神の使い、再び
(どうにも不快だ……)
天出優子はパジャマ姿で不機嫌になっている。
最近あった色々な事が理由ではない。
そんな過去の話、もう気にしていない。
原因は非常にデリケートなものである。
女の子なら、月に一回は来るアレの痛み。
(女に生まれ変わって13年……。
こうなるってのは分かってはいたけど、いざなってみると実に不快だ。
慣れない。
女性ってのは、こういう不快さに毎月耐えていたのか)
男性だった前世の自分は、こういう時に随分と無神経な発言をしたように思う。
反省はするが、もう百年以上前の話だし、今更何も出来ない。
頭から追い出そうとするも、体調不良のせいか、中々出ていかない。
「それが女性というものだよ。
いくら君が男性だった時の記憶と意識を持っていても、身体は正直なものだ」
「どこのエロゲやエロ漫画の台詞だよ!
あんたが神の使いってのも、怪しいよな」
いつの間にか枕元に現れ、自分を見下ろしている前世の自分。
以前も現れた「神の使い」とやらの現身である。
18世紀のウォルフガング・モーツァルトの姿で、こちらを憐れむように見ていた。
「満足かね?
君の才能に委縮してしまい、自分が進む道を変えてしまった人間が出ているようだね。
そりゃ作曲ではなくても、幼くして声楽や演奏をマスターした天才・モーツァルトに普通の人間は勝てるはずがない。
思う存分、才能で叩きのめし、気分も良い事だろう」
「フフフ……」
「面白いか。
神より与えられた才能を己の欲のために使い続ける男よ。
数多の少女を失望させて、人生を弄ぶ。
知っているかね?
君は『天才』『神童』と呼ばれていたが、一部では『悪魔』と評する者もいるのだぞ」
「笑ったのは、自称『神の使者』、あんたの表面しか見ないその目に対してだ。
あんたが『神の使者』とか、本当に信じられないな」
「何だと?」
「確かに私の才能のせいで、進路を変えた少女たちがいる。
本人からそう言われたのだから、私の驕り高ぶりでの事ではない。
だが、彼女たちが哀れとは思わないね。
彼女たちは、音楽を嫌いにならなかった。
別の形で引き続き音楽に関わると言っていた。
確かに、アイドルになるという道は諦めた。
だが、この時代のアイドルという歌手は、ほぼ全ての者が遅かれ早かれ次の道を探すものだ。
それが早まっただけだぞ。
もし私のせいで、音楽なんか聴くのも嫌だ、なんて事になったら、一音楽家としてこれ程悲しい事はなかった。
そうでは無かった。
ならば、私の行いは天に恥じる事など無い」
「そのような些末な事を言ってはいない。
お前という異分子が入り込んだ事で、人々の運命が歪められている事を詰っておる。
せめて才能を見せず、ただの小娘として生きていたなら、これ程他人に影響を及ぼす事もなかった。
前にも言ったが、お前という才能がこの世に存在している事こそが罪なのだ」
「随分と私も過大評価されたものだな。
私の先輩……フフフ……時代から言えば遥かに後輩なのだが、その人が言っていたよ。
過去にも同じように、圧倒的な才能を前に挫折して、違う道を歩んだ者が存在したと。
その者も、私と同じように他人の運命を歪めた悪なのかね?
違うだろう。
確かに私はこの世に存在してはならない異常なのかもしれない。
だが、同じような障害は他にもあり、いずれ彼女たちは同じように挫折しただろう。
私の才能を前にしても、ひるまずに進む者もいる。
私の影響など小さなものだ」
「お前は、お前の凄さを分かっていないのか?」
「分かっているさ。
控え目に言って、私は天才だよ。
この時代ではクラシックなんて呼んでる、私が積み上げた技術はあえて捨てて、リセットした人生を送っているが、それでも私は天才だ。
もし私が、彼女たちを潰しに掛かったのなら、それは哀れな事になっただろう。
だが、私は彼女たちを潰そうとは、一度も思わなかったし、そうした事もない。
彼女たちが私と競い合ったのだ。
そして、並んで走る事に疲れた者が、違う道に進路を変えただけ。
彼女たちは言っていたよ、私と競えて良かった、と。
そう言って貰えた事は、ウォルフガング・モーツァルトとしてではなく、その才能と人格を受け継いだ天出優子として光栄な事だ」
「だがお前は、いずれ挫折するにせよ、それより早い時期に壁として立ちはだかってしまった。
ただの壁ならまだ良い。
お前はアイガーの北壁のようなものだ。
挑む者を阻む、巨大な壁だ。
本来有り得ないそんな壁によって、敗者となった者の気持ちを考えよ」
「知ってるか?
