売れてないっ!
「天出、ちょっといい?」
ある日のレッスン終了後、天出優子はスタッフに呼ばれた。
そこで屈辱的な事を言われてしまう。
「個別握手会とオンラインサイン会、君の売上が良くない。
もっと売れるよう、配信とかで宣伝してよ」
天出優子には屈辱である。
「売れない」というのは、有り得ない事だったのだ。
前世において、金の支払いが渋かった事はある。
好みに合わず、皇帝や皇后から不満を持たれた事もある。
しかし「評価されない」という事は無かったのだ。
(私の何がいけないと言うのか?)
自分について考える優子。
だが、一番の原因はそこにある。
「いけない」部分が無い、という事だ。
スケル女を始めとした接触系アイドルのヲタクには、言ってみれば「パトロン」気質がある。
「この子は、俺が支えてやらないとダメなんだ」
という庇護欲が、そのアイドルへの出費となって現れる。
ダメな子ほど可愛いというものもある。
また、アイドルとの接触では「ツッコミ」もしたい。
ヲタクには、自分がプロデューサーになったような錯覚もあって
「もっとこうしないとダメだよ」
と偉そうに言ってみたいのだ。
例えば岩手県出身の斗仁尾恵里と話す時
「んだか?」
「おい、訛ったぞ!」
「ほら、訛りが出てる!」
「標準語喋ってるつもりでも、出ちゃうんだよな」
というやり取りが楽しくて仕方がない。
……裏で色々知っている優子は
「わだし、岩手訛りはわざとだで。
訛りはもう直っだ。
ふづうに標準語喋ってるまな」
と、いう愚痴を知っている。
実際に訛りが抜けたかどうかはともかく、わざと訛る演技はしているという。
こういうツッコミどころがある子に比べ、優子は「出来る子」過ぎた。
昇格の際もそうだが
「まあ、当然だな」
と感動するファンがいない。
オンラインでのファンとの交流でも、正直あまり面白くない。
「下ネタを話すな。
博打の話をするな。
歴史の定説にない逸話を、見て来たかのように喋るな。
製作現場の裏話をするな。
メンバー間のセクハラ談義をするな。
高度過ぎて、ファンを置いてきぼりにする話をするな」
と釘差しの飽和攻撃を受けた結果、無難な話をするか、歌ったり演奏して誤魔化すかの配信になってしまっている。
そういう風に言ったスタッフたちが
「握手会とサイン会、売れてない」
と文句を言っているのだから、どの口が言うか! という所だろう。
ちなみに、全く売れていないかと言うと、そこまで酷くはない。
「ああ、この人は20枚も買っている。
こっちの人は30枚か。
この人は5枚ずつ10回分買っている」
と、ほんの一握りが大量買いしている傾向にあった。
それは
「天出優子と話をするなら、1枚15秒の持ち時間じゃ全然足りない。
3分くらい話せば、かなり充実した会話になる」
と、一部の濃いファンから思われている為だ。
優子は昇格以前にも、こうした接触イベントに出ている。
正規メンバーと違って、一日拘束されるわけではなく、全体で5部まである握手会の1部だけとかそんな感じで出ていた。
その時に、濃いファンが音楽についての議論を吹っ掛けた。
すると、普段の当たり障りのない話や、知らない事には興味を示さない素っ気ない態度と違い、語るわ語るわ、次々と深い話が口から出て来る。
そういう議論を吹っ掛けるだけに、そのファンも造詣が深かったりする。
ああだ、こうだと議論を交わしている最中に
「はい、時間です」
と剥がされてしまった。
しかし、ファンの中では
「あの子、相当に頭が良いよ。
音楽の構成とか、指揮による感じ方の違いとか、作曲家の意図とか話してみよう。
自分たち以上の解釈や、知識が返って来るから。
ありゃ、かなり勉強しているぞ」
と広まる。
天出優子が詳しい分野は、音楽以外では、18世紀までのヨーロッパの歴史、オーストリアやイタリアの文化、神話や戯曲等の物語、服飾についてである。
こうした話を振ってやると、楽しそうに語って止まらない。
……そして、この分野の偏りが、普通のファンを寄せ付けない原因ともなっている。
ヲタクは全員が、こういう知識持ちなのではない。
いつしか「この話をすれば喜ぶ」が「特定の話題でないと塩対応」と話が歪んでしまい、極端に少ないファンが濃い会話を楽しむアイドルになってしまったのだ。
なので、彼女のトップオタク(通称「TO」)はクラシック音楽が趣味で、今までアイドルに興味無かった壮年の男性であり、他にもオーストリア人とか、ギリシャ神話のアマチュア研究家とか、そんな人たちがハマっている。
それまでアイドルとは無縁のお堅い趣味をしていた、年齢的にも収入的にも上の人たちが、今更ながらにアイドルにハマってCDを大量買いさせているのだから、優子も中々に罪深くはある。
ちなみに「スケル女で最強の才女」と名高い品地レオナも同様の傾向がある。
