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ギィ……
クラシカルな音を軋ませ、サンルームへの扉を開いた。
両開きのそれは、レトロ感たっぷりのガラス細工が施されていて、その音が鳴る度に、私は今もあの人を思い出す。
このサンルームでロッキングチェアに腰掛けながら、いつもなにやら難しそうな本を読んでいたあの人。
けれど、私の恩人でもあり、師でもあるその人がここに来ることは、もう二度とない。
あの人がいないまま、サンルームの窓の向こうでは、今夜も満月が夜にぽつりと浮かんでいた。
満月の夜は、私達MMMコンサルティングに勤める魔法使いは基本的には休みになる。
各々が日本中……場合によっては世界中に散らばって業務をこなす社員にとって、満月の夜は唯一の安息時間と言っても過言ではないと思う。
ゆえに、月齢を数え、まん丸お月様に安らぎや癒しを重ねる魔法使いは多くいた。
かく言う私も、以前はそうだった。
もともと極度の人見知りで対人恐怖症、知らない人と話すことが苦手で卒倒してしまいそうになっていた私は、魔法使いとしてスカウトを受け、MMMコンサルティングに入ってから徐々にそれらが改善されていったとはいえ、やはり仕事は精神的な疲弊が付き纏っていたのだ。
特に、人の生き死にに関わる案件を受け持っていたときなんかは、満月を指折り待ち望んでいた。
私達数名の仲間は、満月の夜がくるたびに、仲間の一人の持ち家である古い洋館に集まっていた。
つまり私が今いるこの館のことだ。
たていは仕事の愚痴や他愛もない世間話に終始し、魔法使い同士で日頃のガス抜きをしているのだけど、時折、前触れもなく誰かが真剣な相談を持ち込んだりすることもあった。
自分がいない夜にそんな重要な議題が出されるかもしれない……全員がそう思っていたのかはわからないけれど、私達は毎回誰も欠けることなく、満月の夜をともに過ごしていた。
欠けるどころかむしろごくたまに参加者が増えたりして、とてもとても寿命が長い私達魔法使いにとっての貴重な憩いの空間と時間となっていたのだ。
けれど、どんなに満月を待ち望んでも、あの人の姿がこの館に戻ってくることはないのだった。
「あれ……?」
いつものように誰もいないと思い込んでいた私は、サンルームに先客を見つけて足を止めた。
サンルームのほぼ中央に置かれたロッキングチェアのさらに奥にある、年季の入った一人掛けのソファに、仲間の女性が座っていたのだ。
胸元には大事そうにノートを抱え、窓越しの満月を見上げている。
私はなんだか邪魔をしては申し訳ないという気持ちになり、そっと踵を返そうとした。
けれど、
「あら、ごきげんよう」
彼女が優雅な微笑を浮かべて声をかけてきたのだった。
「………ごめんなさい。お邪魔だったかしら?」
「とんでもないわ。あなたがここに来るのはいつものことですもの。どちらかというと私の方がお邪魔になるのではなくて?」
彼女の貴婦人のような言葉遣いはいつものことで、黒いワンピースを身に纏っているのもいつものことだった。
ご主人を病気で亡くされていて以来、ずっと黒い洋服を着用しているらしい。
それがどれほどの時間になるのかは知らないけれど、そんなに短いわけではなさそうだ。
それが彼女の最愛の人への想いの表れなのだろう。
そしてご主人の方も、彼女のことを本当に深く愛していたらしい。
二人をよく知る仲間が教えてくれたのだ。
本当にお互いを想い合う、理想の夫婦だったという。
それは素敵なことだし、そんな相思相愛の相手と巡り会えて羨ましいとも思った。
でもだからこそ、そんなに想い合った人との別れは、相当な傷を彼女に刻み付けたことだろう。
そう思うと、彼女が身に纏い続けている黒い服は、彼女をその傷に縛り付けている足枷のようにも感じてしまうのだ。
大切な人のいない世界で、その人から心を離さないために。
もう、その人はいないのに………
いったい、いつまで彼女は亡くした人を想い続けるのだろう。
すぐそばに、彼女を大切に想ってる人がいるのに………
「どうかなさったの?」
不思議そうに私を見つめる彼女の視線とぶつかり、思いふけていた私はあわてて首を振った。
「ああ、ごめんなさい。なんでもないわ」
「体調が優れないのではなくて?もしそうなら、先にあなたの分だけお紅茶を淹れましょうか?」
「ううん、本当に平気。でもありがとう。でもあとで、みんなと一緒で構わないから紅茶お願いしてもいい?あなたの紅茶を飲んだらやっぱり心も体も癒されるから、すごく助かるのよ」
彼女は癒しや回復の魔法を得意としてる魔法使いだ。
彼女の作る料理や淹れる飲み物を口にするだけで、魔法使いも普通の人間も、みんなが心身の状態を改善させる。
けれど今は、その魔法は彼女自身にも必要のように思えた。
だって、優雅な微笑みの中にも、ほんの少しの陰が見え隠れしているから。
「ねえそれより、それって、前に話してた亡くなったご主人の日記?」
私は彼女が今も抱きしめているノートを指差して尋ねた。
以前、彼女自身から半分惚気のように聞いていたのだ。
ご主人が病に倒れてから亡くなるまで、彼女に隠れてしたためていた日記。
「ええ、その通りよ」
彼女は美しく答えたあと、ふと私の背後を覗き込むように体を斜めにした。
そしてやはり優雅な口調で訊いてきたのだ。
「そういうあなたがお持ちなのは、いつものカスミ草のブーケかしら?」




