クラシックの道、ポップミュージックの道
「女好きのアイドル・天出優子が男と一緒に居る?
これはスクープだ!」
となりそうなものだが、ここにパパラッチは居なかった。
居たとしても、おそらく恋愛とかそういうのとは結びつけなかったかもしれない。
優子の方は楽しそうに見えないし、男子の方も何とも言えない微妙な表情をしていた。
明らかにデートという雰囲気ではない。
それでも、一緒に居るのが若手ピアニストとして世界のコンクールで名を売っている堀井真樹夫と知れば、それなりに騒ぎになったのだろうが、ここに居る客は全くそれに気づいていなかった。
「で、何か聞きたい事があるの?」
優子の方から切り出す。
優子は、女子校育ちのお嬢様のように、男性が苦手なのではない。
必要があれば微笑みかける、仲良くするくらいの融通は利く。
女性が大好きなだけで、男性への態度は普通なのだ。
「あー、えーっと、天出さんはどうしてアイドルなんかやってるの?」
その質問を聞いた瞬間、優子の目が鋭くなる。
人目を憚って、怒っている時でも顔は笑ってみせる武藤愛照と違って、優子の場合は感情が表情に出やすい。
「あ、ごめん、別にアイドルを馬鹿にするつもりはないんだ」
アタフタする堀井。
そんな堀井を見ながら優子は溜息を吐きつつ
「別に繕わなくても良いよ。
そういう事、言われ慣れてるから。
私のパパがそういう考えだからね。
まあ、パパは音楽全体を『人生の優先度から言って、下から数えるもの』って思想だけど」
「それは違うよ!
音楽は人生を豊かにする。
心に潤いを与え、精神を活性化し、または安らぎを与える。
音楽が無い生活とか、無味無臭でつまらないものになるよ」
「そこは同じ価値観のようね」
「そうなんだ、嬉しいな」
堀井の表情もコロコロ変わっている。
この辺、如何に国際コンクール等に出場する新進気鋭のピアニストで、肝が据わっている音楽家の顔とは違う、女の子を目の前にした年頃の少年っぽい。
「アイドルの音楽も良いものだと思うよ。
下手くそなのは聞くに堪えないけど、上手い歌とダンスは一つの芸術作品だ。
あの『あれはっ! キラキラだあ~』って歌とか、タイトルはふざけてるけど、音楽は良いなと思った!」
「……それ、うちのライバルグループ『フロイライン!』の曲だよ」
「あ、ごめん!
本当にごめん!」
「だから、繕わなくて良いから、本音で話そうよ。
何が言いたいの?」
「いや、本題はこれじゃないんだけど……。
まあ、いいか。
天出さん、クラシックの世界に来る気は無い?」
「無い」
「どうして?
確かに歌っても踊っても輝いているし、人を熱狂させて凄いとは思う。
だけど、君の才能はオーケストラとかで発揮されるんじゃないか?
小学生の時に打ちのめされて以来、ずっとそう思ってたんだけど」
「飽きた」
「は?」
優子はそれ以上は語ろうとしなかった。
本当は飽きてはいないし、前世で散々手掛けた音楽だから、愛してもいる。
だけど折角転生したのだ、前世ではしなかった事をしたいのだ。
高尚な音楽はそれはそれで必要だ。
音楽を格付けするなら、A級ってやつだろう。
芸術という観点からなら、それが人類の文化を高めるものとなるだろう。
だが、今の天出優子がしたいのは、B級やC級の音楽なのだ。
正装して嗜むような音楽ではなく、オタ芸をしながら盛り上がるような音楽。
ついつい、不協和音を通り越した雑音のような歌声に厳しい事を言ってしまう時もあるが、基本的には
「楽しければそれで良い」
というのを、転生後は追い求めたい。
だが、これを説明しても信じてはもらえないし、また面倒臭くもある。
だから
「飽きた」
と一言で切り捨てたのだ。
その辺の機微を、流石に14歳の少年は察せられない。
「飽きた」という言葉にもめげずに、説得のように力説する。
「いや、クラシックの世界は奥深いよ。
世界には色んな作曲家がいて、様々な音楽がある。
飽きたなんて、そんな事言っちゃいけないって!」
「それは、アイドル……というか、ポップミュージック全体にも言えるよね。
世界にはどれだけ多くの、大衆向け音楽があって、それを楽しむ人がいると思う?
クラシックを楽しむ人よりも、こっちの方が人数なら多いよ」
「だけど、もったいないよ。
君の才能なら、どれだけ世界から賞賛されるか。
僕よりも余程上位に行けるって、断言出来る」
「うーん、堀井君、聞いていいかな?」
「何ですか?」
「君は、名誉とか賞賛とか順位の為に音楽をやっているの?」
「あ……、ええと、その……」
「取り繕わなくていいってば。
うちのプロデューサーなんか、堂々と『金儲けが大好きだ』って言ってるし。
ヘンデルのおっさんなんか、凄いビジネス上手だったしなあ」
「ヘンデルって、オラトリオ『メサイア』のゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル?」
「そう、そいつ」
「そいつって……、まるで知り合いか何かのように……」
「金を儲けたい、栄誉を得たい、良い生活をしたい……そう思って這い上がった音楽家なんて腐る程いるし、君が順位の為に音楽をしていたって、それは恥じるような事ではないからね」
「いいや、順位は結果に過ぎない!
