初のフェスだ!Teil 3~野外音楽だ~
天出優子は前世で、大掛かりな野外ステージを経験した事はない。
音楽は基本的に、宮殿や教会、オペラ座といった室内で演奏するものだった。
転生後、天出優子が驚いたものの一つが音楽ホールの設計である。
モーツァルトの時代より前、古代ギリシャのピタゴラスの頃から音響についての意識は存在していた。
しかし、科学的に計算して設計するようになったのは19世紀になってからである。
この頃にマイクが発明されてもいる。
反響や残響だけでなく、吸音も考えられ、後ろまでよく音が聞こえる、しかし音が反射しまくって「モアンモアン」した音に聞こえない、そこまで考えて設計された。
高尚な音楽よりも大衆の音楽に転向したとはいえ、前世天才音楽家は普通にクラシックにも興味がある。
様々な会場でのコンサートやオペラ、ミュージカル、果ては能楽まで鑑賞した。
……それだけに父親は、娘が音楽大学の方ではなく、アイドルなんてやっているのを惜しんでいる。
まあ、あの父親は音楽そのものより、そういう設計が出来るという方に重きを置く性格ではあるが。
モーツァルトの時代でも野外演奏というのはある。
民謡や祭りの演奏なんかがそうだ。
ただこれは、数千人から十数万人を集めるようなものではない。
せいぜい数十人が集まって円座となり、そこに聞こえればそれで良かった。
今回のアイドルフェス、規模としては小さいものの、18世紀の野外音楽よりは遥かに規模が大きく、かつ音響の計算外である「だだっ広い会場」で行うものだ。
前世天才音楽家からしたら、実に興味深い。
聞く方は何度か経験していたが、ステージに上がる方としては初めてだった。
「優子ちゃん、なんか興奮してる?」
周囲がそう尋ねるくらいに、ワクワクしている。
「外を見た?」
「見たよ」
「大勢の客がいるね」
「いるねえ」
「ここはコンサートホールでも、ライブハウスでも無いんだよ。
外のステージ。
音は抜けていくばかり。
こういう場所での音楽は、シンプルだけど難しい。
遠くまで歌を届けないとならないけど、だからといって雑な音ではダメ。
面白いと思わない?」
「……そんな風に考えた事なかったわ。
優子ちゃん、品地さん(品地レオナ)みたいな所あるよね」
優子とは別な方面での天才アイドルを引き合いに出される。
「でもまあ、言いたい事は分かるけど、そういうのって私たちにはどうしようもならないから」
「そうそう、会場作った運営の人がやってくれるから」
普段は言動がおかしい先輩たちだが、スイッチが入ったようで、言う事が真っ当になっている。
確かに彼女たちが言う通りである。
音響の問題は、ステージ設営を担当している会社が行うもの。
巨大スピーカの角度を変えたり、並びを考えたりする事で、広い会場でも音が届くようにしている。
一方で彼等は、あまり外まで騒音が響いて迷惑にならないようにも計算している。
計算という程大したものではないが、長年の経験から程よい音を作るよう設営し、現場では微調整をしていた。
限度はあって、最前のスピーカー前の客は難聴になるくらいの音を浴びるし、会場の近隣には爆音とまではいかないにしても音が漏れるし、ちょっとの音でも迷惑に感じる者は文句を言う。
そうではあるが、いざステージの上に立ってみると、そういう音響についても興味がいくのが音楽家たる部分だ。
音響は音響で後でスタッフに尋ねるとして、自分たちのパフォーマンスも考えねばなるまい。
優子はさっきまで、他のアイドルのパフォーマンスを最後尾から見ていた。
思った通り、よく見えない。
オペラでも、貴賓室なんかは実はよく見えない為、19世紀になるとオペラグラスという双眼鏡が用いられるようになる。
アイドルのコンサートでも、会場が大きくなれば双眼鏡を使う客は増えるが、激しいスタンド方式でのライブでは、体を動かす為に双眼鏡は余り使われない。
