エミとローランの別れ
~~ 五〇年後 ~~
「お母さん!」
リビングの床に倒れているハルカに娘のユキナが駆け寄った。
「お母さん、お母さん!」
ユキナは何度も、ハルカの肩をゆすって呼びかけたが、反応はなかった。
「救急車・・。早く救急車を呼ばないと・・。」
ユキナは慌ててカバンから携帯電話を取り出した。
五年前に夫を亡くし、一人暮らしをしている母を気づかい、ユキナは毎日ラインのやり取りをしていた。朝にラインを送ったのに、昼になってもハルカからの返信がなく、電話にも出ないので、ユキナは実家を訪れたのだった。
病院のベッドの上でハルカは意識を取り戻した。ようやく話が出来るようになった時、医師からの説明を受けるために、娘のユキナは病室を出て行った。ハルカは穏やかに深呼吸をしてから、窓の外に目をやった。
「あ、あれは何かしら?空に青く光るきれいな・・。龍?龍が泳いでいる・・。」
ハルカは驚き、瞬きもせずその龍を目で追い続けた。そして、ゆっくりと起き上がり、よく見える様に窓を開けた。
「私、あの龍を知ってる・・。どうして?」
ハルカは混乱していた。今まで龍を見たこともないのに、知っているという感覚がすることが理解できなかった。
その龍はハルカが何度も訪れたことのある、四宮神社の森の中に舞い降りた。
「神社に住んでいる龍なのかしら・・。」
龍が見えなくなると、ハルカはすぐにベッドに横たわった。そして、また眠りに落ちていった。
ハルカの容態は重く、医師からは余命一ヶ月と宣告されていた。娘のユキナはハルカの前では気丈にふるまっていたが、ハルカは自分に残された時間は、あとわずかだという事に気が付いていた。
「ユキナ・・お願いがあるの。」
「何?」
ユキナが明るく答えた。
「あそこにある四宮神社へ行きたいの・・。」
ハルカは窓から見える森に囲まれた神社を指さした。ハルカは龍が舞い降りた場所へどうしても行きたかった。
「そうね・・。看護師さんに聞いてみるね。」
ユキナは病室を出て、ナースセンターへ向かった。ハルカは神社の森を、ずっとながめていた。
「一時間程度なら外出OKだって!」
間もなく、嬉しそうなユキナが病室に戻ってきた。
「天気がいいから、今から行く?」
「行きたい!」
ハルカが笑顔でこたえた。
「じゃあ、車を玄関前に持って来るね。」
「ありがとう。」
久しぶりに、すごく嬉しそうな母の顔を見たユキナは涙が出そうになり、慌てて駐車場へと向かった。
神社に着くと、ユキナは絵馬を買って願い事を書くと言うので、ハルカは一人でご神木の前にあるベンチに座った。
すると優しい風が吹き、ご神木にハルカが病室から見ていた青い龍が舞い降りた。
「ローラン・・」
ハルカの口から、その名前が出たとたん、天界での記憶が全て戻った。
「見えるのか・・?」
ローランは驚き、目を見開いてハルカを見つめた。
「えぇ・・、天界へ帰る時が近づいているみたい。地球でも私はローランにずっと守ってもらっていたのね。ありがとう。本当にありがとう。」
ハルカの目から涙があふれた。
「いや、おまえは私がいなくても立派に地球での人生を生きることができた。」
ローランはうつむきながら言った。
「いいえ、ローランがいなければ、こんな幸せな人生を送れなかった・・。」
ハルカの泣いている様子に気が付き、ユキナが慌てて駆け寄った。
「お母さん、しんどいの?大丈夫?」
「大丈夫よ。いろいろな事を思い出してしまって・・。」
まだ泣き続けている母の背中を、ユキナは優しくさすっていた。
「そろそろ帰ろう。車を神社の入り口まで持って来るから、少し待っていてね。」
ユキナは足早に駐車場へと向かった。
「ローラン、私がここを去る時に天界へ一緒に帰れる?」
ハルカは涙をぬぐいながら、ローランにたずねた。
「いや・・。私はまだ四宮神社で神使としての仕事があるから、天界に戻るのは、もう少し先になる。」
ローランはいつも通りクールな口調でこたえた。
「そう・・。じゃあ天界で待ってるね。」
ハルカは穏やかな笑みを浮かべてローランを見た。そして、ゆっくりと神社の入口へと向かった。
ハルカと娘のユキナが乗った車が走り去っていく様子を、ご神木の上から見ていたローランの頬に涙がつたった。
その涙が地面に落ちた瞬間、ローランはハッと我に返り、涙をふり払うように、空へ舞い上がり、あてもなく飛び続けた。
ローランとエミの事を知っていた四宮神社の神々と神使達は、心配そうにローランの姿を見ていた。
「我々に何かできる事はないでしょうか・・。」
稲荷社の神が主祭神の大国主にたずねた。
「ローランの心が落ち着くまで待つしかないだろう・・。」
大国主は長いため息をついた。