真実の扉
「ねえ、ミレーゼ。僕はね、きみに見て欲しかったんだよ」
「何を……」
「僕のことを。きみは僕に無関心で、興味がなかった。だから、それ以外の感情を全て、僕に向けるように仕向けたんだ。きみは、僕が嫌い?忌避している?……それなら良かった」
意味がわからなかった。
もう、何を話しても彼と話が通じないように思えた。
この人は、一体何をしたらまともに話ができるようになるのだろう。
彼の死に際になったらようやく、ほんの少しくらいは意思疎通が可能になるのではないか、という思考が掠める。
「僕はね、きみに言われてから……孤独な王とはどういう意味か、調べてみたんだ。国内には参考になる本がなかったから、国外にまで手を伸ばして」
国内に本がなかったのは、間違いなくそれらは発禁、あるいは焚書扱いとなっているためだろう。そもそも、王を否定するような内容の文書を、ティファーニの人間が書くはずがない。
リュシアン殿下は、窓の外に視線を向けた。
まるで、過去を辿るように。
「人間は面白い考えをする生き物だね。自分たちにとって、王は良き王なのか、判断しようとする。王あっての民だというのに、ずいぶん思い上がるものだ」
「…………ティファーニでは、確かにそうなのでしょう」
ティファーニは、王が在って、初めて成り立つ国だ。王を失えば、途端ティファーニという国も瓦解する。ティファーニの民は、エルフの祝福に依存し、頼りきってい生活しているのだから。
「ですが、海外は違います。特別な力を持たない人間たちは、それぞれ自分に出来ることを成し、助け合い、生きています。……民と、王は対等な関係にあると公言している国もあります」
「ふぅん?信じられないね。だけど、人間は弱くて脆い。一人では何も出来ないから集団になって何かを成し遂げようとする。その習性が反映した結果なんじゃない?」
「なぜ……エルフは、あなたたちは、人間を蔑むのですか?対等な存在として認めないのですか?」
話の趣旨がズレている。理解していたが、聞いてみたいと思った。エルフに捕まり、奴隷商に売られたアークを思い出す。
彼は、憎んでいる。エルフのことを。
特別な力を持つ王に縋り、依存して生きるティファーニの在り方を心から嫌悪している。
どうして、認めようとしないのか。
どうして、他種族に歩み寄ろうとしないのか。
ティファーニの歴史は短い。
それこそ、他国は一万年ほどの歴史を誇る国だってある。その国からしたら、ティファーニという国は、エルフという種族は、世界への侵攻としか思えなかっただろう。
愚かな人間ではなく、賢く神の血を引くエルフが世界を統べるべきだ。
なぜ、みな疑問に思わないのだろう。
人間には、感情がある。心がある。
上から押さえつけられて、なぜ、当然のように従うと、そう思っているのだろう。
きっと、そこには人間への見下した感情があるからだ。人間に配慮する必要はないと、そう思っているから。
リュシアン殿下が、冷たい眼差しを私に向けた。
愚問だと、なぜそんな愚かな問いをするのかと、彼の瞳がいっている。それは、軽蔑、失望といった色を孕んでいる。
「くだらない問いだけど答えてあげる。早く本題にいきたいしね。こんなところで押し問答するつもりはない」
一拍開けて、彼は奥の絵画へと向かった。
私に背を向けて、随分無防備だ、と思った。
しかし彼には、もし私が彼を害そうとしてもそれを阻む力があるのだろう。
それこそ、エルフの祝福は、まさに神の力だ。その力で、成せないことはないと言われている。
例え、彼が瀕死の重症を負ったとしても、彼は力を使えばすぐに回復できる。
首を飛ばされても再生する力があると言われている祝福は、人間にとっては恐怖でしかないだろう。
人間が、エルフに勝てないわけだ。