双眼鏡でステージ上を見ながら、一緒になってジャンプしたりダンスしたりすると、乗り物酔いみたいになるだろう。
モーツァルトの時代にはまだ双眼鏡は無かった。
だから、振りは大きく、遠くから見られるようにする。
ジャンプはより高く、表情もハッキリ分かるようにつけたい。
(これは、指揮者として観客に背を向けている時とは違った感覚だな)
音楽家はアイドル人生を楽しんでいる。
作曲者かつ指揮者として観客の声援を後ろから浴びる前世と、観客を正面に見ながら音楽を披露する転生後、その対比も中々に面白い。
優子は初のフェスでのライブに、高揚した気分で臨む。
「みんな~、盛り上がってますか~!?」
カプリッ女リーダーの寿瀬碧が観客を煽る。
「声出して下さい!」
助っ人メンバーのアダー女の藤浪晋波も、体育会系グループらしく声を張り上げた。
「みんなの声が、聴きたいナ(ウィンク)!」
同じく助っ人メンバーのアルペッ女の長門理加も、あざとく呼び掛ける。
その都度会場は盛り上がりを見せていた。
アダー女とアルペッ女は地方グループだけあり、フェス慣れしていたりする。
故にパフォーマンスも煽りも慣れた感じであった。
(楽しいわ~。
灰戸さんが楽しくて歌詞飛ばしたとか言ってたの、分かる気がする。
上品な音楽では得られない快感がある。
私も、前世とは随分と価値観が変わったものだ!)
内なる冷静な部分がそう分析しながらも、本能的な部分は「細かい事なんかどうでもいいんだよ」と、パフォーマンスに専念している。
始める前には「振りを大きく、遠くまで目立つように」と考えていたが、いざ始めてみると、意識せずとも振りは大きく、声も大きく、ジャンプは高くなっていた。
スポットライト症候群という言葉がある。
舞台上でスポットライトを一身に浴びる、世間から注目を浴びてしまう華々しい世界に居たら、引退後もその感覚を忘れることが出来ずに、
「もう一度スポットライトの中に立ってみたい」
となってしまう事を称する言葉だ。
それと少し違うが、大歓声の中で全ての力を出し尽くす、限界を超えてしまう楽しみを覚えてしまうと、それが病みつきになる事もある。
アイドルのみならず、アーティストでも
「フェスは良い、フェスの熱さをまた味わいたい」
と感じる者も多いのだ。
宮廷音楽家から大衆音楽家になり掛けの段階でこの世を去った天才音楽家は、二度目の人生で初めてこういう感覚を味わっていた。
それは作った音楽が絶賛される、オペラや交響曲が終わった後に浴びる万雷の拍手ともまた違う、何とも言えないものだった。
だが、この高揚感は魔物でもあった。
幸せな気分で
「ありがとうございました。
カプリッ女でした!」
と〆てステージ袖に下がった瞬間、優子の体は前に崩れ落ちる。
そう、カプリッ女の出番は13時から。
気温が上がる、ステージ上を照らすライトも熱い、そして知らず知らずのうちに限界を超えてパフォーマンスをする。
注意されていたように、パフォーマンスの合間に給水はしていたが、それでも終了と共に力尽きてしまった。
暮子莉緒が見たら
「燃えたぜ、燃え尽きたぜ……真っ白にな……」
とナレーションをつけるだろうが、とりあえずこの場にいるメンバーはバケツで水をぶっ掛けて
「はい、熱くなり過ぎ。
小学生は体力無いんだから、無理しない事」
と注意をしながら、皆で扇いでくれた。
(ああ、そうか。
体力が必要って、こういう時の為でもあるのか……)
体は動かないのに、頭は妙に冴えている。
前世では味わえなかった事に、極度の疲労の中で不思議と嬉しい天出優子であった。
今回は
「室内音響の歴史と変遷」(清水寧 著 · 2023)
を参考にしました。
(作中、大した引用はしていませんが)




