忠節のキス 【リュシアン】
「僕は、きみ以外の妃は持たない」
「そうですか。もう、余計なトラブルに巻き込まれなくて済みますね」
淡々とフェリスはそう答えた。
リュシアンは、そんな彼女を見ながらソファの背もたれにもたれた。
白銀の長い髪がゆるく弧を描気、座面を彩った。
「僕は……ずっと、きみに恋をしていたんだと思う」
「聞きたくありません」
フェリスの表情は、硬い。
彼女は彼を受け入れるつもりはないのだろう。
それが分かっていながら、自身の紡ぐ言葉は、彼女に押し付けるものになると理解していながら、リュシアンは言葉を続けた。
「きみのこころが僕にないから、きみに辛く当たった。愛がなくとも、憎しみでも……強い感情を向けて欲しかった」
「やることが幼稚ですね」
「きみは、僕を愛していた?」
ミレーゼは、リュシアンをどう思っていたのだろう。
ふと、そんなことを尋ねた。
彼女は、弾かれたように顔を上げる。
──ミレーゼは、リュシアンに愛している、と告げたことは無い。
その逆もまた然りだが、ふたりは互いに互いの感情を測り損ねていたのだ。
フェリスのくちびるが震えた。
こころなし、その顔は青ざめているようにも見える。
「……そんなこと、聞いて、どうするのです?」
今更、という言葉が後に続くようだった。
リュシアンは、彼女の言葉にまつ毛を伏せた。
「僕は愚かだったな、とそう思ったんだ。あの時、もし僕がきみにそう尋ねていたなら」
「やめてください。もう過ぎたことです」
フェリスははっきりとそう答えて、それからゆっくりと顔を上げた。
その表情に、どこか危うい決意を感じて、リュシアンは瞳を細める。
フェリスは、不安定だ。それは、彼女の過去がそうさせているのだろう。深く傷つけられ、傷ついた過去があるからこそ、こうして攻撃的になる。
それは、彼女の義兄とよく似ていた。
「私たちは、夫婦になります。長い時をかけて……次代の王を成す必要がある」
「……そうだね」
彼女がミレーゼであった時、ふたりに夫婦の関係はなかった。
誓いの口付け以外にキスらしいキスすら、したことがない。
ふたりが夫婦であった時の期間は、約八年。
しかしその八年、ふたりに夫婦生活はなかった。当然ミレーゼが子を宿すことも無い。
そもそもエルフという種族性からして、子を宿しにくいものだ。
本来なら子を成すために時間を惜しんで努力しなければならないところを、リュシアンは放棄していたのだ。
国王夫妻は次の代の王を生み出す責務があり、義務がある。
血の濃さを何より重んじるティファーニは特にそうだ。次の王が生み出されなければ、それはティファーニの滅亡に直結する。
フェリスは真っ直ぐに彼を見た。
「王の妃になると決めたのは、私です。……ですから今、確かめます。私は、あなたの妃として……あなたと、夫婦として、共に歩めるのかを」
「フェリス」
眉を寄せて引き止めるようにリュシアンが彼女の名を呼んだ。
今、彼女は冷静じゃない。
フェリスが何をするのかは分からなかったが、落ち着かせるべきだ。
そう考えたリュシアンであったが、彼女はそれに取り合わなかった。
彼女はじっと彼を見つめた。
そして、そっと、ちいさく足を上げる。
途端、ドレスの裾から、白い踝がちらりと見えた。
なめし革で出来た靴に包まれた足首が見える。
少しずつ、少しずつ、白い足首がドレスの裾から見え隠れする様は、扇情的で、挑発的だった。
息を呑んだのは、どちらだっただろうか。
淑女は決して、足を見せてはならない。
ウブルクという厳しい家で生まれ、王妃という地位にあった女性がそれを知らないはずはなく、彼女は意図して、足首を見せているのだろう。フェリスの視線が、強く彼を睨みつけた。
「──舐めて、ください。あなたは、私の人形なのでしょう?靴の先に口付けて、あなたの言葉が偽りでないことを、今、証明してください」
出来ないでしょう?とでもいいたげな瞳だった。
それでいて、どこか拒んでほしそうな──そんな表情をしている。
不安そうで、心細そうで、寄る辺を求めた子供のような顔だ。
釣り合いの取れた天秤はあまりにも揺らめいていて、何かの拍子にすぐ崩れてしまう。
リュシアンは、断らなかった。
白銀のまつ毛を伏せ、無言のまま彼女の前に膝を付く。
驚きに息を呑んだのは、フェリスだ。
彼女は、自分で命じておきながら彼が従うとは思っていなかったのだろう。
いや、少し違うのかもしれない。
彼女は、ほんとうにリュシアンが自分を裏切らないか、また、彼女を傷つけないか、それを知りたかった。
形に見えるもので証明して欲しかったのだろう。
未だに、リュシアンを信じきれない。
だけど、信じたいと、信じようと、もしかしたら思っているのかもしれない。
信じて、また裏切られて、傷つけられて、苦しむのは嫌だ。
だからこそ、過去とは違う今であることを、教えて欲しいと願っている。
彼女が不安定なのは、リュシアンのせいだ。
彼が、彼女を歪んだ執着で、感情でいたずらに傷つけてしまったから。壊れて、ばらばらになってしまったピースをふたたび嵌め直しても、それは何かの拍子に簡単にバラけてしまう。
それを留めるには、言葉を尽くし、行動で示し続けなければならない。
リュシアンは、彼女のちいさな足に触れた。
ぴく、とフェリスの体が揺れる。
リュシアンは、静かに口付けた。
まるで、神聖な儀式かのように。
ゆっくりと、落ち着いた、丁寧な手つきで彼女の足を手で持ち、その先にくちびるを押し付ける。
「──」
ひゅっ、と息を吸い込んだ音がした、直後。
フェリスが身動ぎをして──恐らく足を退こうとして、その足が彼を蹴った。
ガッ、と鈍い音がする。
「なに……何、をしてるの」
フェリスの声は低く、硬い。
彼女の声は動揺と衝撃に溢れていた。
自身が命じたくせに、信じられないものを見る目でリュシアンを見下ろしている。
その瞳をみながら、リュシアンは苦く笑う。
「……僕は、よくきみに蹴られてる気がする」
くちびるを指で撫でれば、赤が指の腹に付着した。どうやら蹴られた拍子にくちびるが切れたらしい。
リュシアンは服の袖でぐい、とくちびるを拭った。顔を上げれば、フェリスの顔は青ざめていた。
それを、リュシアンはおかしく思った。
靴の先に口付けろ、と言ったのは彼女だ。
それなのに、その通りにしたらフェリスは大きく動揺した。
「僕は、きみの靴の先にキスをした。これで、信じる?信じてくれるのかな」
「……ハッ、あなた……あなたにプライドはないの?エルフの王が、たかだか貴族の娘の靴先に口付けるなんて……馬鹿みたい。あなたは馬鹿だわ。情けなくないの?腹が立たないの?こんなに良いようにされているのに!」
「そんなもの、僕にはない。そもそも、そんなものは具わってない。あるのは、僕がどうしたいか。ただ、それだけだ」
「…………信じられない。信じ、られない……」
掠れた声で、彼女が言った。




