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パタンと、私は夫の日記を閉じました。
私がこの日記を見つけたのは、夫の葬儀から二週間が過ぎた頃でしたでしょうか。
夫との別れを迎えたあとも、一人になった私を心配してくれる方が多くいらっしゃって、しばらくは私が一人きりになる時間はありませんでした。
ですから、夫が私に隠れて何かを残してくれていることに気付いていながらも、見つけられたのは二週間ほど経ってからになってしまったのです。
これは、幸せな遅延と言えるでしょう。
この日記は、夫の書斎のデスクの上に、まるで私に自己主張をしているような存在感で置かれてありました。
どうやら夫は私に宝探しをさせる意図はないようだと、正直なところ、ほんの少し意外に感じたのは事実です。
ですが、それならそれで、夫が私に残してくれた読み物を堪能させていただこうかしらと、私は特に訝しむこともなく、むしろ嬉しさと愉しみを抱えて日記の表紙を捲ったのです。
そこに書かれていたのは、夫ががん告知を受けてからの出来事と心境でした。
私は突然のことにすっかり平常心を失ってしまったのですが、夫は私がそうなることを見越して、後々落ち着いてから当時の夫のことを思い返せるようにと、この日記を書き残してくれていたようです。
それは大正解でした。
夫の闘病期間、私は無我夢中で夫と共に生きてまいりましたので、夫が私に特別な想いを語ってくれたとしても、その本意を素直に聞き、理解できたかは定かではありません。
むしろ、夫のために魔法を使うことを禁じられ、もどかしさの中に少しばかりの苛立ちも覚えていたほどですから。
今にはじまったことではありませんが、本当に、夫は私のことをよく理解してくれていたということでしょう。
おそらくは実家の両親よりも、誰よりも、私のことをわかってくれている唯一の人。
そしてそれと同じように、私も、夫のことをよくわかっていると自負しております。
ですから、この日記があまりにも簡単に私に見つかってしまったことに、やはり違和感が拭えませんでした。
その違和感は、日記を読み終えても尚ふくらんでいく一方です。
なぜ、この日記は夫のデスクの上にあったのでしょう?
夫のことですから、もし私にこの日記を読んでほしいのなら、例えば日記をどこかに隠しヒントを家中に散りばめておくとか、さながら宝探しゲームのような段取りを計画していたように思ったのです。
その方が私の好奇心を刺激し、夫の不在から気を紛らわせることができそうだですから。
夫なら、そのような考えになると思うのですが、この日記は、わざとらしいほどにわざと私のすぐ目につくデスクの上に置かれていました。
不思議でした。
ですが夫から答えを聞くことはもうできません。
私の思い違いだったのでしょうか?
疑問が消えることなくさらに一週間ほどが過ぎたとき、私は、ようやく夫がこの日記に隠したメッセージに気が付いたのでした。
こんなふうに
のんびりできた
日はひさびさだった
きぶんはとてもいい
においも
はだざわりも
一つひとつがたからものだ
つらくはないし
うらやむきもちもない
そばにきみがいてくれたから
がんばれた
ありがとう
るすを たのんだよ
『この日きには一つうそがある』
『この日記には一つ嘘がある』
最後になるにつれ、夫の日記はひらがなが増え、文字も弱いものになっていました。
私が夫に魔法を使わなくなったことで、次第に体調が悪化し、夫はひどい痛みに苦しまなくてはなりませんでしたから、日記の変化は仕方ないものでしょう。
ですから、日記の最後におかしな文節の区切りがあったとしても、夫の苦痛がそうさせたのだと思い込んでいたのです。
思い込みとは途端に視野を狭くさせます。
そうやって視野を自ら狭めてしまった私は、夫の隠したメッセージに気付くまで時間を要してしまいました。
ある日、飽きずに夫の日記を読み返していたとき、ふと、日記の最後に書かれている不自然な文節の頭文字を縦に読んでみたのです。
すると、『この日記には一つ嘘がある』というメッセージが現れたのです。
私は驚きましたが、同時に、どこかで深く腑にも落ちていました。
ああ、夫らしいな………と。
この日記は、夫が何らかの意図を持って私に残した、最後の贈り物だったのです。
それから私はすぐに日記を読み返しました。
頭からおしまいまでを読み終えると、もう一度。
ですがただ読み返すだけでは、夫の嘘には辿り着けませんでした。
そもそも、たとえ私が嘘に心当たりがあったとしても、夫が答え合わせをできない以上、それが正解かどうかは永遠にわかりません。
でも、夫はそれでいいと思ったのかもしれません。
永遠に答えのない問題。夫の目的はそれだったのかもしれませんから。
それにしても、実に巧妙な仕掛けだと思いました。
一つだけ嘘がある――――それは、日記の中に書かれているすべてのことに、嘘の可能性があるかもしれないし、嘘ではない真実だった可能性もある、ということになります。
どちらに寄せて受け取るのかは読み手の私次第ということになるのでしょう。
そして書いた本人は、正々堂々と嘘を紛れ込ませるのです。
では、いったいどれが嘘なのでしょう?
