やっぱり私はあなたが嫌い
自然、体が強ばった。
警戒する目付きを隠せない。
私は意図的にまつ毛を伏せた。
「……手を」
リュシアン殿下に言われて、私は控えめに手を伸ばす。レースの手袋で包まれた自分の手が、どこか現実味がない。
殿下が薄い微笑みを浮かべる。
そのまま殿下にエスコートされて、ホールの中央に向かった。招待客の視線が体に突き刺さる。
だけど皮肉なことに、周囲から注目を浴びることは、ミレーゼであったとに慣れてしまっていた。
私とリュシアン殿下が互いに腕を組み、ゆっくりと踊り出す。ベニーズワルツだ。
私は、極力殿下の顔を見ないように努めた。
「……覚えてる?」
華やかな曲が奏でられる中、ふとリュシアン殿下がそんなことを言った。
彼が話す度に、彼が私に向けて何かを言う度に、動揺でステップを間違えそうになる。
私はまつ毛を伏せたまま、彼の言葉を待った。
「以前は、ここできみを見つけたんだよ。僕は」
「──」
以前、は。
その言葉に驚いて顔を上げる。
そうすると、口元だけでなく、瞳にも笑みを浮かべたリュシアン殿下と目が合った。
久しぶりに見たリュシアン殿下は、分かってはいたけれどやはり神々しさを感じるでに美しい。
距離の近さと言い、呑まれそうになる。
「良かった。覚えているんだね」
彼の言葉に、私は血の気が引いた。
リバースターンの時、うっかり足に力が入らずそのまま転びそうになってしまう。それを、リュシアン殿下が腰をホールドして支えた。
「…………ありがとう、ございます」
「驚いた?……ねえ、フェリス。……いや、ミレーゼ。きみがどうして時を遡り、さらには見知らぬ少女になったのか、知りたい?」
動揺と衝撃で、何も言えなかった。
彼は、何かを知っているようだ。
周りが暗くなって、音が耳に入ってこない。
ただ、ドクドクとうるさいほどに心臓が音を立てている。ちょうど、貧血の時のように周囲の様子が伺えなくなってしまった。
それでも、慣れた動きを続けることだけはできて、辛うじて私は踊った。
「ミレーゼ?」
彼の声が、耳元で聞こえる。
親密な距離。
いや、王妃と国王であった時なら、特段おかしくはない。
だけど今──私は、シェリンソンの令嬢で、彼は若き王太子だ。
耳元に触れるほどくちびるを近づける彼に、ザッと血の気が引いた。
咄嗟に、体を離していた。
「なにを……!」
「なんだと思う?」
「っ……。っ……私、あなたのそういうところが……!」
涙で、視界が滲む。
人を食ったような笑み。
何も思ってないように、思う感情そのものがそもそも存在していないかのように、気まぐれに人の心を弄び、人を、簡単にチェスの駒のように扱う。
王としての資質があるのだろう、と思う。
だけど私は、私は。
「大嫌い……!」
視界が涙でぼやける。
だけど決して、涙は落とさないと決めていた。強く、強く彼を睨みつけた。
リュシアン殿下は少し驚いた顔をして──それからまた、笑う。
なぜ笑うの。
あなたのその微笑みの下には、何が隠されているというの。
分からない。
分からないから、嫌い。
分かりたくない。
もう、理解しようなんて気持ちは起こらないというのに。
「きみに嫌われているなんて知らなかった」
「どの口がそんなことを……!」
「ミレーゼ。いや、フェリス・シェリンソン。令嬢としての仮面が剥がれているけど、きみは構わないの?」
「っ……!」
ハッと、ようやく我に返る。
(そうだわ。今は王城での夜会で、招待客はたくさんいる……)
我を忘れてリュシアン殿下を詰るところを見られたら私はもちろん、シェリンソンの家も終わりだ。悔しくて、だけど彼の言うとおりにはなりたくなくて、グッと歯を噛んだ。
リュシアン殿下はそんな私を見ると、まるで歌うように軽やかに言った。
「後で少し話をしようか。きみも、聞きたいことがあるんじゃないかな」
どの口がそれを言うのだろうか。
私は確信していた。
この時巡りには恐らく──いえ、間違いなく。
リュシアン殿下が関わっている。
聞きたいことはもちろんあった。
なぜ、死んだはずの私が過去に戻っているのか。
そして、フェリス・シェリンソンという存在しない少女となっているのか。
だけどそれ以上に──彼にはもう、関わりたくなどなかった。
私は彼の腕の中で、緩く首を振る。
その拍子に、涙の飛沫が散った。
「いいえ。……結構です。お話することはありません」
ダンスももう、終わりに近づいてきている。
リュシアン殿下とファーストダンスを踊ってしまったために、今後はかなりやりづらくなることだろう。
リュシアン殿下の恋人なのかと勘ぐられ、婚約間近なのかと思われる可能性は非常に高い。
今宵の一夜で、私はリュシアン殿下の婚約者筆頭候補として名を上げてしまったのだ。
私は、顔を上げた。
リュシアン殿下が眉を寄せ、なにか考え込むように私を見ていた。
好きだった頃の想いは、ちりちりとした火の粉のように私を苛んだ。
好きだった人を拒絶する。
それはきっと、並大抵の気持ちではできない。
だって、【過去】は確かに存在した。
私が彼を好きだった時間、彼と共に過ごした時間。それらを否定すれば、私はその記憶すらも、過去の思いも、過去の自分そのものも拒否することになる。
どうして、放っておいてくれないの。
そんな思いで、私は彼を見た。
「殿下に……少しでも、私を思う気持ちがあるのなら」
私は彼を真っ直ぐに見つめた。
決して、逸らしたくはなかった。
私の気持ちを伝えようと思った。
少しでいい。伝わって欲しい。
「もう、放っておいてくださいませ」
「──。そう。それが、きみの願い?」
リュシアン殿下が尋ねる。
私は頷いて答えた。
あの過去を、無かったことになどできない。
どう言い繕っても、どう誤魔化しても、あの記憶は、過去は、揺るぎないものだ。
もう、私と彼の関係はぐちゃぐちゃで、もつれた糸のように解くことは適わない。
ここまでこんがらがってしまったのだ。
もう、何を言われても私は彼を信じることはできないだろうし、何を言われてもきっと昔のように彼を慕うことはできない。
だから、私たちはもう終わりにした方がいい。
殿下はなぜ、私がミレーゼなのだと分かっている上で、ファーストダンスの相手に私を指名したのだろう。
彼は私を嫌っていた。
嫌っていたからこそ、私を拒絶し、ほかの女性を愛し、寵愛を与えた。
あの後宮で私は、体の芯まで凍りついてしまった日々を過ごした。
彼はいたずらに、気まぐれにまたしても私を弄ぼうとするのだろうか。
悪趣味だ。
私の言葉に、彼はちいさく息を吐いた。
それと同時に、曲が終わりを迎えた。
リュシアン殿下が私から手を離す。
ドッと緊張が解けて体が僅かにふらついた。
「……ミレーゼ。さっきの言葉はね、提案じゃない」
盛大な拍手の音に包まれながら、冷酷に、残酷に、彼が私を見る。
真冬の新雪のような、烟る瞳が私を射抜く。
まるで目を逸らすことを許さないとばかりに。
「これは、命令だよ」
「──」
ああ、やっぱり。
やっぱり私は、あなたが嫌い。




