ままならない、恋心
リュシアン陛下との婚姻の日取りは、彼が二十歳を迎えてから、となった。
つまり、今から二年後、私が十七歳の時となる。
(これは、変わらなかったのね……)
本来──と言っていいものなのか。
前回は、リュシアン陛下が二十歳を迎えたと同時に戴冠式、同時に婚姻の運びとなった。
今回は、順番が前後したものの婚姻の日取りは変わらなかったようだ。
彼との口付けは、ある種の契約のようだった。
愛はない。恋もない。
だけど、口付けを交わす時だけ、私は、契約を意識する。
彼は私を裏切らない。裏切れない、と。
私が、愛されない妃であることに変わりはない。
いや、少しは変わっただろうか。
愛されない妃から、愛し愛さない妃、に。
そんなことを考えているうちに季節は巡った。
聖歴1247年12月21日。
リュシアン陛下が即位してから、二年目の冬が訪れた。
その夜、私は自室でぼうっと物思いにふけっていた。
悩みの種だったアークの婚約者については、リュシアン陛下の一言で不要になった。
『シェリンソン家は、次の代も養子を迎えるといい』
リュシアン陛下は、はっきりとそう口にした。エルフの王が貴族の問題に介入することは非常に珍しい。基本、彼らは自身の興味があるもの、食指が動くものにしか関与することはないからだ。
肩透かし感、とでも言えばいいのだろうか。
あれだけ悩んでいたのに、彼の一言で全てが決まってしまった。
片付いてしまった。
だけど、それだけの力を【エルフの王】は持っている。
当たり前のことだった。
ティファーニで、エルフの王の存在は絶対なのだから。
リュシアン陛下が明言したのだから、次々代のシェリンソン当主もまた、養子が選ばれることになるだろう。
アークが結婚していようがいまいが、彼は必ず養子を取らなければならない。
エルフの王の言葉は、絶対で、必然のものでなければならないから。
お父様もお母様も、リュシアン陛下の言葉に疑問を持つことは無かった。
なぜなら、彼らもまたティファーニの国民であり、貴族であり、エルフであるから。
メロディ様との婚約もなくなり、アークは何にも縛られることはなくなった。
時折、ふと、考える。
これが、正しかったのだろうか、と。
これで、いいのだろうか、と。
思考の沼に沈むのは、いつも夜、寝る前のことだった。眠る前、というのはどうしても余計なことを考えてしまう。
ぐるぐると自問自答して、結局私はいつもこう、結論づけている。
過ぎたことを悔いても、意味などない。
過去、選びとった選択肢の先に、今があるのだから、と。
(今……私に出来ることは、過去の選択が誤りでなかったと、証明すること)
十年、二十年、百年が経過した時。
過去の選択に自身が納得しているように、出来るように。
(百年が経過したら……アークはきっと……)
アークは、純人間だ。
百年後、生きている可能性は非常に低い。
私は、どうだろう?
ミレーゼの体なら。
ウブルクの血が入っているならば間違いなく生きている。
……今は?
シェリンソンは由緒正しい家柄ではあるが、エルフの血は薄い。
正しくシェリンソンの娘であるなら、百年後、私もいつ死んでもおかしくない老体になっているだろう。
それとも、百五十歳あたりまでは持つだろうか。
(そもそも、私はほんとうにシェリンソン伯爵家の娘なの……?)
