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神の定めにさえ……

 その晩、天出優子は妙に眠れずにいた。

 気温は高くないのに寝汗が酷い。

 疲れるような事はしていないのに、何故か体を動かすのが億劫だ。

 そしてやけに時計の秒針が動く音がうるさく聞こえる。

 女子小学生だから早寝させられたのだが、時刻はもう午後11時を回っていた。

 かれこれ1時間程、倦怠感の中にあり、眠れそうにない。


 何者かがベッド横に立った気配がする。

 瞼を開けたくても、動かせない。


「ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト。

 いや、この世での呼び方に従って、天出優子と呼ぶ」

 すると瞼が開き、彼女を上から覗き込んでいるモノの姿が見えた。

 それは優子の前世の姿、鏡で見た自分ことモーツァルトの姿をしていた。


「君の体は、天出礼央とその妻・杏奈との間に産まれた子供のものだ。

 君という存在は本来、魂を宿さなかったその肉体に、命を与える為のパーツに過ぎない。

 本来その時点で君は天に召され、命を宿したその体が新しい人生を歩むはずだった。

 だが、君は君という人格のままこの世に残り、天出優子という人格は発現していない。

 まして、本来この世に生まれるはずがない、君の新作が作られている。

 いい加減にするのだ。

 これ以上地上に留まるのは非常に危険だ。

 ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト!

 人間を人間たらしめる魂のみを置いて、天国へ還る時が来たのだ」

「貴方は神の使いか?」

「そう思ってくれて良い」

「私は、天出優子としてこの世に産まれた時の記憶を持っている。

 産まれてから時間が経つにつれ、私という存在は消えていきそうだった。

 私がかつて作った曲を耳にした時、深い眠りに着こうとしていた私が、はっきりと目を覚ました。

 どうやらそれで、本来天出優子という女性として始まるはずだった人生が消え、この私、ウォルフガングの第二の人生となってしまったのだな」

「そうだ」

「私が神の御許に行けば、遅ればせながらこの少女の自我が生まれ、私ではない新たな人生を歩めるのだな?」

「まあそうだ。

 12歳にもなって、いきなり赤ん坊のような自我にはなれない。

 当分は君が生きて来た人生の記憶と人格が残るが、じわじわと女性としての自我と混ざり合い、自分がモーツァルトだったという記憶は中二病ゆえの黒歴史として処理される。

 普通に男性を愛し、子を産む、女性として生きていくのだ。

 君の才能は一部なりとも天出優子の肉体に才能(ギフト)として受け継がれ、やはり音楽の天才と呼ばれるだろう。

 本人がそれを望めば、だが」

「私がこの体から消えても、私の音楽は作られるのだな?」

「そうだ。

 さあ、一緒に神の御許へ参ろう」

「だが、断る」

 モーツァルトの人格は、モーツァルトの姿をするモノを唖然とさせる。


「私が消えたら、頭の中にある美しい調べはどうなる?

 私の才能を受け継ぐ?

 私の才能を使おうと、異なる人格から作られた曲は、結局私の曲ではない。

 そんなの認められるか!」

「魂のみ再利用されるが、死後『人』は全て神の御許に参り、審判の時まで安らかに過ごす。

 それが神の定めたもう事だ。

 お前はそれに逆らうのか?」

「逆らう!」

 モーツァルトは断言した。


「私は産まれた時の記憶も有るが、死んだ時の記憶も有るのだよ。

 私は死ぬ時、聖職者を拒み、終油の儀も受けなかった。

 だからあんたたちは、目印の無い私の魂と人格を回収し損ねたんじゃないのか?

 その時点で、あんたたちの落ち度だ。

 私は折角転生出来たのだから、この人生を謳歌する。

 神の使い如きに指図されてたまるか!

 私は、私の才能の赴くままに生きる」

「これなる不心得者が。

 死後裁きに遭うぞ!」

「という事は、死ぬまでは自由って事だな」

「神の力を甘く見るでない。

 生きているお前に試練を与える事など、造作も無い事なのだ」

「えーっと、例えばギャンブルで負けるとか、報酬未払いが続出するとか、音楽も知らん奴が見得で群がって来るとかかな?」

「む?」

「そういうのなら、前世で慣れてるんだよね。

 神罰なら、私から音楽の才能を取り上げれば良い。

 そうすれば、私は転生しても、生きている価値が無い。

 だけど、私の才能は生まれ持ってのものだけではない。

 私の努力によってさらに強固に築き上げたものだ。

 神と言えど、取り上げる事は出来ないだろう。

 そして、あんたは試練と言った。

 おそらく嫌がらせ以上の事は出来ないな。

 所詮あんたは神の使い、神そのものではない。

 まあ、神様も最近じゃ立川のアパートで仏陀と一緒に下界を楽しんでいるようだけどね」

「その物言い、君は神を畏れぬのか!?」

「まあ、天出家は代々臨済宗だからね。

 知ってるかい?

