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あれから、何度こうして満月を見上げたことだろう………
俺は、馴染みの洋館の階段踊り場にある大きな格子窓から、煌々と輝いている満月をひとりで眺めていた。
月はあの日と同じように見えるのに、俺を取り巻く状況はあまりにも変わりすぎていた。
だが、満月の夜に彼を思い出すことだけは、あの日と同じだった。
あの日、彼と永遠の別れのあと、俺は正式に ”MMMコンサルティング” の一員となった。
彼がスカウトした最後の人物、その誉を誇りたかったというのもあるが、”MMMコンサルティング” の真相を知ったうえに自分が当事者であるとわかったあとで、何も知らない顔して記者の仕事を続けることはできなかったのだ。
中には、記者をしつつも ”MMMコンサルティング” と連携する ”魔法使い” もいるが、俺はそんな器用に立ち振る舞う自信がなかった。
そして、何も知らないフリをして…つまり嘘を吐いて記事を記すということは、少なくとも俺の正義ではないと判断したのだ。
だがそれはあくまでも俺の中での正義であって、何も記者や公的な職に就いている ”魔法使い” を否定するつもりはない。
逆に、非 ”魔法使い” でありながら ”MMMコンサルティング” の真実を知り、秘密裏に彼らに依頼している者も大勢いるのだから。
俺が ”MMMコンサルティング” に入ってすぐに習得を課せられたのは、相手の記憶を消去する魔法、逆に自身の記憶が操作されるのを防ぐ魔法、そして自分の心を読まれないようにガードする魔法、の3つだった。
これは、自分の特性である ”魔法の元” 以外にも ”魔法” を扱えるようになるためのトレーニング、いわば教則的なものらしい。
だが ”魔法” には相性があって、これらの基礎的な "魔法" でも習得できない新人もいるようだ。
そういった場合は ”MMMコンサルティング” 内での勤務になるのだが、習得できた ”魔法使い” とて、相手が自分よりも大きな力を持っている場合は記憶を消去されることも、心を読まれることもじゅうぶん有り得る。
”魔法” の世界は、常に力の大きさが影響するのだ。
幸いにも俺はすべてクリアし、他にも数多くの ”魔法” を習得し、こうして外での仕事に従事している。
主な担当は政府関係。依頼のほとんどは閣僚官僚からだった。
もちろん、大臣や中央官僚の全員が俺達 ”MMMコンサルティング” の存在を把握しているわけではない。
どんなに優秀な学歴経歴を持ち、どんなに難しい試験をパスしようと、人格や資質に問題がある人間との取引を俺達は望まないからだ。
一度は契約に至った取引でも、相手に問題ありと判断した場合は契約解除、何ならペナルティを与えることだって珍しくはない。
そのたびに、いかに自己の利益や欲望に忠実な人間が多いかと呆れるばかりだし、そんな人間達のために命を削ってまで働く意義があるのかと自問自答することもあった。
だがそんなときは、彼の最期の言葉を思い出すのだ。
―――――『みんな………いい、まほうつかい……に……、なっ………て…………せかいを……………』
みんな、いい ”魔法使い” になって、世界を………
”世界を守ってほしい” なのか ”世界を良くしてほしい” なのか、彼が続けたかった言葉は今となってはわからない。
彼と長い時間を過ごしてきた彼らにも、もう、その真意は読み解くことはできないのだ。
ただ、”MMMコンサルティング” に入ってから創設目的や事情を知ると、彼が本気で世界を守りたい、平和な国を守りたいと願っていたのは疑う余地はなかった。
昔々、大きな戦争があった。
世界中を巻き込んだ悲惨な出来事だ。
その最中、我々 ”魔法使い” は、良いようにも、悪いようにも利用されたという。
そしてその戦争がひとまずの終結を迎えたとき、”魔法使い” の保護と管理、それから非 ”魔法使い” との対等な共存を図るために、”MMMコンサルティング” が創設されたらしい。
元来、この国には不思議な力を持つ人々が多く存在していたが、そういった存在を ”魔法使い” とまとめて呼ぶようになったのもこの頃からだ。
人間……特にこの国の人間は、自分とは異なる存在を受け入れるのが苦手だった。
まあ、”苦手” という容易い言葉で片付けてしまうには無理がある事件や衝突、迫害も数えきれなかったようだが、戦争の最中に起こったあらゆる出来事がきっかけとなり、彼らは自分たちの地位向上と権利を求めることにした。
この国の人々は、異質なものを排除したがる傾向であっても、外国から入ってきた ”魔法” や ”魔法使い” という言葉には、不思議と抵抗感が薄かったらしい。
