木之実狼路と梅枝雲井
「天出さん、この後一緒に食事に行きませんか?」
ある日のレッスン終わり、照地美春にベタベタ可愛がられて困っていた天出優子に、今年でのスケル女卒業を発表した八橋けいこが話しかけた。
八橋けいこは、メンバー最年長の灰戸洋子に次ぐ年長メンバーである。
「変態X」こと照地美春も、一目置いて行動をやや控える大先輩だ。
優子は
(助かった)
と思いつつも、今まで余り交流が無かった大先輩からの誘いに困惑していた。
八橋けいこはメンバー2番目の年長者で、年齢は30歳になる。
日本のアイドル業界で、三十路はいじられる対象だ。
実際、最年長の灰戸洋子は年齢いじりをされまくっている。
本人がそれを美味しいと思っているから許されてはいた。
しかし、八橋に対し年齢いじりをする人はいない。
何とも言えない品があり、変人が多いスケル女や、変人の上に奇人がつく姉妹グループの面々も、八橋の前では大人しくなる。
だからといって堅苦しい人物ではなく、関西にある女性だけの歌劇団の熱狂的ファンで、「少年漫画派」とされる優子を、自派閥に勧誘したりする面もあった。
また、妙な人脈があり、優子が「ファンの熱気に乗せられ、全力を出し切ってしまう」悩みを抱えた時に、謎のギャンブラー住職を紹介したりもした。
彼女が卒業する理由は、年齢的な衰えであった。
人気メンバー「7女神」に数えられてはいるが、最近は新規のファンが着いていない。
古参の熱狂的ファンに支えられている状況で、新規のファンが常に着く照地美春や帯広修子、更に伸び盛りの富良野莉久に押されていた。
そして、戸方プロデューサーが思いつき、振付師のKIRIEが進めるレベルアップと、高難易度ダンスを学ぶ路線。
これに体が着いて来ないと感じたのだ。
元々日本舞踊をしていて、ダンスのレベルは高かったのだが、衰えというものはやって来る。
どうもそれが彼女の場合早かったようで、昨年には限界を感じていたようだ。
(一緒に歩いていて、ちょっと恥ずかしい……)
八橋に連れられて歩く優子は、ガランゴロンと鳴る足音に難儀していた。
変人が多いスケル女。
彼女の例外ではなく、例の筋力増強の為の手足の重りを、
「この方が良いから」
と鉄下駄にしていたのだ。
それで町中を歩くのだから、変な目立ち方をする。
アイドル好きなら誰がそんな変な履物で歩いてるのか分かるが、知らない人は目を背けていた。
「さて、このお店にしましょうか」
入店しようとして、その履物は床を痛めるとか色々言われるも、持っていたスニーカーに履き替えて事無きを得る八橋。
(あるなら、最初からその靴にしようよ)
と内心でツッコミ優子。
まずは店に入り、好奇の視線と、そこから転じての「目を合わせちゃいけない」という空気から免れられてホッとした。
「単刀直入に言うね。
木之実狼路って、どういう意味?」
「はえ?」
食事のオーダーすらしないで、八橋はいきなり尋ねて来た。
木之実は「モーツァルト」の家名の由来、狼路は「狼の道」という、いずれも前世の自分の名前を使ったペンネームである。
天出優子は、木之実狼路名義で編曲や作曲を行い、アイドル活動のギャラとは別の報酬を得ていたのだ。
だがこの事は、メンバーには話していない。
ただでさえ音楽の才能に怯えられてしまう。
最近は皆も慣れて、普通に接しているが、また何か言われるのも嫌なので、あえて言わない事にしていた。
まあ、隠したいというのではなく、そういう活動もしているとわざわざ言う気が無いだけ。
聞かれたら答えても良い。
別に悪い事をしているのではないのだから。
自分の前世とは言わず、尊敬するモーツァルトの名前を使ったペンネームだと答えた後、逆に質問した。
「その名前を私にぶつけて来たって事は、私が編曲とかしてるのを知ってましたね?
誰から聞いたんですか?