 臨済宗では『神に会ったら神を殺せ』って説いてるんだよ。

 神だのなんだのってのは自分の心の内にある。

 目に見える神様なんてのは、気の迷いが生んだ幻に過ぎないって事さ。

 それから言ったら、あんたも幻なんだから相手にする必要はないけど、殺そうにも生憎体が動かないし、もし私が前世の自我に目覚めなければどうなるか、私が消えたらどうなるかを教えてくれたから、見逃す事にするよ」

「何という不敬な事を」

「とにかくだ、手違いかミスか偶然か分からないが、折角転生したのだから、死ぬまで天出優子わたしモーツァルト(わたし)のまま生きる!」


 彼女はちょっと前に、プロデューサーから言われている。

「君はもっと奔放であるべきだ」

 と。

 我が意を得た思いだった。

 大人の事情で多少枠の中に入るかもしれないが、こと音楽に関しては思うがままに振る舞う。

 誰にも邪魔をさせない。

 試練なんか、音楽の力で一点突破してやる!


「愚か者が。

 お前が神の定めに叛旗を翻すというのなら、もう仕方がない。

 愚かな決断をいずれ悔やむであろう。

 だが、もう一つ聞いておきたい」

 モーツァルトの姿をしたモノは、少し悲しそうな表情で聞いて来た。

「お前が宿る体の少女の自我は、この世に生まれ出ないでいる。

 かわいそうだと思わないか?

 今ならまだ間に合うのだぞ。

 思春期になり、恋愛をし、幸せになる。

 お前という存在は、それを妨害しているのだぞ」

 モーツァルトもそれは済まないと思っていた。

 自分という自我が消えたら、本来の天出優子の人生が始まる。

 それはずっと気に病んでいた事だ。

 だが、その思いを敢えて吹っ切って、傲慢に言い放つ。


「この少女にしても、私に人生を乗っ取られて幸せであろうよ!

 なにせ、天才として生きられるのだから。

 それに、女性が必ず男を愛し、子を産み育てるのを幸せと決めつけるのは、価値観のアップデートが出来ていないな。

 今のご時勢とやらには、そうじゃない女性の幸せもあるのだからな」

 外見はモーツァルトであるその存在は、呆れ、多少怒りを孕んだ目で天出優子を見る。

「もはや語る事はなかろう。

 其方のその傲慢さ、神の許すものではないと、いずれ思い知るだろう」

 そう言って、その存在はすーっと消えていった。


 優子の金縛りは解ける。

 嫌な疲労は残っているが、眠気が感じられる。

 もしかしたら、このまま眠ったら、モーツァルトの自我が消えて天出優子の人生が始まるかもしれない。

 まあ、そうなったらそうなった時だ。

 どうにも出来ない時は、諦める他ない。

 どうせ一度は死んだ身なのだ。


 とか思いつつも、モーツァルトは、居るか居ないか分からない、内なる天出優子の自我に話し掛ける。

(私は純粋なウォルフガング・アマデウス・モーツァルトではないと思う。

 おそらく天出優子(きみ)はこの脳の内に生まれている。

 私は前世とは違って、女性としての考えも出来るし、時々自分が男性な事を忘れてしまう。

 君という存在が私と溶け合って、私でもあり貴女でもある人生を共に歩んでいるのではないか?

 だから、私は決して貴女を蔑ろにはしない。

 あいつに言われたからではないが、存在しているなら、もっと強く自分というものを主張してくれ。

 君がどんな生き方を望むのか教えてくれ。

 まあ、望みを叶えられるとは限らないが、我々は我々の人生を歩もうよ)


 そう心の中で言いながら、優子は眠りに落ちた。




 目覚めた時、天出優子にはまだモーツァルトの自我が残っていた。

 どうやら神の使いには、この自我を消し去る力は無いようだ。

 あるいは、アレは夢だったのかもしれない。

 天出優子モーツァルトは、神の定めであろうがそれに背き、自分を押し通す覚悟を決めたのである。

おまけ:

とりあえずここまでで第1章とします。

話的に、ここで「こうして天出優子・モーツァルトは神に逆らって、アイドルとしての人生を歩んでいくのだった」と終わらせる事も可能です。

なんか、書いてる内に愛着湧いたので、ここで終わらせずに第2章以降も続ける事にしました。

てなわけで、今後もお付き合い願います。

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