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一期一会の魔法使い  作者: 有世けい
【番外編】俺の大切な魔法使いへ
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X 月 X 日



やっと家に帰って来られた。

久々の我が家は、玄関扉を見ただけでも胸が熱くなった。

家の中は、以前と何も変わっていなかった。

俺の看病に忙しかっただろうに、きみが以前と変わらずにきちんと整えてくれていたおかげだ。

玄関ホールのアロマの香りもまったく変わってなくて、俺が出しっぱなしにしていた革靴もそのままだった。

まさか自分の靴を見て目頭が熱くなるなんて考えられなかったけど、なんだか、そこに俺の生きてる証が刻まれているような感覚がしたんだ。


死ぬのは怖い。

でも、こうして、俺が生きた足跡みたいなものをひとつずつ見つけていくと、いくらかは怖さが緩和されるような気がした。

あとどれだけの時間、この家で過ごせるのかはわからない。

でもそう長居するつもりもない。

これ以上、きみに負担はかけたくないから。

だから、一日、一時間、一分一秒を大切に刻んでいきたいと改めて思った。



昼過ぎに帰ってきて、そのあと実家から両親が退院祝いに来てくれた。

夕食にはきみのお義父さんとお義母さんも来てくださって、久しぶりの賑やかな食事会となった。

そういえば、魔法使いというのは遺伝が大きいらしいけど、きみの場合は隔世遺伝だと聞いた。

だからお義父さんもお義母さんも魔法のこともMMMコンサルティングのこともご存じないんだね。

両方の親にも本当のことを話せず申し訳ないと思いながらも、その晩の食事は一生の思い出になった。

誰も俺の病気のことにも体調のことにも触れず、本当に、楽しいひと時だったんだ。

ただ、誰もアルコールを口にしなかったのははじめてだった。

たぶん、俺の両親もきみのご両親も、これが俺との最後の食事になるかもしれないと思っていたのだろう。

だから酔った状態じゃなくて、ちゃんと記憶に残したいと思ってくれたのだろう。

俺もそうだったから。

食事が終わり、それぞれ帰宅する際、誰ともなしにハグをし合った。

大人になってから親とハグするなんてはじめてで、きっとこれが最後だろう。

母とお義母さんが涙目になっているのを見て、俺も思わず泣きそうになった。

親より先に死んでしまうことが本当に申し訳ない。

でも、とてもそんなしんみりしたことを言える雰囲気ではなかった。

だから、きみに頼みたいんだ。

俺がいなくなったあと、俺の両親ときみのご両親に伝えておいてほしい。

先に人生の幕を閉じることになって、申し訳なかったと。

俺の分まで、長生きしてほしいと。



だめだな、今こうして書いていても、目が潤んできてしまう。

きみに気付かれぬよう、きみが眠っている真夜中にこうして隠れて書いているのに、涙のあとが残ったりしたら変に思われるかもしれない。

そうならないように、すぐ鼻をかんで、きみが寝る前に作り置きしてくれた紅茶を温めて飲もう。

そうしたら、心も元気になるはずだから。

あと何度、こうしてきみの手料理や紅茶を味わえるのだろうか。

そのひと口ひと口が、とてつもない宝物だ。



さあ、明日は挨拶まわりだ。

それが終わったら、家の片付け、身辺整理にとりかかろう。

そしてそれがすべて終わったら、最後の紅茶を、きみに淹れてもらおう。





X 月 X 日



今日は町内会の役員をしてらっしゃる方にご挨拶に伺った。

もともと、俺がいなくなったあとのことを考えて、近所の方にきみのことをよろしくお願いしますと頼むつもりではいた。

きみが一人になっても引っ越さずにそのままこの町に住み続けるというなら、近所の方にも俺の死期が差し迫っていることをお伝えしておいた方がいいと思ったんだ。

でも、できることなら、きみの事情を理解してくれる人、魔法使いもしくはMMMコンサルティングを知る人の方が有難いとも思った。

だから、あいつに、この近所にそういう人は住んでいないかと尋ねたんだ。

そうしたら、意外にも同じ町内にいると教えられた。

俺も仕事で魔法使いやMMMコンサルティング関係者には何度も会っていたけど、仕事を離れたところではまったく出会ってなかったから、まさかこんなに近くにいたなんて驚きだった。

魔法使いって、本当にいろんなところにいるんだな。


ご挨拶した方は、町内会の行事で何度もお世話になっていたし、俺達の親世代ということもあってか、俺達みたいな若い住人を親戚の子供みたいな感じでいつも優しく接してくださっていたから、きみと同じ魔法使いだと伺って、この人が近くにいてくださるならと安心した。

実際にお会いすると、奥様と二人で俺達を出迎えてくださった。

もうMMMコンサルティングから話がまわっていたようで、俺の体調を気遣ってくださったあと、快くきみのことを引き受けてくださった。

この方の奥様は魔法使いではなく普通の人間だということだけど、お二人で揃って年をとられている姿が、とても素敵だと思った。

俺達も、こんなふうに年を重ねていきたかったよな?

