研究生からも
「なあ、ちょっと話があるんやけど」
天出優子は、同じスケル女研究生同期の盆野樹里から話しかけられた。
優子だけでなく、同じく同期の安藤紗里、斗仁尾恵里もである。
遊びに行こうとか、そんな雰囲気ではない。
ファミレスに入った4人。
重めの空気の中、盆野が口を開いた。
「うちなぁ、スケル女研究生を辞めよう思てん」
沈黙が場を支配する。
紗里・恵里コンビは泣き出していた。
ライバルグループのフロイライン!程ギスギスしてないにせよ、グループ内のアイドルはライバルでもある。
まして、研究生は全員昇格出来るとは限らない。
ライバルが減るのは、本来嬉しいはずだ。
だが、人間関係は理屈ではない。
彼女たちはライバルでもあるが、仲間であり、同志でもある。
更に同期というのは、なんとも言えない連帯感を持つ存在だ。
その同期が辞める、泣き出すのも分かる話だ。
「レッスンに着いていけないの?
それとも別の理由?」
こういう時、男からの転生体で、意識の中に男性的なものが9割残っている優子は冷静だった。
彼女にも同期に残って欲しいセンチメンタルな部分はある。
だが、辞めたいというのを引き留めも出来ない。
男のドライさと言えよう。
「両方かな」
盆野は落ち着いて語る。
「うちなぁ、レッスンがしんどいとは思てんけど、それで辞めたいとは思てへんねん。
むしろ、上達してるのが分かって、嬉しかったんや。
せやけどな、これやと優子ちゃん、あんたには勝てへんのや」
「私?」
「せや」
「私のせいで辞めるの?」
「ちゃうちゃう。
うちはあんたと会えて良かったと思ってるんよ。
歌は上手いわ、リズム感は良いわ、それでいてうちらにも教えてくれるけど、教え方も上手いわ。
ちょっとセクハラが酷いけど、それも慣れたしな」
「じゃあ、なんで?」
「うちもな、負けず嫌いなんよ。
同じ道歩いてたら、優子ちゃんが絶対前にいる。
それは悔しいやん」
「……よく分かる」
「でもなあ、それが決定的理由ちゃう。
スケル女が目指している路線は、優子ちゃんには合ってると思うけど、うちがやりたいアイドルとはちょっと違ってん」
「樹里ちゃんがやりたいアイドル……」
「あ、肝心な事言うてへんかった。
私な、スケル女は辞退するけど、グループには残りたいと思ってんねん。
移籍やね」
それを聞いて、泣いていたサリ・エリコンビも、身を乗り出して詳しく聞こうとする。
「グループ内移籍……。
それ、アダー女の方?」
スケル女の姉妹グループで、大阪を拠点とするアダー女。
去年の夏フェス期間中、そのグループに属する従姉の藤浪晋波と限定ユニット「カプリッ女」で一緒に活動したり、大阪のフェスでは共演したりした。
それで大阪を思い出し、移籍というなら理解出来る。
「ちゃうわ!
あそこが良いなら、わざわざ東京に来んかったわ。
それに、あそこに居たら、晋波ちゃんの世話係確定やし、絶対嫌やわ!」
アダー女エースだが、どこに飛んでいくか分からない放浪癖のある藤浪晋波、去年の夏はその藤浪に盆野は振り回され続けた。
それを間近で見ていただけに、同期3人は同情込みで頷く。
「アダー女じゃないなら、もう一つ。
広島のアルペッ女か……」
広島の有名芸能スクールとタッグを組んで結成された、スケル女のもう一つの姉妹グループ・アルペッ女。
綺麗なハーモニーと、奇を衒わないメッセージの歌詞が特徴のグループだ。
その反動だろうか、メンバーには「目を合わせてはいけない」レベルの奇人変人が多い。
「うちがやりたい音楽は、あそこが近いんよ。
スケル女とアルペッ女、どっちも良かったんだけど、スケル女はダンスが激しくなって来たし」
戸方プロデューサーの使い分けで、スケル女は明るく盛り上がる曲が多い。
アダー女は大阪に合わせた、明るいというより賑やかでドタバタした曲ばかり。
そしてアルペッ女は優雅な合唱曲。
アダー女を選ばなかったから、音楽性としては激しくない方が好きなのだろう。
そしてスケル女は、ここ数曲はリズムが速くなり、ダンスも力強く、かつ精密さを求めるようになっていた。
昔のスケル女の路線は、アルペッ女の方にこそ色濃く残っていた。
「でも……大丈夫?