スタッフさんですよね」
その問いへの答えは、優子には意外だった。
直接的な回答ではない。
「私も梅枝雲井というペンネームで、スケル女グループの作詞に関わっているのよ。
そういう関係だから、教えてもらえたんだ」
八橋は日本の芸術についての才能がある。
日本舞踊や謡をベースにしたアイドルのダンス・歌が出来たが、他にも華道・茶道・香道・歌道、更に剣道・柔道・合気道・弓道をも嗜む。
和歌、俳句、古典文学の解釈は、大学院の文学専攻並かそれ以上であった。
それもあって、スケル女グループの歌詞の添削から始まり、一部の作詞まで担うようになった。
そして大学院の教授の薦めもあって、文壇デビューもした。
その際、筝曲の「梅が枝」と「雲井の曲」から取ったペンネーム「梅枝雲井」を使ったのだ。
八橋は優子にこの事を明かした。
(私だけではなかったのか)
優子は、自分たちのグループの多才さに驚く。
本当に色んな人材がいたものだ。
そして、八橋とはお互いが知らないまま、広島の姉妹グループ「アルペッ女」の楽曲「ぬばたまの……」の作詞と編曲で合作していたのだった。
(本当に面白い。
こういう才能豊かな女性が活躍しているグループ。
私は改めて、面白いグループに入ったものだ。
……才能の分、どこかおかしい女性が多いのも面白いとは思うが)
「でね、私はもう、体力が戻らなくなって来た。
コンサートを続ける事は出来るけど、次の日は本当に動けない。
だから、土日のコンサートは難しい。
今はまだ何とかなっているけど、来年はもう無理だと思う。
再来年になれば、その日の内に倒れてしまうかもしれない。
そんな無様な姿をファンに晒すよりも、まだちゃんとやれる内に、惜しまれながら引退したいと思った」
八橋の言葉を、優子は黙って聞いている。
この女性は、自分とは逆なのだ。
優子はまだ幼く、中学の同級生に「ロリ」と呼ばれるくらい体も小さい。
身体に蓄えられているスタミナみたいなのが少なく、全力で踊るとその日の内にバテる。
しかし、一晩休めば翌朝にはケロっと回復している。
だから、身体が小さいのは今後の成長次第ではあるが、スタミナについては増強するよう努力していた。
こと音楽に関する限りは努力を惜しまないのが天出優子なのだ。
逆に八橋は、現在の身体にあるスタミナは今は十分で、激しいダンスにも長丁場のライブにも着いていける。
しかし、回復出来なくなって来た。
やがてその日のスタミナも減っていく、そう自身を見ていた。
「まあ、そんなわけだけで引退だけど、スケル女……というかアイドル業界から身を引くつもりはなくてね。
理由は分かるでしょ?」
「はい」
自分の編曲家の素性を探っていた事と、八橋が実は作詞にも関わっていた事実を明かした事、これで何が言いたいか分からない程愚かではない。
「というわけで、いつか私が作詞した歌に、天出さんが曲をつけてね。
二人で楽曲を作りましょう」
「えーっと、戸方Pはこの場合、どうなるんですか?」
「むしろプロデューサーの方から、自分を脅かすくらいの歌を作って欲しい、その方が面白いって言われてるよ」
(あの男、器はかなり大きいんだよな)
様々な才能や変人を放し飼いにしているプロデューサー。
彼が居るお陰で、皆が生き生きとしているのだろう。
「予約したからね」
「まあ、その時が来たら」
「その時は、そう遠くないと思う。
天出さんも、自分の作品……いや、自分が思った表現で作った作品を世に出したくなると思うよ。
プロデューサーが考えたコンセプトに沿ったものでなく、フリーハンドで作ったものを」
「フリーハンド……」
今はまだピンと来ていない。
前世でもそうだったが、依頼を受けて曲を作る、それでなくてはお金が得られず、音楽家は生活が出来ない。
自由に音楽を作り、それでも世に受け入れられ、大金を稼げる経済学を消化する事は、転生後13年しか生きていない18世紀人にはまだ早かった。
いずれにしろ、数ヶ月後の卒業生は優子に、この時代の音楽ビジネスの種を蒔く事をしたのであるが、それが芽吹くのはまだまだ先の事であった。
おまけ:
八橋けいこの元ネタは、日本の音楽家・八橋検校でした。
現実世界のモデルは、京都出身のアイドルのY山Yさんと、作家デビューしたT山さん。
スケル女自体が複数のアイドルグループ混ぜ合わせたものですが、こういう才能持ちは坂道グループから来てます。




