交代
それは天出優子たちが予想していなかった事だった。
全体レッスン後、スケル女リーダー馬場陽羽が全員を集めて告げる。
「私はリーダーを降りて、辺出ルナと交代しようと思います」
周囲がざわつく中、7女神と呼ばれる人気メンバーたちは冷静だった。
「やっぱ、きついか」
「うん。
今までだったらともかく、KIRIE先生になってからのダンスはね」
「まあ、リーダーやりながらだと、鍛え直す時間とか少なくなるしね」
「私も25歳超えて、体力の衰えが出てるのよ」
「ちょっと待って!
それ、今年32歳になる私の前で言う?」
7女神ではないが、人気メンバーでグループ最年長の灰戸洋子がツッコミを入れ、7女神たちは爆笑していた。
しかし、特に入ってから年がそう経っていないメンバーはそうもいかず、ざわついている。
7女神の一人、照地美春は一番若くて歴が浅い為、本来同じように動じても良いのだが、落ち着いていた。
彼女はボソっと
「もう3年リーダーやってましたもんね」
とつぶやく。
馬場から辺出へのリーダー交代の理由は、本人が鍛え直したいという事もあるが、やはりリーダー期間が長かった事もあった。
スケル女リーダーは別に任期制ではない。
やりたかったら終身でも可能だ。
だが、普通2年くらいで、リーダーのメンバーは卒業してしまう。
それでそれくらいがリーダーの期間と、暗黙の内にメンバーもファンたちもおもうようになっていた。
馬場陽羽は歴代でも若くしてリーダーになっている。
それは彼女が類稀なる努力家だったからだ。
良いお手本として若いメンバーを背中で引っ張る。
自分が苦労して歌もダンスも上達したから、出来ないメンバーに対しても目が行き届き、時には慰め、時には厳しい言葉を使ってでも激励し、時にはトレーニング方法を考えてやる。
それで運営の方も彼女を信頼し、3年リーダーを任せていたのだ。
「正直、私がリーダーの体制もマンネリだと思うんだ。
ここらで変化をした方が良いと思う」
馬場本人の口からそれを聞くが、若いメンバーはまだ不安そうだ。
「大丈夫。
私、まだ卒業しないから。
まだスケル女に残るからさ。
リーダーは代わってもらうけど、リーダーに何もかも任せず、協力するよ」
その言葉で全員がホッとした。
信頼置ける人が卒業だと、かなり寂しいものであろう。
(しかし、凄いなあ、この国は)
前世の記憶を持つ優子は、この交代劇を見てそう感じていた。
彼女の前世、天才音楽家モーツァルトだが、彼は宮廷音楽長にはなっていない。
彼がオーストリア皇帝に仕えた時の音楽長は、アントニオ・サリエリである。
サリエリは、前任のジュゼッペ・ボンノの引退に伴い、音楽長に就任した。
ボンノが引退したのは78歳の時で、引退したその年に没している。
それまで14年に渡ってその任にあった。
ボンノの前任はフロリアン・レオポルト・ガスマンという音楽家だが、彼が44歳で急死しての交代である。
つまり、音楽長は引退するか、死ぬかしないと交代しないようなものだ。
まあ皇帝の機嫌を損ねて解任される事もあるかもしれない。
それはアイドルでは、卒業と言わない「脱退」に相当する事案である。
音楽長が「自分も長く勤めているし、そろそろ雰囲気を変える為に交代したい」なんて言い出す事は聞いた事がなかった。
もしそういう事が許されるなら、もしかしたらモーツァルトにその任が回って来たかもしれない。
史実では、若いモーツァルトの方が音楽長サリエリより早く亡くなり、音楽長になる事はなかった。
音楽だけの話ではない。
モーツァルトが転生して見た日本という国は、皇帝(天皇)が死亡によらない交代をする国なのだ。
歴史上でも、つい先日の事でも。
これは衝撃的である。
オーストリア皇帝、モーツァルトの時期は形骸化してはいたが神聖ローマ皇帝は、神の代理人たるローマ教皇によってその地位を授けられ、死ぬまでその任にある。
歴史上、稀に破門されて地位が危うくなったり、奪われたりする事はあった。
