運命の日
「……ご冗談を。私を愛していないと仰ったのは、リュシアン陛下ではありませんか」
「うん。だから、仮初でも僕に愛して欲しいと思っているのか、きみに聞こうと思って」
彼の手がゆっくり私の頬に伸びる。
叩き落とそうか迷ったけれど、栄えあるティファーニの国王だ。
私にそんな真似は出来なかった。
彼の冷たい指が、するりと私の頬を撫でる。
彼の手は直ぐに離れた。
「……なんてね。ミレーゼはそんなこと言わないか。きみは、彼女たちとは違う」
「…………」
「妃のことはきみに任せるよ。あまり騒がしいようだったら放っておいて構わない」
「……それが可能だとお思いですか?」
後宮を取り締まるべき王妃が、責務を成さないなど。周囲に何と言われるか分からない。
ただでさえ私は、王に抱かれていないことでお飾りの王妃と呼ばれているのに。
私が言うと、彼はまた笑った。
困ったように、苦笑するように。
「できないか」
それをわかっていて、彼は尋ねる。
とことん、私は、彼という人間が何を考えているのかわからない。
「さて、僕は執務に戻る。何かあれば、いつでもおいで」
「…………」
その言葉を信じ、安易に執務室の扉を叩いたことがあった。その時彼は、当時気に入りの女を抱いていた。
その時のことを、彼は覚えていないのだろうか。
いや──覚えているのだろう。
覚えていて、言っている。
彼の瞳の冷たさは、さながら蛇のように私に絡みつく。
捨てたはずの恋心が、忘れたはずの柔らかな心が、じくじくと痛んだ。
こんな気持ち、こんな想い、早く消えてしまえばいいのに。未だに私の心は、七歳の誕生日の夜に出会った彼に囚われている。
初めて、人の優しさに触れた。
初めて、笑いかけられた。
初めて、私のことを見てくれた人がいた。
その人が、リュシアン陛下だ。
誰よりも大事で、誰よりも大切だった人。
それなのに、彼は私を愛していないという。
どうして。
尋ねられるものなら、尋ねたかった。
私を切り捨てるなら、私を要らないと言うのなら。
どうしてあなたは、私に優しくしたの。
その優しさに導かれて、救われて、私はようやく一人で立てるようになったというのに。
そうなった途端、彼は私を突き放した。
元から、手助けした覚えはないと言わんばかりに。
例え尋ねても、きっと彼は明確な答えをくれない。
そんな気がした。
もう随分長く、彼の考えていることが分からない。
☆
陛下との貴重な時間は、結局無駄なものになってしまった。彼の考えを尋ねたところで、彼はきっと教えてくれない。
上手く彼から意見を引き出せない私が役たたずなのか、とため息をこぼす。
侍女は、陛下とのお茶会で私と彼の間になにか進展があったのかとソワソワしていたが、残念ながら何も無い。
部屋に戻る途中、女性の怒鳴り声が聞こえてきた。ついで、ガラスが割れる音。
なにかまたトラブルが起きているのだと悟って、私は早足でそちらに向かった。
ここ最近はずっとこう。
そして、当事者である陛下は妃たちの諍いには一切関与しない。愛している女性たちが言い争っても無関心などころか、彼女たちが傷ついても、特段彼が動くようなことはない。
諸侯や諸外国とのパワーバランスを慮ってのことだろうか、とも思ったがそれにしても無関心すぎる。
とても、彼が彼女たちを愛しているようには見えない。
少しでも愛着があれば、傷つけられたら怒るものだろう。普通は。
しかし、彼は一切関与しようとしなかった。
本当に、愛しているのだろうか。
そう思ったこともあった。
だけど、他でもない彼が言っていたのだ。
側妃を迎える、となった時には『ミチュアを愛している』と。
そして、ロザリア様が嫁入りされてからは『彼女のことも愛している』と。
彼の愛は本物なのだろうか。
それとも、博愛主義なのだろうか。
だけどひとつだけハッキリしていることがある。
彼は、冷たい人だ。
例え、側妃同士で暗殺騒ぎがあってもきっと彼は関与することは無いのだろう。
『僕は、きみだけは愛さない』
あの日の、彼の言葉を思い出す。
頑なに、私だけを否定し、王妃以外の女性にばかり、愛を捧げる王。
私が、嫌いなのだろう。そう思う。
声のした方に向かえば、やはり、そこには今朝のふたりがいた。
だけど、朝方よりもかなりヒートアップしているようだった。ロザリア様は、ミチュア様に花瓶を投げつけたのか、ミチュア様の髪は濡れていた。
彼女の濡れ羽色の髪からぽたり、ぽたりと水滴が滴った。
「今、なんて言ったの」
恐ろしく低い声でロザリア様がミチュア様に問いかける。花瓶を投げられた衝撃で、俯く形になっていたミチュア様が、ゆっくりと顔を上げた。
「何度でも言ってあげましょうか。大敗した国に誇りなんて、烏滸がましいのよ。エルフの力を前にしっぽを巻いて逃げた癖に、何がブレアンの誇り?そんなもの、犬に食わせてしまえばいいわ」
「っこの……!」
ロザリア様が激昂して、手を振りあげた。
私は咄嗟に、その手を掴んだ。
怒りのあまり顔を真っ赤に染めた彼女が信じられないものを見る目で私を見た。