新学期!
天出優子は小学6年生に進級した。
「芸能活動よりも、まずは教育」
という考えの父親の意向を尊重したのか、スケル女の運営側もレッスン日を特に増やす事はしていない。
……という事は、質が高くなるわけだが、まだその事は分からない。
とりあえず、優子は小学校生活最後の1年を始める。
とはいえ、大きくは変わらない。
クラス替えもなく、小学5年生と同じ担任・生徒であと1年を過ごす。
変わって来たのは、生徒の意識の方だった。
5年生よりも、更に第二次性徴というか、思春期突入というかで、異性を異性として意識する子が増えて来ている。
まだおこちゃまな男子も多いが、次第に優子を「異性」として見始める男子も現れる。
女子は更に精神的な成長が早い。
やがて、「6年生なら彼氏・彼女がいて当たり前」という意識に双方がなる。
……もう百年以上前にそういう段階を通過した中の人は、そういう周囲を見て、何とも言えない微笑ましい気持ちにはなる。
……それを自分に向けられるとなると、何とも言えない気色悪い気分になるのだが。
そんなわけで、昔のように男女で鬼ごっこをするとか、ドッジボールをするという交流は無くなっていった。
遊びが無くなったのは、男女がお互いを意識し始めた事だけではない。
進学を意識、というのも一因だ。
早い生徒は、小学校低学年、いや幼稚園辺りから何らかの塾通いをしている。
6年生という区切り、来年から中学生だという事実から、遅まきながら6年になった新学期から塾通いを始める家庭は結構あった。
良い中学校に行きたいという目先の話ではなく、そこから高校・大学・就職まで見越してのものである。
優子もまた、学校終わりにレッスンに通っているのだから、ある意味似たようなものだ。
学業か、芸能活動での事かの違いでしかない。
さて、奔放なモーツァルトの生まれ変わりを子に持ちながら、父である天出礼央は保守的な人間である。
彼は今でも、娘の芸能活動を快くは思っていない。
彼は、娘にある条件を言い渡した。
「学校の勉強がおろそかになるなら、芸能活動は辞退ね」
6年生になったと同時に、そんな後出し条件を付けられた優子は、当然猛抗議をする。
かなりの自由主義者である母親は優子に加担し、天出家では男女の争いが発生した。
劣勢の男性陣。
成長していれば父親の味方になったかもしれない、……微妙な可能性だが……、優子の弟はまだ幼稚園児で話に入って来られない。
それでも父は譲らず、
「勉強が遅れて、それを先生に言われたりしたら、芸能活動終了ね」
と条件を緩和したものの、ついにこれを認めさせた。
(やってられるか!)
と優子は内心毒づく。
前世で35歳まで生きた彼女は、小学校レベルの勉強であれば、一応、辛うじて、ちょっと頭を使うのだが、どうにかクリア出来る……はずだ。
7の段の掛け算で、微妙な時があるのは御愛嬌という事で。
ただ、「日本の歴史」「地理」では結構ヤバい、悪い方の意味で。
また、英語もちょっと怪しい。
元々オーストリア人である彼女は、アルファベットは読めるのだが、「A」を「アー」、「B」を「ベー」と発音する癖が残ってしまった。
小学5年生の初歩の英語なら誤魔化しが効くが、6年生の少し難しくなった英語では、特にスピーチにおいてドイツ語の癖が出てしまう。
「音楽家に、燃焼の化学だの、つるかめ算だのが必要か!?
そもそも、酸素ってさ、前世で私が生きていた時に提唱された最新の話じゃないか。
なんでこんな子供がそれを知ってるんだよ!」
燃焼における要素「酸素の発見者」とされるラボアジェは、モーツァルトと同時代人である。
酸素自体を発見したのは更に百年前の医師・ジョン・メーヨーだが、モーツァルトというか、小学6年生の天出優子も知らない。
百年単位のジェネレーションギャップに悶える中の人だが、天出優子としてアイドル活動をする為には文句も言ってられない。
色々な思いを抱えつつ、彼女は小学校に通う。
「優子ちゃん、この前見たんだけど、知らないお姉さんたちとケーキ食べてなかった?」
先日の研究生同期とのお茶会を、見ていた同級生がいた。
「うん、そうだけど」
「え? 誰? 誰?」
「ちょっと知り合いのお姉さん」
「でも、凄い綺麗だったよね」
「変な付き合いとかじゃないよね」
「優子ちゃん、賢そうで結構抜けてるからねえ」
(いや、私は「抜けている」んじゃない、たまに前世の常識が出て、変な事言っちゃうだけだ)
女子は大人ぶってくる程に、人間関係に敏感になっていく。
これは新しい付き合いを欲する面と、裏腹な「自分を無視して新しい魅力的な友人付き合いを始めたら許さない」という排他的な面が共存していて、中々に面倒臭い。
変な付き合いか? とか お前は抜けているから騙されてないか? というのは、軽い牽制だったりする。
「あははは……」
乾いた笑いでやり過ごそうとすると、そこに男子が絡んで来た。
「綺麗なお姉さんって、何歳くらいのだよ?」
「男子、あんたには関係無いでしょ!」
「女の子の話に入って来るとか、サイテー」
「うっせーよ。
天出さあ、春休みにテレビ局入っていかなかった?」
(ち……それも見られていたのか)
地方出身のメンバーと違い、東京都民だとこの辺り厄介である。
その男子は、他の番組の観覧でたまたま居合わせたらしいのだが、
「お前、何か偉そうな人たちと、アイドルっぽい女たちと一緒に居ただろ」
とか言って来た。
現状はまだ「スケル女研究生」となった事を明かしていないし、メンバーの行動を把握される事に繋がる情報漏洩は禁止されている為、
「それ、私じゃないと思うけどね。
どこで見たのさ?」
と否定をする。
男子以上に、女子の好奇の視線の方が怖い。
「お台場の……」
「あー、行ってない、行ってない。
渋谷でクラシックなら聞きに行ったりしたけど」
「そうか、見間違いか。
だよなー。
お前みたいなブスが、あんな可愛い子に混じったら可哀そうだもんな」
「ちょっと!
優子ちゃんに謝りなよ!」
「本当、失礼なんだから!」
揉め始めた為、優子はその場をそっと離れた。
この事も実は、彼女の悩みの一つである。
今年、彼女は研究生となった事が公表される。
その時、周囲の扱いがどう変わるか。
モーツァルトは「孤高の天才」というわけではない。
結構「孤独」には耐えられないタイプで、それが遊び好き、女好きに出ている部分もある。
義務教育ならあと4年ある学校生活で、孤独に過ごす事は避けたい。
(適当なタイミングで、特に仲が良い子たちには話しておく必要があるよなあ)
思えば、「音楽家一族」という、特殊だが他にも多数存在していた立場で、人付き合いとか嫉視とかから切り離されて旅生活をしていた前世。
今のように友達に囲まれ、それ故に子供ながら人間関係が発生している今世と、どっちが幸せかと言ったら今世だが、前世の方が楽ではあったなあ。
そう思いながら、更に拡大しつつあるクラスの男女の言い合いから、出来るだけ遠くに逃げる天出優子であった。
とりあえず連休も終わったし、スタートダッシュを終えて1日1話の投稿にします。