私はもう一度、日記を捲りました。
そこに書かれている出来事はほとんどが実際にあったものばかりで、ですから夫の嘘は、出来事ではなくその時どきの心境ということになるのではないしょうか?
私は夫の心境について書かれてある箇所を重点的に、再度読み返していきました。
その中で、私への愛情や感謝、それ以外にも私のことを想ってくれているのがわかる部分は省いていきました。
さすがにそこに嘘が潜んでいるとは考えられないからです。
そうすると、前半は嘘の入り込む余地はどこにもなさそうに思えました。
そして後半にある、夫の親友であり私をMMMコンサルティングに誘ってくださった彼に関する部分に注目いたしました。
裏切り――――その言葉が、日記の最後にも登場していたからです。
――――あいつに、「うらぎってもいい」と、伝えてほしい。
たぶん、そう言えばわかるはずだから。
日記にはそう書かれていました。
夫の親友の彼は葬儀やその後のあれこれを色々と手伝ってくれていましたし、MMMコンサルティング関係でも親身になって相談を聞いてくださってましたので、連絡はほぼ毎日とっておりました。
ですから、日記を見つけた翌日には、彼にお電話差し上げました。
そして日記にあった夫からのメッセージをお伝えいたしました。
「裏切ってもいい」と。
すると、なぜか彼は「それはあいつの本心ではないはずです」と仰って、夫の伝言を否定されたのです。
そう言われてしまった当時は、まだ夫の隠しメッセージに気付く前でしたので、私は彼の返答におおいに戸惑ってしまいました。
夫が本心でないことをこの日記に書くはずないと思ったからです。
そもそも夫や彼の言う「裏切り」という言葉が何を指し示しているのかも、当初はわかりませんでした。
その文脈から、彼が夫に対する「裏切り」をしないと約束し、そして夫はその「裏切り」が何なのかを彼に直接問わないままだったようです。
ですが夫の中ではある程度の推測は立っていたようで、最終的にはその「裏切り」を夫が許容したことを、私が彼にお伝えしたのです。
私は、彼に「それはあいつの本心ではないはずです」と告げられてからは、その「裏切り」が何を意味するのかについてよく考えるようになりました。
もちろん、彼にもそれを尋ねました。
ところが残念ながら彼からは教えていただけませんでした。
ですから、私は自分自身でその意味を考えねばなりませんでした。
そして何度も読み返しながら、私が夫ならばどう思うのか、夫の親友の彼の立場になればどう感じるのかを繰り返し考えていくうちに、朧気ながらも、二人が「裏切り」と呼びそうなことが見えてきたのです。
彼は夫がいなくなった私のそばに居続けたとしても夫を「裏切らない」と言ったといいます。
そして夫は、最後の最後になって、「裏切っても構わない」というメッセージを残しました。
もし私が夫の立場になったら、最期に一番の気がかりは、残される夫のことでしょう。
一人きりになってしまう夫のために、私だったら、私以外の人と幸せになってほしいと願うかもしれません。
だから、おそらく、夫も………彼に、私を託したいと願ったのかもしれません。
そして彼は彼で、親友亡きあと、その妻だった私とどうこうなるつもりはないから安心しろと、夫にそういう意味で「裏切らない」と伝えていたのかもしれないと、私はそう考えたのです。
この答えが正しいのかどうかはわかりません。
ですが、もしそうだとしたら、本題の「夫の嘘」には当てはまらないようにも思いました。
人間、命の終わる間際にまで嘘をつくとは思えないからです。
そうなると、本題は振出しに戻ってしまいそうですが…………実は、彼とのことをあれこれ思い浮かべているうちに、私はある出来事を思い出したのです。
それは、夫の葬儀にまで遡ります。