私だって、リュシアン殿下を殺すことは、きっとできない。
「人間は、猿に対して対等な生き物だと思うの?猿は、とても賢い生き物らしいね。でも、人間は決して猿を対等な相手と認めない。そうでしょう?」
「あなたは…………人間を……エルフの血を持たない純人間を、猿だと思っているのですか……?」
「ただの猿とは思ってないよ。改造された猿、くらいかな。ある程度知能はあるし、戦うすべも持っている。だけど、ある程度、だ。激しやすく、弱点を突かれると弱い。エルフはみな、感情が薄いけれど、純人間は感情に振り回される。愚かなことだと思わない?根本的に、理性の制御が弱いんだよ」
彼は、絵画の隣の壁に背を預けた。
そして、彼がくるりと手首を回す。
次の瞬間、彼の手には剣が握られていた。
(今のが……エルフの祝福)
彼はなんてことないように、剣を手にしている。
その剣は、絵画に描かれているものとよく似ていた。……聖剣だ。
何をするつもりなのか。
なぜ、聖剣を呼び出したのか。
そもそも聖剣とは本当に存在したのか。
唖然としている私の前で、彼は剣のグリップを握り数回試すように振ってみせた。
そして次の瞬間、彼は突然、絵画を剣で引き裂いた。
「何を……!?」
掠れた、乾ききった声で問いかける。
リュシアン殿下がなにか答えるより先に、私は目の前に現れたものに目を奪われた。
絵画は切り裂かれたというのに、中の板版が捲りあがるどころか──黒い渦が出来ていた。
それは、直視していると気分が悪くなるような、吐き気をもたらすような、そんなものだった。
何が起きているのか分からずに、ついに一歩、後ずさった。
彼は、私の方を見ていないのにまるで、私が後退したことを知っているように言った。
「きみが死んだ後、僕は時を戻したんだ」
「────」
「僕はきみを逃がさないよ、ミレーゼ。きみは、僕に囚われるべきだ」
「な、にを……」
何を、言っているの。
この人は、何を。
彼は、立ち尽くす私の前まで歩いてくると、私の手首を掴んだ。
咄嗟に、叫んでいた。
「嫌!!」
彼の手は、やはりゾッとするほどに冷たかった。
まるで、感情などなく、凍てついている彼の心そのものだと思った。
「離して!!」
「だめだよ、ミレーゼ。きみは知りたいんでしょう?……いや、違うな。僕がきみに教えたい」
「あなたは何がしたいの!?」
もう必死だった。
彼に呑まれないように、取り込まれないように懸命に声を上げる。声は掠れて、裏返っていた。私の悲鳴のような声に、彼は笑った。
「きみを僕に縛り付けたいだけだよ」
「ふ……ふざけないで!!」
大きく腕を動かして彼の手を振り払った。
乱暴な仕草だったが、これ以上大人しくしているのは、無理だった。
彼が僅かに目を細める。
そして、自身の手をじっと見つめた。
私も彼の手に視線をやって──流れる赤に、息を呑む。
振り払った時に、爪が当たってしまったのだろう。
「あ…………」
謝罪するべきだとすぐさま思った。
まだ戴冠式は行われていないけれど、ティファーニの王は彼となることが、本日周知された。
エルフの王たる彼に血を流させる。
本来なら当然殺されて然るべく愚行だ。
それを、貴族令嬢で、ウブルクの娘で、王妃でもあった私はよく理解している。
…………とんでもないことをしてしまった。
その事実だけが、私を動揺させる。
青ざめる私に、彼は自身の手を持ち上げて──ぺろり、と舐めて見せた。
赤い、舌。
真っ赤なそれから、目を逸らせない。
まつ毛を伏せて、彼は薄く滲んだ血を舐めとった。
どこもかしこも白い彼が、血のような赤の舌を覗かせる。それはあまりにも衝撃的な光景だった。
彼は、自身の血を舐め取ると、また顔を上げる。
緊張か、混乱か。
呼吸が浅くなる私の前で、彼が言う。
「おいで、ミレーゼ。真実はこの先だ」