でも、不思議と、もうそれを羨んだりはしなかった。

きっと、心の線引きができたんだろうな。



次にお会いしたのは知り合いの弁護士だ。

遺産のことや、遺言、他にも諸々の手続き関係をお願いしていた方で、実はこの方は魔法使いではないもののMMMコンサルティングとも取引のある、魔法について理解のある方だった。

そうと知らされたのは最近だったけど、弁護士という職業柄、MMMコンサルティング関係者と旧知の仲だとしても不思議はない。

当然その方には事前に俺の病気のことは伝えてあったから、これが最後の挨拶になることは口にせずとも察してくださったのだろう、別れ際、「あなたのご意思はひとつも違えないとお約束します」と、神妙な面持ちで言っていただいた。

そのひと言が、よりいっそう俺を安心させてくれたんだ。

俺は、本当に周りの人に恵まれたんだな。そう思うだろう?



帰宅後は、空き部屋の片付けと模様替えに取りかかった。

いつか子供ができたときのために設けていた、仮の子供部屋だ。

子供が二人になったときのために広めに取っておいた部屋を、俺がいなくなったあとはゲストルームにしたいときみが提案した。

それは俺も大賛成だ。

きみが一人になったこの家に、これからはたくさんのお客様を招いてほしいから。

今はセカンドリビングとしてソファとテレビ、レコードプレーヤーなんかが置いてあるから、その配置換えをして、ベッドを置けるスペースを確保した。

ベッドやマットレスは、おいおいきみが探すことになっている。

俺がいなくなってからもあれこれ用事があった方が気が紛れていいだろうからと、二人で話し合って決めていたことだ。

俺はそれを聞いて、嬉しかった。

だって、きみが俺のいない世界でも生きていくことを決意してるんだから。

もう、俺のあとを追うかもしれないなんて危惧はなくなったわけだ。

俺は、それだけが心配で心配でたまらなかったから。

これでようやく、準備は整ったと言えるだろう。



今夜が、最後の晩餐だ。

テーブルには、きみの手料理で俺の好物ばかりが並んだ。

でも、俺もきみも、いつもと変わらないような、何気ない会話ばかりを広げていた。

どちらも、最後だなんて口にしなかったし、悲愴感なんて一瞬たりとも流れなかった。

きみの手料理は、どれもが本当の本当においしかったよ。

ありがとう。

出会ってからずっと変わらず、心のこもった料理をつくってくれて、ありがとう。

もちろん料理だけじゃない、掃除や洗濯といった家事のすべてにも感謝してるし、俺の話を聞いてくれたり、逆にいろんな話をしてくれたり、オフの日にテレビやネットを一緒に見て笑い合ったり意見を言い合ったり、同じ時間を過ごしてくれた、それだけでも、きみは俺をたくさん癒してくれた。

元気付けてくれた。

幸せな気持ちにしてくれた。

これは、魔法なんかじゃなかったと思う。

きみだから、俺は癒されたんだ。

心から、心の底から、ありがとう。

いや、違うな。

きみだったら、何もしてくれなくても、ただ出会って、俺と一緒にいてくれただけで、俺は幸せだったんだと思う。

きみがいてくれたから、どんなにきつい仕事も乗り越えられたんだ。

心身ともに疲弊して、救えなかった命を前に己の無力を突き付けられたとき、きみのことを想えばまた立ち上がることができた。

きみが、きみの存在が、俺を支えて守って癒してくれていたんだ。

きみはMMMコンサルティングに入るずっと前から、俺に癒しの魔法をかけてくれていたんだ。

俺にとっては、大切な魔法使いだったんだ。


ありがとう。

大好きだよ。

愛してる。



今、俺はダイニングできみが最後に淹れてくれた紅茶を飲みながらこの日記を書いている。

きみは先に寝ると言って先に寝室に行ったけど、きっとまだ起きていることだろう。

俺も、今夜は眠れそうにない。

紅茶はあとカップ半分といったところだろうか。

これを飲み干せば、俺の体はあっという間に弱ってしまうのだろう。

俺と同じ病気だった人を何人も見てきたから、その最期がどういうものかもよく知っている。

だからきっと、明日以降、俺は強烈な痛みに襲われることだろう。

今までこの日記でも散々弱気なことを書いてきたけど、本音を言えば、最期くらいは、きみの前でかっこつけていたい。

きみの中での俺の最後の記憶が、傷みに顔を歪ませる弱り切った姿だなんて、やっぱり嫌だから。

別れの瞬間まで何日かかるのか、それとも魔法が切れたあとはあっという間に別れが訪れるのか、それは誰にもわからないらしいけど、とにかく、俺は、最期まで強がってみせるよ。

きみに、かっこいい姿で覚えていてほしいから。


明日以降も、ペンを握れる限りはこの日記を書き続けるつもりだ。

まだきみに伝えたいことがいくつかあるからね。

だけどひとまず、元気な俺は、今日でさよならだ。



さあ、きみの紅茶を、じっくり味わおう。

そのあと、きっとまだ起きてるはずのきみと、ベッドで抱き合って眠ろうか。

最後の夜がいつになるのかはわからないけど、きみと抱き合って眠れるのは、おそらく今夜が最後になるだろうから。


愛してるよ。

たとえ一緒にいられなくても、想いはきみに残していくから。


愛してる。


だめだな、なかなかペンを置けない。

いい加減、書き終わってきみのところに行きたいのに。


仕方ない、強制的に終わらせよう。

「愛してる」を三回書いたら、今日の日記は終わりだ。



愛してる。


愛してる。




愛してる。











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