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あなたは何も分かっていない

「──っ」


「っ、きゃ、きゃァァァァァァ!!」


カランカラン、とロザリア様が短剣を手放す音が聞こえた。早くそれを取り上げなければならないけれど、出血が多すぎてそれどころではない。恐らく、切られた場所が悪かった。

吹き出すような血を抑えようにも、力が上手く入らない。そのまま私は、カーペットに崩れ落ちてしまった。その時になってようやく、近衛騎士が到着したようだ。


ミチュア様とロザリア様の口論はよくあることだったので、彼らは特に気にしていなかったのだろう。

だけど、だからこそその油断が、こうした大きな事件を招く。


誰かが口々に何かを言うが、そのどれもが遠くに聞こえる。

ほんの少し、手を動かす。

指先が、動いただろうか。

動いたその指を、誰かが掴んだ。

ひんやりとして、冷たい。

もう目を開けていることも、意識を保つことも難しい。温い血溜まりの中で、私はそのぬるついた感覚に嫌悪を覚えながらも浅く呼吸を繰り返した。


その時、ふわり、と全身が冷たい水のようなものに包まれた。


「ぅ…………」


不思議に思って、力を振り絞り目を開ける。

そこには、ぼんやりと白と、青が見えた。

焦点が定まらず、ぼやけてはいるがそれが誰なのか、私にはすぐわかった。


……リュシアン陛下。


私が切られてから、一体どれくらいの時間が経過したのかは分からない。

だけど、彼はそこにいるようだった。辺りを見回すだけの余裕もなくて、私はまたまつ毛を下ろした。ふわり、体が浮き上がる。全身は、冷たい水のようなものに包まれていて、指先が仄青く光を纏っているのが見えた。

それが、エルフの祝福なのだろうか。

エルフの王族にしか使えない。

今の王城では、リュシアン陛下にしか使うことが出来ない。

私を今、抱き上げているのは──彼?


気がつくと、私はどこかに寝かされているようだった。見慣れない天井だから、ここは王妃の寝室ではないはず。視界はぼんやりとしていて、上手くものを見ることがない。


「……気がついた?」


優しい声が聞こえてきた。

ゆっくりとそちらを向こうとするが、全身が重くて、寒くて、頭が痛くて、呼吸が苦しくて、それは叶わない。

だけどその手が、私の額に触れて、また仄青い光を翳した。そうするとほんの少し、頭痛が収まったような気がする。


「……ねえ、ミレーゼ。きみは死んでしまうの」


静かな声だった。

私は、何度か口を開く。

しかし、ヒューヒュー、という音しか出なかった。あれからどれほどの時間が経過したのだろう。ロザリア様は、どうなったのだろう。

彼の手が、ゆっくりと私の髪を撫でる。

思えば、こんなふうに触られるのは随分久しぶりだった。それがなんだか面白くて、思わず、笑みを浮かべてしまう。死を前にして、気分が高揚しているからだろうか。

血をたくさん失ったのだと思う。それでも、あまり怖いとは思わない。


「へ……ぃ、か」


口を、何とか動かす。

言葉は、音になっているだろうか。

あまり自信はないが、聞こえていると信じて、私はさらに彼に話しかけた。

彼の手が、びくりと震える。

そして、冷たい指先が私の頬を撫で、首筋に止まった。また、冷たい感覚。きっとそれは、彼が祝福によるもの。その冷たさは、なんだか彼らしくて、面白い。


「ロザリア……様、は」


「あの女たちならどちらも牢にいれた」


端的に彼が言葉を返す。

私は、首を横に振る。

ぱさぱさ、と私の髪が乾いた音を立てた。


「だ、め……」


「なぜ?彼女たちはきみを殺そうとした。重罪だよ」


「それ、は……」


そもそもの原因は、あなただ。

あなたがいたずらに女を抱き、愛を囁いたから、彼女たちは歪になってしまった。

もっと、貴方が、彼女たちに目を向けてくれたから。

だけど、後宮でのことは全て私が管理するべきだった。こんな事件を起こしてしまった以上、私の手落ちだと言われても仕方がない。

私は、手を強く握りしめた。何とか起き上がろうとするが、力が入らない。もがく私を見て、起き上がろうとしているのだと分かった彼が、私の背に手を差し入れて起き上がらせてくれた。


「あなた、はひどいひと」


最期だろうと思っていたから、言いたかった。

最期だからこそ、言葉を叩きつけたくなった。


私は、彼の胸にもたれながらずっと長い間いえなかった言葉を、口にした。


「誰も、愛せない………。あいを、しらない」


「ミレーゼ、寝ていて。きみは今、重症なんだ。少しでも回復しなければ──」


「いりま、せん……!」


私は、叩きつけるように言葉を投げた。

手を強く握る。顔を上げる。

彼の顔はぼんやりとしていて、彼が今、どんな顔をしているのかわからない。


「あなたが……きら、い」


息を呑む気配があった。

だけど私は、言葉をとめなかった。


「だい、きらい。わたしが、すき……なの、は」


私が、恋をした人は、あなたなんかじゃない。

あなたみたいな、冷酷で、冷たい人じゃない。

そう思いたかった。


「あなた……が……。っ………。真に、愛せる……ひと……見つけられるよう……祈っ……て、願って……る」


苦しい。呼吸が続かない。

首筋を切られたのだ。きっとそれは太い血管だった。だって、すごい出血量だったもの。

それでも未だ、命を繋いでいられるのは紛れもなく、彼の祝福の力によるものなのだと思う。

妃同士の暗殺沙汰には関与しないと言ったくせに、王妃が死にそうになると、それは助けようとするのか。それは、そうか。

だって、王にとっては、お飾りでも王妃という肩書きを持つ人は大事だものね。


「あなたは……さみしい、ひと」


囁きのような声で、呼吸とともに言葉を吐き出した。


あなたは、悲しくて、残酷で、冷たくて、そして、可哀想な人だ。


彼は、何も言わない。

何も、答えなかった。

ただ、私を支える手に、力が篭もる。


「あわれ、で……孤独……。あなたの、闇、を晴らして、くれる……人、が」


きっと、いずれ、現れてくれますように。

助けてくれますように。

愛を知らない孤独な王に、愛を教え、導いてくれる人が現れますように。

正しく愛を知ればきっともう、彼は今までのような振る舞いはしないだろう。


彼に愛を教え、救い、導くのは私ではない。

それが至極残念で、そして、それを成せなかった自分がもの悲しい。


私は、初恋をとうの昔に諦めてしまった。


──でも、でもね。


好きだった。大好きだったの。


あの七歳の誕生日の夜。


『ねえきみ、泣いてるの?』


彼にそう、話しかけられた時から。


その時から、私の世界には色がついた。

無味乾燥だった世界が華やかになった。味がわかるようになった。匂いが分かるようになった。

あの日食べたサンドイッチはとても、美味しかった。

美味しかったから、だから。


最期に一口でいいからまた、食べたかったなぁ……。


もう、音は聞こえてこなかった。


手に、力が入らない。体から力を抜くと、緩やかな脱力感に襲われる。

ああ、これが死なのだろう、と思った。

存外穏やかなものだ。

もっと寂しくて、暗くて、孤独で、悲しいものだと思っていた。

だけど、彼の腕の中にいるからか──ただただ、緩やかな眠りに沈むだけ。ただ、それだけ。

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