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一期一会の魔法使い  作者: 有世けい
【番外編】俺の大切な魔法使いへ
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X 月 X 日



当初の予定よりも、入院が長引いている。

積極的な治療を行わないはずなのに。

体調はそんなに悪くはないはずだ。

バイタルは安定してるし、食欲もある。

夜も眠れてるし、もちろん体を動かすことも問題ない。

これといって退院を先延ばしにする理由は思い当たらなかった。


同僚の担当医に尋ねても明確な説明は得られなかったが、癌患者への対応が百戦錬磨の同僚と違って、きみが、あっけなくぼろを出してくれた。

俺が体調はいいのに退院が決まらないことを愚痴っぽくきみに訴えると、きみは面白いほどわかりやすく挙動不審になったんだ。

あれは、今思い出しても笑ってしまう。

顔色を変えて、「どうしてかしら?」ととぼけながら俺から目を逸らすきみは、なんだか可愛らしかった。

でもそれで、俺はやっと気付くことができたんだ。

俺の今の体調は、きみのおかげだったということに。


きっと、担当医の同僚はとっくの昔に気付いていたんだろう。

俺と同じでMMMコンサルティングのことも知っていたし、きみがMMMコンサルティングに入ったことも教えていたからだ。



そうか、俺の調子がいいのは、きみの魔法のおかげだったのか……



がっかりしなかったと言えば嘘になるけど、納得できた。

同時に、今、きみの魔法がなかったら、俺はいったいどんな状態なんだろうかと思った。

だって、入院してからまったく体調に変化がなかったんだ。

でも俺は末期癌患者で、余命宣告を受けている身だ。

そして入院してからは、一か月以上の時間が経過している。

積極的な治療を受けていないのだから、日に日に体調が悪化していたとしてもおかしくはない。

だとしたら、きみは毎日、俺のために自分の体力をすり減らし続けているのかもしれない。

それも、日に日に消耗する量が増え続けているのかもしれない。

もしそんなことになっているのだとしたら、ある程度のところできみを止めるべきだ。

今はまだきみの体に負担はかかってなかったとしても、ゆくゆくはきみの体力を奪うことになるのだから。



俺の癌治療にはきみの魔法を使わないと約束したから、俺はてっきり、毎日きみが淹れてくれる紅茶にはそこまでの回復効果はないと思い込んでいたんだ。

でも、今日のきみの反応を見ると、それは間違いだったようだ。

ただ、頑固なきみがすぐに認めるとは思えない。

だから俺は、明日、試しにちょっとした実験をしてみることにした。

明日一日、きみが淹れた紅茶を飲まないことにしてみるよ。

そうしたら、今の俺の本当の体調がわかるはずだ。

たいして変化がなければ、今すぐきみを止める必要はないだろう。

でも、もしそれで俺の体調が極端に悪化するようであれば、即刻きみと話さなければならない。

前にも言ったけど、俺は、きみの命や体力を奪ってまで生き長らえたくはないんだ。





X 月 X 日



昨日は、日記を書こうとしても書けなかった。

まさか、ペンを握るのも困難になるほど、自分の体力が落ちているとは思ってもなかった。

こんなことならアナログなノートじゃなくて日記アプリにでもしておけばよかった。

いや、それだときみに気付いてもらえないだろうから、やっぱり、こうして物理的な形として残しておいて正解だ。


でも、おかげで、気付くことができた。

字を書くということが結構な体力仕事だったんだって。

字を書くなんて、普通に生きてたら普通にできることなのに。

それさえも、今の俺は、きみの魔法なしじゃできなくなってしまってるんだ。

つまり俺は、もう、普通じゃなくなってるんだと、改めて実感した。



昨日、俺はきみに、わざと遠出させるような用事を頼んで、夕方まで病室に来られない状況を作った。

なのにきみはわざわざ朝早くに立ち寄って、顔馴染みの看護師に面会許可をもらい、俺に紅茶を淹れてから出かけていった。

「必ず飲んでね」ときみは何度も念を押していったけど、当然、俺は飲まなかった。

結果は、午後になるとすぐ明らかになった。



まず、昼食がいつものように食べられなくなった。

食思不振、悪心、今朝までにはなかった症状が出てきて、まるで何かに吸い取られるように、みるみる全身から力が抜けていった。

これはやばいと焦った俺は、そこでようやくきみの紅茶を口に含んだ。

だけど間に合わなかったのか、しばらくしてテレビのリモコンさえ持てなくなった。

その頃になって、看護師が俺の異変に気付いた。

担当医が駆けつけたとき、いの一番に訊かれたことは、きみの紅茶を飲んだか否かだった。

はじめは誤魔化すつもりだった俺も、こうまで体調が悪化したからには同僚にも迷惑をかけてしまうと思い、正直に「飲み忘れてさっき飲んだ」と答えた。

そうしたら、徐々に、体に力が入るようになっていったんだ。



でも念のため、担当医はきみに連絡をしていた。

そのあとのことは、きみもよく覚えてるだろう。

担当医から連絡を受けたきみは、すぐに病室に現れた。

どこからともなくふわりと風が吹いたかと思えば、いつの間にか部屋の隅にきみがいたんだ。

ああ、これがいわゆる瞬間移動の魔法かと思った。

きみから聞いていたせいか、それとも具合が悪すぎたせいか、俺は、はじめて目にしたその魔法にも特に驚く感情はなかった。

ただ、きみの姿を見たとたん、ホッとした。

最期にひと目会えてよかった、そう思ったんだ。

つまり俺は、あのとき、あっという間に起き上がることさえできなくなってしまった自分の体に、死を予感していたんだ。

でもそんな俺を、きみの紅茶が救ってくれた。

そしてきみ自身は、ただ俺の手を握るだけで、俺の体調を完全回復させてしまった。



俺は、きみのおかげで生き延びていたんだな。











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