泥濘 【リュシアン】
オーブリーとリュシアンは、側妃たちが収監されている地下牢へと向かった。
リュシアンの手には既に、聖剣はない。
国王の私室で、聖剣は溶けるように消えてしまったためだ。どういう原理かは全く分からないが、恐らくそれもエルフの祝福によるものなのだろう、とオーブリーは思った。
側妃であるロザリアとミチュアは、それぞれ別の階層の牢獄に入れられている。
同じ階層に収監し、無闇にふたりを刺激するのは悪手だからだ。
興奮した彼女たちから必要な情報を聞き出すことが適わなくなる。
リュシアンの姿を見留めた牢番が、ギョッと顔を上げる。
まさかこんな場所を国王が訪れるとは思わなかったのだろう。
加えて、彼の白い衣装は真っ赤に染まり、時間経過のためか、黒くなっている部分も多々あった。
それは、紛れもなく人の血だ。
そして、つい先程、王妃ミレーゼが亡くなったのは牢番もまた、知っていた。
彼の白い頬にも、血の跡がべったりとこびりついている。
何もかもか、信じられなかった。
この世のなによりも神聖であり、その存在こそが神秘だと言われるエルフの王。
その彼が穢れをまとっている様子はあまりにも異様で、牢番はこの世の終わり、天変地異だと思った。
リュシアンは、そんな仰天した様子の牢番には一切構わず、そのまま足を進める。
流石に妃を収監しているだけあって、警備が厳しい。至る所に兵が立ち、彼らもまた、甲冑で表情は見えないが驚いている様子が伝わってきた。
カツ、カツとリュシアンの靴音が響く。
オーブリーは城務めの文官らしく皮のブーツを履いているので、足音はしない。
リュシアンは、二重扉となっているひとつの牢の前で足を止めた。この中に、ブレアンの王女ロザリアがいる。
先にロザリアを訪問した方がいいのでは、と提言したのはオーブリーだ。
ミチュアは、ティファーニの高位貴族であることを鼻にかけ、プライドがとんでもなく高い。
その彼女が牢に入れられたのだ。錯乱具合や興奮度合いを考えると、先に対面すべきではないと判じた。
もっとも、リュシアンはそこら辺はどうでもいいのか、何も答えなかったが。
彼は、恐ろしい程に冷たい瞳をし──無感情に扉を押し開いた。慌てて両隣を守る兵が変わろうとするが、リュシアンはそれに構わずさっさと中に入ってしまう。
オーブリーもあとに続く。
ロザリアは、呆然とした様子で木の椅子に腰掛けていた。彼女の自慢の金髪は、乱れ、ほつれている。
いつも美しく、ビスクドールのように完璧な彼女のそんなところを、オーブリーは初めて見た。
ロザリアは、リュシアンに気がつくと慌てた様子で腰を上げた。
がたん、と木の椅子が無理に押しやられて音を立てる。
「陛下……!私、」
「ミレーゼを殺したのは、きみ?」
あっさりと、落ち着いた様子でリュシアンは尋ねた。
しかし、ロザリアの言葉を無視し、彼女の話を聞くつもりは毛頭ないようだった。元より彼は、自分の知りたいことを知るためにここを訪れたに他ならない。
ロザリアは、リュシアンの平坦な声に氷のような冷たさを感じたのか、びくりと震えた。
「聞かれたことだけ答えるように」
リュシアンはさらに尋ねる。
ロザリアは、スカートの裾を強く掴みながら恐る恐る、頷いた。
「……はい。……っですが、私は王妃陛下を殺そうとしたわけでは……!あの……あの女が悪いのです。私は、あの女に殺されかけました。だから、これは正当防衛で……!」
ロザリアは懸命に弁明を述べた。
オーブリーはそれがどうも白々しく聞こえた。
彼女の言うように、それで正しくロザリアがミチュアを害したとしたのなら。
それは、正当防衛という側面も見て取れるかもしれない。
だけど、実際に死んだのは王妃ミレーゼで、彼女が手をかけたのは、ミレーゼだ。ミチュアではない。
結果が全てだ。
結果として、ミレーゼが死んでいる以上彼女の弁明は弁明になり得ない。
リュシアンは何を考えているのだろうとオーブリーは彼を横目で見た。リュシアンはただ静かに、ロザリアを見ていた。
「そう。お前がミレーゼを殺したのか」
リュシアンは、ロザリアのまくし立てる弁明をどれほど聞いていたのか。
それら全てを無視したように、【ロザリアがミレーゼに手をかけた】という部分だけを切り抜いたようだった。
どうしようもない事実には、ロザリアには残酷に響いた。
彼女の顔が紙のように白くなる。
「うんざりだな……。最低限の知能はあると思っていたんだけど、まさかそれすら持たない塵だとは。私は愚かだった」
リュシアンは淡々と言葉を紡ぐ。
しかし、だからこそ恐ろしい。
激昂するわけでもなく、憎悪を見せるわけでもなく。ただ静かに、ロザリアを詰った。
「与えられた役割すら果たさず、しかも勝手に動き出す。お前は私の人形にはなれなかったんだね」
「違っ──!」
「今すぐお前を処分したいと思っているけど──それが出来ない理由が私にはある。後のことは宰相に任せるよ。お前がどうなろうと、私の知ったことでは無い。お前の存在は、もう私の世界には不要だ」
「待っ……お待ちください!待って!待ってください!陛下!陛下!!」
ロザリアが、鉄格子を掴んで叫ぶ。
しかしリュシアンはもう用はないとばかりに踵を返した。
ここを去るつもりなのだろう。
そして、立ち去ったあとは二度と、ロザリアに顔を見せることなく、彼女の存在自体を無かったことにするのだろう。
それは、リュシアンというひとりの人間に魅了され、心を奪われたロザリアにはなによりも辛かった。
彼は、まさに光のような存在だ。
流れる流星どころか、常に輝く綺羅星のような存在。真冬の空でも一等輝く、ポラリスのような、絶対的な存在なのだ。
彼を失えば、ロザリアは生きられない。
ロザリアは泣いていた。
悲しいのではない。恐ろしくて。
彼という光を取り上げられたら、ロザリアは生きてはゆけない。
「お、王妃陛下は……王妃陛下は、自ら飛び込んでこられたのです!ですから……!」
その言葉に、その場を去ろうとしていたリュシアンの足がピタリと止まる。