あそこは……その……」
前世では奇行があったモーツァルトですらドン引きする不思議ちゃん集団。
アイドル、芸能人というスイッチが入らない限り、鍵付き病院に容れた方が良いとさえ思う。
ちなみに、欧州初の精神科病棟を作ったのは、モーツァルトの主君であったヨーゼフ2世である。
映画のように、モーツァルトの同僚アントニオ・サリエリは精神病棟には入院していない。
彼は晩年に、痛風で入院した記録があるだけだ。
話を戻して、あのアルペッ女の中に常識人の盆野が入るというのは、真夜中のサファリパークに、全身に生肉を貼り付けながら全裸突入するようなものではないだろうか?
心を喰われて、病まないか?
「いや、それは酷く解釈し過ぎ」
盆野は笑う。
「ちゃんと普通に会話が成立する人たちだから。
……だったと思ったけど?」
「不安だー!
そこで疑問形になる時点で、不安だー!!」
「大丈夫。
うち、慣れてるから。
晋波ちゃんとか、優子ちゃんとか。
それを上回るのは、そうそうおらんよ」
「待って!
藤浪さんは分かる。
あんな強烈なのは中々いない。
けど、そこに私が入るのは納得できない」
「自分はまともだと思ってるって、ヤベえがし」
「優子ちゃんも、らずもねえ変わり者だべな」
「そこの田舎者二人!
何を言ってるのかな?」
「別に〜」
客観的に見れば、天出優子も十分変人なのだ。
自分は普通だと思ってるところが、他3人から見れば笑える。
「まあ、同じグループにいるなら、会う機会はあるよね」
「せや。
同じ業界におるんやし、また会えるよ」
「えがったなぁ」
「違うグループに行っても、頑張るがよぉ」
「その前に、アルペッ女に入れるかどうかやん。
私、まだ研究生やし、いきなり正規メンバーとか無理やんか」
「樹里ちゃんなら大丈夫だよ」
「んだ」
「がっぱになれま!」
盆野は同期3人に話をして、気持ちに整理がついたようだ。
彼女は運営に話し、スケル女の研究生は辞退し、アルペッ女に移籍したい旨を伝える。
過去にも無かったわけではない。
手続きはすんなり進み、彼女は広島に移る事になった。
戸方Pは盆野を呼び
「スケル女に居たからって、アルペッ女を甘く見ないようにね。
確かにスケル女の方が、CDの売り上げ多いし、人気はある。
だけどそれは、東京が拠点ってアドバンテージがあるからだよ。
僕は人気に見合う実力を皆につけてもらいたいし、それはアダー女、アルペッ女も同じ。
スケル女で熱心に練習していたのと、同じ気分で頑張らないと、あっちでも芽が出ないからね」
と伝えた。
スケル女リーダーの馬場陽羽は
「嫌になって辞めるんじゃないなら、私たちはまだ同じ方向に歩いている。
同じ道じゃなくても、隣の道にいる。
ずっと見てるからね。
たまには、こっちに寄り道しなさいよ」
と言って、盆野をハグした。
こうして盆野は皆への挨拶を終えると、広島に引っ越していった。
寂しがっている暇は無い。
去る者がいれば、来る者もいる。
スケル女研究生は、優子の後輩も入って来ている。
正規メンバーを目指してのレッスンは、まだまだ続く。
おまけ:
盆野樹里の名前の元ネタは、ジュゼッペ・ボンノ(Giuseppe Bonno)という、ヨーゼフ2世の宮廷音楽長を務めた人物です。
退任してサリエリが宮廷音楽長になっています。
ザルツブルク人のモーツァルトが初めてウィーンを訪れた時に会っているようです。




