と記憶は神の御許に還るべきじゃないのかね。
そうすれば、その身体に目覚める本来の人格が、君の才能を残滓を使って、良い詩を書くだろう」
「出たな、自称『神の使い』め。
また私に天国だか地獄だかに行けと言いに来たんだな。
いい加減飽きないか?」
「イレギュラーな存在を放置するような真似は出来ないのだ」
「14年間も放置しておいて、よくそんな事を言えるなあ、この無能天使が」
天使、神の使いと言いながらも、その形は優子の前世・モーツァルトの姿を模している。
その前世の自分が、今の自分に話しかける。
「君は、君であり続ける事に誇りを感じている。
しかし、君が君である事で能力に蓋がされている事にも気づいた。
モーツァルトとして35年生きた事により、こちらの世界で本来経験するはずの『日本人の少女としての思春期』を経験出来ない。
また、モーツァルトが生きた時代の言い回し、オペラの歌詞に引きずられて言語感覚が古いままだ。
技術的な修正は出来るだろうが、そもそもの感性というものは直らないものだ。
どうだ?
君は、君の前世によって、本来得られる人生を得られなくなった。
反省すべき点が、これでも無いと言うのかね?」
優子は少しだけ考え込む。
今までの神の使いとやらから指摘された事に比べ、今回の方が痛い事を言っていたからだ。
だが、所詮はそこまでだ。
前もそうだが、この存在は何一つ建設的な事は言わない。
創造手としては、次に繋がる意見ならば大いに取り入れたいが、否定的でしかない意見は、時として時間の無駄でしかない。
「私の人生経験が異常である、という事か?」
「異常以外の何物でも無いだろう」
「では伺う。
異常ではない、普通の人生とは何だ?」
「少なくとも転生して、前世を引きずっていない人生だ」
「まあ、そういう人間は確かに少ないから、前世持ちは異常なのだろうな。
異常な人生だから、正常な人生で得られるはずの経験が得られない。
先程そのように言っていたな?」
「そうだ」
「では重ねて尋ねる。
私と同じように、少女ならではの思春期を得られなかった、言語感覚が通常とは違うものになった、そういう者は私と同じような異常者だと言うのか?」
「それは違う。
それはその者の運命であったのだ」
「運命ね……。
まあ、それに対しては何も言うまい。
しかし、他の人と同じではないという事で異常か正常かを判断は出来ないと思うぞ。
君たちが言う正常な人の中でも、個人によって異なる人生を歩むのだ。
私のような前世持ちの人生も、そうした多様性の中に含まれるのではないか。
ならば、正常か異常か等という事自体、おかしな話だろう。
全ての人間は等しくユニークなのだ、それが正解だと私は思うな」
「前世に比べ、随分と理屈っぽくなったな。
反面、神に対する信仰心は年々小さくなっているようだ」
「それこそ、第二の人生を経験している証さ。
私は確かにウォルフガング・モーツァルトの生まれ変わりだ。
その記憶を受け継ぎ、第二の人生を過ごしている。
しかし、ここに存在しているのはウォルフガング・モーツァルトではない。
君たちが否定しようが、天出優子という日本人の少女なのだ。
それがどう生きようが、神の関わり合いになる事ではない」
「その思考こそ異常だ」
「正常異常で人間を決めるな!
全てはユニークなのだ。
正常異常で物事を決めるから、異常と看做したものを排除しようとする。
お互いに相手を異常と認めたなら、そこに妥協の余地が無くなる。
戦うしかなくなるな。
戦争を最も悲惨なものに導くのは、『神の為』もしくは『正義の為』という文句だ。
異常ではなく、個性だと思えるならば、排除し合う事はなくなるだろう」
「芸術家らしい、実に理想論そのものの世界観だな」
「そうだよ、私は芸術家だ、音楽家だ。
政治家でも軍人でもビジネスマンでもない。
理想を語る夢想家と言われても、それは悪口にはならないぞ」
そう言えば最近、芸術家の卵と、随分若々しい理想論を語ったなあ。
そう思い出していると、神の使いはその思考を読んだのか
「君に……正しくは天出優子という少女に想いを寄せている、あの少年をどうする気だ?」
そう不意に尋ねて来た。
「いやいや、あいつに私に対する恋心とかは無い。
喋っていて分かる。
あれは尊敬する芸術家に対する敬意の、ちょっと可愛いやつだ。
まあ、目の前にいるのは可憐な、もうちょっと成長したら良いとは思うが、可愛い女の子だ。
それに惑わされるのは仕方がないが、話をしているのはこの私だ。
他にも名前を出してはいたが、彼は私、モーツァルトのようになりたいそうだ。
知らず知らずのうちに、魂が私に対する敬意を示しているんじゃないかな、知らんけど」
「百年以上時間を経て、忘れたのか?