アルプスのあの巨大な山は、とっくに攻略されてるんだよ。
前世の私が死んだ後の事だけどね。
まあ、言いたい事はそういう事ではないのは分かるよ。
これも前に言った事だけど、君は価値観のアップデートが出来ていない。
敗者を哀れと感じている。
違うよ。
それで挫折して、立ち直れないなら、確かに可哀想だ。
だけど彼女たちは違う。
それでもなお、音楽が好きで、音楽に関わろうとしている。
勝敗で言ったら、これは音楽の勝利だ。
私や彼女たちの勝ち負けなんて、どうでも良い。
勝負なんてしたつもりはないが、それでも彼女たちを敗者というなら、それでも良い。
それを糧にして次に繋げられるなら、敗北は敗北に非ず」
「詭弁なり」
「価値観が古く、一元的だ。
これも私の先輩……の言葉だが
『熱い少年漫画を読め、そこには色んなものが詰まっている』ぞ。
その漫画の中で、こう教えている。
『力の全てを出しきっての敗北ならば、なんら恥じる事はない。
負ける時は力の全てを出しつくして思いっきり負けなさい。
そうしないと、絶対に今より強い自分にはなれない』
『負けは弱さの証明か?
そこに這いつくばったままなら、それこそが弱さの証明』
『負けた事があるというのは、いつか大きな財産になる』
どうだ、様々だろう!
負けを無様なものと思い込む、その頑なさが諸悪の根源だろう。
勝ち負けで、勝者には祝福を、敗者には慈悲を……それがもう自分勝手な価値観だ。
私は転生して13年、色んな事を学んだのだよ」
「……勝って叩きのめしてばかりの者に言われても、説得力がまるで無い。
まあ良い。
お前が全く変わっていない事を見られた。
哀れに思う」
「余計なお世話だ」
「余計なお世話ついでに、残酷な事実を告げよう。
君の人格は紛れもなく男だ。
だが身体は女性だ。
今も月に一度の苦しみを与えられている。
君という人格が生きているせいで生まれなかった、その身体本来の人格。
それが逆襲でもするかのように、君の身体は女性としての成長をし、君は精神と肉体のギャップに苦しむ事になるだろう。
素直に人格を明け渡し、君自身は天に還った方が、苦しまずに済むだろう」
「へえ、そいつは面白い」
「愚かな。
神が定めたもうた、男と女という性の狭間にありて、お前は悩み苦しむのだぞ」
「これも前に言ったよな。
本当に古い。
精神と肉体のギャップに苦しんでいる人は、既に存在しているんだ。
それを懲罰というなら、神ほど無慈悲な存在はいないな」
「不敬な」
「私はこのような状態をも楽しんでいる。
私は苦しいとは思わない。
手術して男になる方法もあるが、折角の女の子の身体なんだし、それこそ祝福なんだから、このまま生きる事にするよ。
そして、さっきから思っていたが、やっと言語化出来たから言ってやる。
人が自分で考えて決めた事を、上から目線で『哀れ』とか『苦しむ』とかと断じるな。
私がこの精神と肉体で、時に苦痛を味わいながらも、このままで生きようと思うこと。
私のせいで違う道を歩もうと決めた者。
どっちも自分の意思なのだ。
あんたが本当に神の使いなのだとしたら、神に伝えよ。
神は迷える子羊の背中を押せば良い、覚悟完了した者を惑わすなら、それは悪魔の所業だとな」
「相変わらずの神を冒涜するその舌、許し難い。
だが、神は寛容である。
またお前という許されざる者をあるべき姿に救済し、その肉体に本来の心が宿るよう、何度でも来て働きかけようぞ」
「塩撒いて追い出すとするか。
いや、塩は魔物に対しては有効だけど、神には効果が無いな。
もう来ないよう、何か効果的なものが無いか調べるとするか」
それから先は記憶が無い。
目が覚めたら、もう朝で、腹部の痛みは嘘のように治まっていた。
「さて、学校行って、その後はレッスンにでも行きますか」
昨晩のやり取りを気にする事もなく、優子はまた新しい日常を始めるのであった。
おまけ:
短いですが、第3章はここまでとします。
さっさとデビューさせて、話を進めますので。
出会いと別れは、「間奏」として書きたかったのですが、あくまでも間奏なのでこの辺で。