突然、そんな疑問が浮かんだ。
前回は存在しなかった【フェリス】を生み出したのは、リュシアン陛下だ。
私の存在は、無から有を生み出したものであり、リュシアン陛下が意図的に造り上げたものである。
(私の血の濃さって……どうなっているんだろう)
今度、彼に尋ねようと思った。
だけど、百年後。
リュシアン陛下は間違いなく健在だろう。
エルフの王は、三百年を生きるのだから。
ごろり、と寝返りを打つ。
この天井を見るのも、あと一年だけ。
来年の冬、私はティファーニの王妃となる。
前回と変わらず。
お気に入りのクッションを抱いて、まつ毛を伏せる。
思い起こすのは、過去の日々。
ミレーゼであった時のこと。
フェリスとして二度目の人生を歩むことになってからの記憶を辿る。
ふと、扉がノックされた。
体を起こすと同時に、落ち着いた声が聞こえてきた。
「フェリス、起きてる?」
訪ね人は、アークだった。
咄嗟に自身の服装を確認する。
寝る直後だったのもあり、ネグリジェ一枚だ。これでアークの前には出られない。
私は少し悩んだ末、衣装室に入り大判のショールを一枚取ってきた。
本来なら来訪を断る場面だが、アークがなんの理由も無くこの時間に尋ねてくるとは思えない。
ショールをぐるぐるに巻いて体を隠すと、私は扉越しに尋ねた。
「起きてるわ。……どうかしたの?」
「話したいことがある。サロンに来てくれ」
アークはそれだけ言うと、廊下を立ち去ったようだった。少しして、控えめに扉がノックされる。続いて聞こえてくるのは、女性の声。
メイドのカレンだ。
「お嬢様、どうされますか?」
「……向かうわ。こんな時間で悪いけど、ティーセットの用意をお願い」
カレンに告げると、彼女の了承した声が聞こえてきた。私はそのままドレッサーの前に向かうと、身だしなみを整える。
異性に会うならデイドレスの着替えるべきだけど、この時間ならメイドも寝ている、あるいは寝支度を整えているものが多いだろう。
それに、アークをあまり待たせるのも悪い気がした。
(話したいこと……って、なんだろう)
疑問に思いながら、私はそのまま部屋を出た。
サロンに向かうと、そこは既に夜の空気に包まれていた。月光を浴びたアークは、何事か考え込んでいたようで、視線を下げていた。
いつか、彼を夜の世界の住人のようだ、と思ったことがある。
そして、その思考はあながち間違いでなかったのかもしれない、と今思った。
月光とアークは、よく似合っている。
どこか、静かな雰囲気。
彼の過去がそうさせているのか、闇のような、暗さを孕んだ瞳。
彼は、不安定だ。危うく、身を滅ぼしてしまいかねない、そんな自滅的な気配を感じる。
ふと、リュシアン陛下の言葉を思い出した。
『きみは彼の人生に責任を取れない』
『アークは、ミレーゼじゃない』
(……分かってる)
私は、彼の人生に責任を取れない。
私は彼の人生のパートナーになり、真実彼を手助けすることはできない。
最期まで共に在れない以上、深く関わることは、彼にとっても、私にとっても、良くないことだ。
責任が取れないのに、感情だけで安易に踏み込んではならない。
捨て猫を拾ってくるのとは、わけがちがうのだ。
彼は人間で、生きていて、彼にも彼の人生があるのだから。
最期まで面倒を見れないのに一時の感情で動くなど……あまりにも無責任だ。
だって、私は気がついている。
さすがに、そこまで鈍くはなかった。
きっと、アークが私に望んでいるものは──。
私はまつ毛を伏せた。
男と女。性別が違う以上、深く関わる、となるとやはり関係性は自ずと変わってしまうものなのだろうか。
私が、考え無しだったから。
結果、アークを深く傷つけてしまうことになった。
アークが、私に気がついて顔を上げる。
そして、ふわりと微笑んだ。
家族に向ける親愛の笑みだ。年下の少女に向ける類のものだと気がついて、私は自身の罪悪感に苛まれた。
「……来てくれたんだ」
「どうかしたの?……こんな時間に」
尋ねると、アークがまつ毛を伏せた。
まだメイドは来ていないようで、ティーセットは運ばれてきていなかった。
私は、アークの対面に腰かける。
彼は、また視線を下げてから言った。
「ティファーニを出ようと思う」