爛れたその場限りの恋愛遊戯をしていて、感性がすり減ったのか?
今は確かに敬意がほとんどを占めている感情かもしれない。
しかし、やがて敬意は親愛に、親愛は愛情に、愛情がドロドロした情念に変わるだろう。
覚えが無いとは言わさぬぞ、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトよ」
「……………………否定出来ん。
確かに少年期の恋愛は拗らせれば、そうなる」
モーツァルトが初めて女性と肉体関係を持ったのは、21歳の時で、相手は従妹のマリア・アンナであった。
当初モーツァルトは従妹に対し、普通の親愛感情を持ち、ニックネーム「ベーズレ」と呼んで可愛がっていたのだが、いつしか惹かれ合い、そういう関係に発展したのだ。
男女の仲というのは、いつどのような形から変化するか、分からないものだ。
「さあ、どうだ?
お前は少年の想いに応えてやれるのか?
思春期をもう二度と経験出来ぬ、女にして女に非ざる異常な存在よ」
「…………」
どうも今日の神の使いはキレキレである。
少女の身体に男の精神、中学生の中に既に死亡した百年以上前の偉人の魂、現代日本のポップカルチャーを体現する存在に宿った古典音楽の天才、という歪つさをズバズバ突いて来る。
今は良くても、将来拡大するであろう「歪つさが生み出すもの」の指摘。
「早く神の御許に参るが良い。
主は君の暴言も背徳もお許しになられる。
その身体を本来の形にし、その命は神に還るのがこの世の正しい在り方なのだ」
そう言い残して、モーツァルトの形をしたモノは消えていった。
(勝手にやって来て、好き放題言いやがる……)
今日は不思議と、どっと疲れてしまった。
(今日は言い負けてしまったなあ)
そうは思いつつ、天出優子はへこたれていない。
(まあ、良い。
将来の事なんて、なるようにしかならん。
私は神でも悪魔でもないし、将来の事など考えても、そのようになるか分からん。
制御出来ない事よりも、自分自身の事だ。
思春期を今更経験出来ないとしても、思い出す事は出来るだろう。
少女の恋愛を経験出来なくても、学ぶ事は出来るだろう。
実際、戸方プロデューサーは女性じゃないのに、女性の心を歌詞に出来るではないか。
言語感覚はアップデートすれば良い。
こと音楽の事で、他人に出来て私に出来ない事は無い!)
そう思い直すと、変な存在との対話で疲れたのもあるし、悩むのは止めて眠る事にした。
明日の事は明日考えよう。
天才音楽家はそうして頭を切り替えるのだった。
おまけ:
ワーグナー「我が輩もそろそろ地上に降りたいのだが」
サン・サーンス「音楽も分からん神とやらに、我が作品を捧げるのも飽きた。
あと、我は何故この男と一緒にいるのだ?
こいつはここに置いて、我は地上に行くぞ。
なあ、そこの奴もそう思うだろ?」
ドビュッシー「気安く触んじゃねえ。
俺は男と日本の納豆が大っ嫌いなんだ。
ここは酒と女が足りないなあ。
俺こそ地上に行きたいんだが」
神の使い「お前ら、文句ばかり言ってると、意思を持つ自我を消すぞ!
ところでストラヴィンスキー、どこに行く気だ?」
ストラヴィンスキー「ちょっと天国から亡命しようと思って……」
神の使い「亡命って……。
天国に何の不満があるんだ?」
ストラヴィンスキー「移動が制限され、新しい音楽に出会えず、管理されている。
天国もソ連も一緒だし、亡命したいなぁって」
神の使い(モーツァルトを野放しにしてると、こいつらまでうるさいから、早く何とかしないと……)