夫の葬儀を厳かに終えたあと、自宅に戻って親族や関係者の方々もそれぞれお戻りになっていかれる頃、彼が、夫に頼まれていたことがあるから私と二人で話したいと仰ったのです。
勿論私は了承し、二階のゲストルームにご案内いたしました。
そこで彼は、「あいつとの約束で、頼まれていたことをこれからあなたに行います。ですが、あなたにはそれを回避する魔法が使えます。ご自分で判断なさってください」と仰いました。
そして、私に手のひらを向け、私の記憶を操作しようとなさったのです。
突然のことでしたが、幸い、私はMMMコンサルティングに入った際に、記憶を操作されないための防御方法を教わって習得しておりましたので、すぐさまその魔法で対応しました。
しばらくして、彼は腕を下げられました。それから、
「これであいつとの約束は果たしました。例えあなたがあいつの苦しんでる姿を覚えていたとしても、それはあなたがそう望まれたからです。もしあいつがクレームを言ってきたとしても受け付けないからと、あいつに言っておいてください」
泣きそうに笑いながらそう仰ったのです。
どうやら、夫は病気による痛みに苦しんでいた自分の姿を私の記憶から消し去ってほしいと、魔法使いである親友の彼に依頼していたようなのです。
それは、とてもよく理解できる依頼でした。
誰だって、自分の弱ったり苦しんでる姿を最後の思い出にはしてほしくはないでしょうから。
ですが私はそのとき、魔法で対抗できて本当によかったと思いました。
いくら夫の望みだとはいえ、大切な夫との思い出を消されてしまうのは悲しすぎますから。
それが夫の苦しむ姿でも、私にとっては大切な宝物なのです。
そういえば、今になってよくよく考えれば、あの日記の最期の日の前日には、夫は痛いとか苦しいとかそのような言葉は使っていませんでした。
むしろ、辛くないとことさら強調してるような気もいたしました。
――――体は重たいけど、苦しくはない。
今ならマラソンだってできそうな気分だよ。
――――体は言うこときかなくなってきてるけど、ぜんぜん痛みはない。
それらが、「嘘」だったのでしょうか………?
なぜならその日、夫は、体の痛みにとても苦しんでいたのですから。
穏やかな眠り方をしてほしいと心から願っておましたが、それには程遠い時間が続いたのちの、旅立ちでした。
その時間は私にとっても心臓を抉られてむき出しにされるような苦しみの時間でした。
代わることができるなら代わってあげたいと、心の底から何度も何度も訴えては、そんな魔法はないという悔しさに歯を食いしばるしかなかったのです。
夫は仕事柄、この病の最期をよく知っておりましたから、私に強烈な記憶を刻んでしまうことを不安視して、それで親友の彼にあのようなことを依頼したのだと思います。
だとしたら、夫が言っていた「一つの嘘」というのは、最期の前日に記されていたあの部分になるのでしょうか………?
いいえ、それはもう、夫がここにいない以上はわかりません。
ですが、それはそれでいいと思うのです。
夫がこの日記に隠した嘘が何なのかは、永遠にわからなくていい。
だってその答えがわからない限り、私は夫と繋がれていると思えるのですから。
この先、夫のいない時間を長く長く過ごしていく私にとって、夫が残した「一つの嘘」は、まるで魔法のように私を夫に繋いでくれるのでしょう。
それは夫の残した素敵な「魔法」なのかもしれません。
私はそっと日記を抱きしめ、今夜も、大切な大切な魔法使いに想いを馳せるばかりでした………
(完)
番外編までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
このあと別の番外編も更新予定ですので、そちらもお読みいただけましたら幸いです。