濃いファンが、深い知識に戻づく会話を楽しむアイドル。
ただ彼女の場合、守備範囲が極端に広い為に、取っつきやすかったりする。
サッカーの話とかは、好きな人なら会話に加わる事が出来る。
まあ、返って来るのは評論家も唸るような高度な戦術論だったりするが。
「という訳で、どうしたら広く皆が握手とかサインとかに申し込むかな?」
中学校でこういう話をする相手は、同業者の武藤愛照である。
実は他にも、地下アイドルをしている子、他のアイドルグループのレッスン生をしている子もいるのだが、その子たちは基本
「やっぱり凄いね」
「羨ましいなあ」
という返事しかして来ない為、あまり参考にはならない。
小学校時代から歯に衣着せぬ愛照だけが、こういう時は頼りになる。
「フロイライン!の先輩たちは、そういうのに苦労してない。
入って分かったけど、固定のファンが物凄く多いから、はっきり言って『一見さんお断り』な所があるから、参考にならないと思う。
だから、私の意見として話すんだけど……天出さん」
「はい」
「ぶっちゃけ貴女、本当に握手とかサインとかしたいと思ってるの?」
「まあ……」
「いやいやいやいや……。
小学校の時から見てるけどさ、ぶっちゃけあんた、可愛い女の子以外と話をしたくないでしょ」
「そんな事は無いってば」
「言い方変える。
笑顔を振りまいて、早口でまくし立てて何を喋ってるか分からない程興奮するようなおじさんたちと、握手するのが楽しくて、いつでもしたいと思ってる?」
「思ってない!」
「そこが問題!
自分が人を選んでるんだから、ファンから選ばれない事に文句は言えないよ。
これが可愛い女の子相手なら、他愛もない会話をしに来られても歓迎なんでしょ」
「よく見てるねえ」
「一般的に、天出優子のイメージはそんな感じなの!
そういう所を直さないと、広く浅く多くのファンを集める事なんて出来ないからね。
おじさんをお兄ちゃんと呼び、『また来てくれないと、泣いちゃうよ』とか言うくらいしなさい」
「はあ……、そんなものなのかなあ。
でも、今からそうやっても、中々売上は増えないし、どうしよう?」
愛照はふと笑えてしまった。
昨年までは、悩みが逆だったのだ。
マイナーアイドルの愛照の方が、グッズの売上や知名度アップに必死で、優子は全く気にしていなかった。
今はフロイライン!という硬派なアイドル昇格が約束されている愛照は、グッズとかを気にする事なくパフォーマンス向上に専念している。
優子の場合、知名度不足ではないし、ライブグッズは売れている人気メンバーではあるが、接触イベントでの人気が極端に偏っていて、それを悩んでいた。
(立場って変わるものなんだなあ)
そんな女子アイドル同士の会話に割り込んで来たのは、若き世界的ピアニストの堀井真樹夫である。
「困ってるようだね。
僕でよければ、協力するよ」
更に、普段は「お前らとはスクールカーストが違う」と馬鹿にして来る「セレブ」組の面々も
「まあ、我々には余裕があるし、協力してやっても良いな。
後で(音楽のテストとかで)借りは返して貰うけどね」
と口を挟んで来る。
「この場は素直に助けてもらうわ。
皆、ありがとうね。
自力で何とか出来るようにするから、今回は借りを作るわ」
そう言って頭を下げれるくらいに、優子も人間的に成長していた。
こうして握手会やオンラインサイン会は、完売の部が出るくらいには売上が伸びる。
だが……
(スマホのアプリ越しに)
「あのさあ、堀井君……。
音楽談義ならいつもクラスでしていない?」
「いやいや、そのアイドル衣装の天出さんを見るのも新鮮だし、こういう場でピアノ協奏曲第27番について語るのも面白いと思ってね」
別の部では
「天出優子さんですね、弟が迷惑を掛けているそうで」
「ああ、いいえ、気にしていませんし、こうして助けて貰ってますし」
「天出さんは能楽についても造詣が深いとか。
是非お話ししたいと思いまして……」
と、こんな感じで「濃い専門的なファン」が数人増えただけであった……。
おまけ:
もしも有名音楽家と握手会が出来たなら。
初級
シューベルト「あ、あ、あ……ありがとうございます……」
(人見知り発動で、以降沈黙)
ヲタ(塩対応だよなあ……)
中級
ワーグナー「握手券20枚まとめ出し以外は、我が輩と握手する資格は無いぞ!」
ヲタ(傲慢にも程があるだろ!
まあ、らしいと言えば、とても彼らしいが)
上級
シューマン「君、握手する手に画鋲仕込んでないか?
ああ、死にたい、でも死にたくない。
うわあああああ」
ヲタ(不思議ちゃんどころじゃない情緒不安定で怖いわ!
こっちまで病みそうだよ)
超上級
スタッフ「メンデルスゾーンさんは、過労による体調不良で本日の握手会は急遽中止です」
ヲタ「握手すら出来ないのかよ……」
(ネタ的にメチャクチャ誇張しました)