当然、その皇帝は地位を守る為に必死になり、血生臭い事も起こる。
皇帝を辞めた、辞めさせられた場合、「療養が必要」という理由で幽閉されたり、実際に健康を害していた場合は余生を過ごす事を認められたりと、表舞台からは完全に姿を消す。
そういうものだと、ヨーロッパの人間は思っていた。
だが日本では違っていた。
引退した皇帝が、生きて余生を過ごすだけでなく、それなりの仕事もしている。
太上皇帝、即ち「上皇様」と呼ばれ、敬意を払われる。
優子には難しい日本史の勉強で見たが、上皇や宗教界に入った法皇という「元」皇帝が実権を握り続ける事もあった。
これは天出優子にとって暗記が難しい事ではなく、実感として理解し難い事だったのだ。
皇帝だ、宮廷音楽長だという大層な話ではない。
だが優子は、物凄く身近で起こった交代劇を見て、改めて衝撃を受けていた。
(こういう交代も有り得るんだ……)
もし前世において、サリエリが
「この男の方が才能が上だから、宮廷音楽長に推薦します。
私もまだ音楽家としてやりたい事があるので、宮廷に残って音楽家を続けます。
若い彼が苦労しないよう、前任として補佐もしていきたい。
一緒に陛下の為に働こう」
なんて言っていたら、まだ違った人生が歩めたのかもしれない。
壮大な述懐から、現実に意識が戻って来た。
辺出ルナが新リーダーとして挨拶を始める。
「まあ正直、私も馬場とは同い年だから、体力的には似たようなものだよ。
私も皆を指導して、上達させられるような大した技術は持っていない。
だから、やる事は同じだね。
一緒に頑張ろう。
私と皆は、大体同じスタートラインに立っているようなものだからね。
ちょっと私と馬場は歴が長いってだけの事。
それでも、何かあったら頼ってね。
私だけでなく、馬場も残るって言ってるんだし、聞ける人が増えたと思ってさ」
これも歴史から見れば面白い事かもしれない。
ヨーロッパでも兄弟による二人同時の国王とかは存在した。
だが、血縁でもない限り、複数の君主が並び立つと戦争が起こる。
日本のように、上皇のような存在がいると、現在の国王は目障りに思う。
そこまで話を大きくしなくても、リーダーが代わったなら、前任とは違う色を出したいというのが人間の常とも言えた。
それが協調し、前任の路線を大きくは変えずにやっていくという。
(こういう人間関係があるなら、私も前世でギスギスした事もなかったなあ)
まあそれは、当時の音楽家の地位が給仕よりも低かったり、モーツァルト自身の性格が敵を作ってしまう以上、難しい話だろう。
どこぞの独立活動もしていた音楽家から見れば「ぬるい」アイドル業界の、それもごく一部の話であって、日本ならでは風景とも言い難い。
日本だって、前任と無理にでも変えて自分の色を出し、混乱させるケースは多々あるのだし。
平和な政権交代なんて、滅多になかったりする。
と、妙な所で感動していた優子を、再び現実に引き戻す発言が聞こえて来た。
それは辺出ルナがリーダーとなっての初仕事ともなる。
7女神の一人、京都出身の八橋けいこ。
ペンネーム「梅枝雲井」名義で、スケル女グループの作詞にも関わる女性である。
その八橋の卒業が、本人の口から語られた。
「まあ、まだ卒業ライブまでは何ヶ月もあるし、今悲しむ事はないから。
泣いてるより、良い卒業をさせられるよう、皆でやっていこうよ」
新リーダーはそう言って、立て続けのニュースに揺れ動く歴の浅いメンバーたちに発破をかけるのだった。
おまけ:
死者の国にて。
カラカラ帝「我々も共同統治とかしたぞ!」
→その後、共同統治者たる弟ゲタを暗殺。
ディオクレティアヌス帝「そうだとも。
共同統治にしないと、国を治め切れん」
→結局内乱勃発。
コンモドゥス「共同統治だと、父が生きている間に政治を学べるからねえ」
→父が死に単独統治になった途端、何故か剣闘士化。
以上、お前が言うかシリーズでした!