僕はもっと、優れた音やリズムを追い求めて音楽をやっているんだ。
そして、モーツァルトとかシューベルトとかラフマニノフとか、そういう境地に辿り着きたい」
「辿り着いて、どうするの?」
「えーっと、そこまでは考えてないな。
辿り着いてから考えるとするよ。
だって、僕はまだまだ足元にも及ばない存在だから」
その回答に、思わず優子は吹き出す。
若いなあ、青臭いなあ、でも真っ直ぐで良いなあ、と思った。
だが、笑ったのはその意気が滑稽だったからではない。
ちょっとズレていたからだ。
「あのさあ、堀井君。
今名前出したのは作曲家じゃないの。
君は演奏家でしょ。
そもそも職業が違うんだから、彼等と同じ境地に至っても、見える景色は全然違うんじゃない?」
堀井は頷く。
むしろ得たかった答えを聞けたようで、嬉しそうでもあった。
「そう!
確かに僕はピアニストで、演奏しているだけだ。
でも、いつか自分の曲を作りたい。
後世に名を残すような名曲を!」
「へー、頑張って」
「だから、君にクラシックの世界に来て、僕と競い合って欲しいんだよ」
「え?
えーっと、言ってる事は分かったけど、話が飛躍し過ぎている。
なんで私と競い合わないとならないの?」
「君は、まだ全ての才能を見せてはいないでしょ」
「はあ……」
(まあ、確かにそうだ。
私の興味は今、クラシックの方に向いていないから、そっちで全力を出していない)
「一回聴いただけで曲を覚え、それを自由自在にアレンジする。
そんな才能の持ち主が、作曲出来ないわけがない」
「それって、貴方の考えですよね」
(間違ってはいないけどさ……)
「でも、僕は君には才能があると思っている。
だから、全部の話はここに繋がる。
僕は君にアイドルではなく、クラシックの世界に来て欲しい。
クラシックの世界で、作曲とかで才能を発揮して欲しい。
僕も同じ道を行くから、競い合いたい。
いや、僕は足元にも及ばないかもしれないけど、君を見ていたら、ずっと高みに上れるかもしれない。
だから、僕の音楽家としての最終目標は、さっき挙げた作曲家のようになりたいって事だ。
クラシックの世界に来て欲しいんだ」
天出優子は今度は軽々しく「嫌だ」とか「飽きた」等とは言わない。
この少年の熱弁、中々胸に響くものがある。
軽い態度で断るような、音楽家としての先輩にあるまじき事は出来ない。
「考えておくよ。
アイドルって、余り長い時間出来ないみたいなんだ。
私がアイドル人生を終えて、それでもまだ、同じ事を言っているなら協力しようか」
「本当に?」
「アハハ……私に対して買い被りだったって失望してるかもしれないし、君自身が数年後に、自分が言った事を後悔してるかもしれないよ。
だから、今本当でも、将来も本当とは限らない」
「それでも、協力してくれるってだけで嬉しいよ」
「まあ、数年後の事はさておき……」
「うん」
「そろそろこの店を出ようか?
結構長い時間いるし、ドリンクバーだけで粘るのもねえ……。
なんかお客さん増えて来たから」
「あ、そうだ。
君を家まで送っていく最中だったんだ。
ごめん、引き止めてしまって」
「うん、それはいいよ。
じゃ、ここの支払いお願いね」
そう言って店を出る2人。
傍から見れば、
「付き合って!」
「じゃあ、数年後ね」
「やった!」
「まあ、来年になれば心変わりしてるんでしょ」
と、脈無しの男女の受け答えになるのだが、鈍感男と色恋沙汰には興味がない女性(中身は男性)だけに、これで良かったようだ。
そして天出優子は密かに思っていた。
(数年後なんて、悠長な事を言わないで、思い立ったら吉日とか日本のことわざがあったよな。
作曲の手ほどきくらい、明日からでもしてやろうか。
ドリンクバーの代金くらいは奉仕してやろう)
随分と価値のあるドリンクバー代であった。
おまけ:
あの世にて。
リスト「ところで、皆さんはなんで音楽家になったんですか?
とりあえず私は、私の才能を世に知らしめ、超絶技法で人類を幸せにする為だが」
ワーグナー「我が輩の才能を埋もれさせたら、人類の損失であろう?
なるべくしてなったのだ!」
マーラー「我が感情を表現する為だ!
我が感情を表した交響曲とか、最高だろ?」
ベルリオーズ「私の情熱を表現する為だ。
ところで、私の曲を理解出来ない奴とか、最悪だな」
シューベルト「あの……僕は……ピアノが好きだったから……」
一同(なんでこんなに人見知りで、自己顕示欲が無い人が音楽家やってるんだろう?
自分程才能が無い音楽家でも、大体は我が強くて、目立ちたがり屋なものだが……)




