兄妹だから
「──」
息を呑んだ。
驚く私に、彼がまた笑う。
「ずいぶん前、フェリスに聞かれたよね。……その時は、ここに残る、と答えたけど……。やっぱり、僕はこの国を出ようと思う」
アークは、ずいぶん落ち着いた声で話した。
彼は先月、十八歳となった。
初めて会った時にあった攻撃的な危うさは今はなく、代わりに静かさだけを感じた。
彼の鈍色の瞳はひたすら静かだ。
落ち着いている。
だけど、傷がなくなったわけではない。
未だ、彼はひどく傷ついている。
「……フェリス。ひとつ、聞きたいんだけど」
彼がふと、尋ねた。
その時、カレンがワゴンを押してサロンに入ってくる。
ティーセットがサーブされて、花の柔らかい芳香が香ってくる。私たちは、どちらともなく静かにティーカップに手を伸ばした。
用意された茶葉は、ラベンダーだったようだ。寝る直前だからだろうか。
「お前は、陛下をどう思ってる?」
私は、パッと顔を上げた。
どう、思っているか。
アークは、真っ直ぐに私を見つめていた。
それは力強い、真摯な瞳だった。
その瞳に気圧されて──というわけではないが、真剣な眼差しに、私は当然のように思った。
私も本心を口にしよう、と。
きっと、これが最後の機会だ。
それはただのカンに過ぎなかったが、正しい気がした。
きっと、アークとこういう風に話すのはこれが最後。
だから、本心を口にしよう。嘘偽りなく、彼に言おう。
「……どうしようもないひと」
「そう……」
彼は、ちいさく呟いた。
「……前に、彼と少し話をしたことがある」
「えっ……!?」
その言葉に、とんでもなく驚いた。
アークが?リュシアン陛下と?
いつ、どのタイミングで。なぜ、何の話を。
動揺する私に、アークが薄く笑う。
「お前が僕のことをあまりに気にするから、興味が湧いた、と言っていた──けど。本心は、違う気がする」
「……陛下と、どのような話を?」
尋ねると、アークはまたまつ毛を伏せる。
私とアークしかいない、夜のサロンは静まり返っていた。
「……ティファーニという国そのもの、エルフという種族を、僕は嫌悪している。だけど同時に、シェリンソンという家には……感謝、しているんだ」
アークは、淡々と答えた。
「陛下に言った。……僕は、僕で幸せを見つけると」
「しあ、わせ……」
呆然と、私は呟いた。
どうしてだろう。
幸福な少女という名前を今、ふたたび強く思い出した。
幸せになりたい、と思った。
贅沢は言わないから。ひたすら穏やかで、ただ、落ち着いた、平凡で、優しいだけの幸福を。
愛し愛されるひとと共にいて、子を産んで、家庭を持って、そんな【ふつう】な幸せを望んだ。
「ねえ、フェリス。お前の幸せは、何?」
アークの声が、静かに響いた。
私の……幸せ。
私の幸せは、何なのだろう?
リュシアン陛下と結婚して、王妃になって、それで?
互いに愛はないけれど、穏やかで優しい……日々。
何ものにも煩わされない。
何ものにも害されない。
誰も、私を傷つけない。約束された穏やかな生活。血の盟約は結ばれた。
(私は……)
私は、今、幸せだと……言えるのだろうか?
幸せって、何?
愛し愛される日々……。愛するって、もう、私には分からない。
だって、愛なんて不確かで曖昧なもの、もう持とうなんて思えない。
誰かを信じる、ということは自分のこころをそっくりそのまま、相手に差し出す行為だ。そんな無防備な真似、私にはもうできない。
だって、不用意に傷つけられたらどうするの。
また、ぐしゃぐしゃに、めちゃくちゃに弄ばれたら、どうするの。
無条件に相手を信じ、愛するなんてこと、私にはもうできない。
「……陛下は」
アークが、言い淀んだ。
私は、呆然とその言葉の先を聞いた。
「お前を愛していると思う」
「──」
瞬間、ティーセットをひっくり返しそうになった。衝動を抑えるように、くちびるを強く噛む。
愛、という言葉。
私は、それが大嫌いだ。
愛なんて、目に見えないものを信じるから馬鹿を見る。
私は、手を強く、強く握った。
そして、アークを見る。
睨みつけた、と言ってもいいかもしれない。
「……陛下に、なにか吹き込まれた?彼は何を言ったの」
「僕は、あのひとに謝られたんだよ」
「は……?」
意味がわからない。
アークが、リュシアン陛下の感情を勝手に代弁することも。愛してる、とか馬鹿なことを言うことも。何もかも、意味がわからない。
それこそ、私を馬鹿にしているのだろうか。
リュシアン陛下と私の間に、愛はない。それでいい。それがいい。
「『フェリスを手放せなくてすまない。僕には、彼女が必要だ』……と、あのひとは言った」
「何が言いたいの」
「フェリス。お前と、あのひとに何があったのか僕は知らないし、知る必要は無いと思ってる。……でも、お前は僕の妹、なんだろ?」
「…………」
「だから、お前にも幸せになって欲しいんだ。僕は。……兄妹、なんだろ?」
アークは、そう言って少し笑った。