おとぎ話やファンタジー、夢物語の言葉として一定の市民権を得ていたせいかもしれないが、ともかくこの言葉の優位性を、”MMMコンサルティング” 創設メンバーは利用することにしたのだという。
そしてその目論見は見事に上手くいき、今や ”MMMコンサルティング” なしでは国の平和維持が成り立たないとまで言われるようになっている。
もちろん、”魔法” というデリケートな性質上、知る人ぞ知る存在ではあったが。
だが、”MMMコンサルティング” は何も自分達を優遇しろと主張してるわけではなかった。
権力を持った者に迎合した社会が悲惨な結果しかもたらさないことを、彼らは戦争という最悪な歴史ですでに経験済みだったからだ。
その証拠に、彼らは ”魔法使い” の保護とともに管理も行っていた。
あの時計販売店を襲った奴のように、”魔法” で悪事を働く者も少なくはない。
”魔法使い” と言えど生身の人間だ。周りの人にはない特殊な力を持ってると自覚してしまえば、環境や精神の状況によっては簡単に誤った道に進んでしまうだろう。
そうならないように導き適切な指導をするのが ”MMMコンサルティング” であり、また、悪事を働いた ”魔法使い” 或いは ”魔法の元” を持っている者を厳しく罰するのも ”MMMコンサルティング” の役目だった。
あの爆破犯は、その後、”魔法使い” においてのルールにより、壮絶な処罰が確定していた。
”魔法” を以て意図的に相手を傷付けたとき、正当な理由がない場合、特に自己の利益による場合は、相手が被ったものと同等の処罰を与える。
それが、”MMMコンサルティング” が定めたルールだった。
だが、いくら重たい罰を与えたところで、失った命は戻ってはこないのに………
俺は見上げている月の明るさが苦しくなってきて、ふと視線を下ろした。
するとその先で、ある人物を見つけたのだった。
この洋館がある敷地から出たところで、二人の女の姿があった。
彼女達は二、三言葉を交わし、やがて別々の方角に歩き出した。
一人はこの洋館に向かって。
そしてもう一人は、この洋館から遠ざかるように背を見せて歩き出したのだ。
俺はやや早足で階段を駆け下り、居間から聞こえてくる仲間達の談笑を聞き流しながら玄関扉に手をかけた。
そのとき、ちょうど外からも取っ手が回され、古い木製扉ならではの奥ゆかしい音とともに、現役高校生の彼女が姿を見せたのだった。
「あ………こんばんは。今夜もよろしくお願いします」
相手の目を見ることで嘘を見抜く ”魔法の元” を持っている彼女は、ここへ通いはじめた当初は俺達ともなかなか目を合わせようとはしなかったが、そのコントロール方法を教えられると、あっという間に習得してしまい、今は俯いてばかりだったあの頃の面影はどこにもなかった。
はじめて彼女がここへ来てから、いくつかの季節が過ぎようとしていた。
その間、彼女は皆勤賞で満月の夜には必ずここに通っていたのだ。
だが、今夜はいつもの彼女とは様子が違った。
「…………それ、赫原さんから渡されたのか?」
彼女は両手で抱えなくてはならないほどの大きな花束を持っていたのだ。
カスミ草だけで作られた花束を。
「赫原さん………てお名前かどうかは知りませんけど、今そこで預かったんです。『あなたはここにある建物が見えるんですか?』って訊かれて、『そうですよ』って答えたら、『じゃあ、この花を中にいる方に渡していただけますか?』って言われて………………え?ちょ、ちょっと待ってください、今、赫原って言いました?」
高校生はみるみる驚きの顔色に変わっていく。
どうやら相手が誰だかわからないままに会話していたらしい。
俺は少々呆れつつも、まあ、まさかこんな時間にこんな場所であの人と出会うなんて想像もつかないだろうしなと、彼女の驚愕も仕方ないと同情した。
「ああ、言った。俺はその赫原さんにちょっと用があるから、その花は居間にいる誰かに渡してくれ」
俺は労いの意で高校生の肩をぽんと叩き、玄関から彼女を追いかた。
直後、高校生の「なんで総理大臣がこんなとこにいるのよ――――――っ!?」という興奮この上ない叫びが聞こえてきて、思わず、唇の端に笑みが浮かんでしまったのはここだけの話だ。
やがて、彼女の背中が見えてくると、夜間であることを一切無視して、俺は呼びかけていた。
「赫原さん!」
足を止め、振り返った彼女は、内閣総理大臣という威光を余すところなく消し去り、黒一色の服に身を包んで、満月の明かりを全身で受け止めていたのだった。
「あなたでしたか」
彼女は俺の顔を認めると、完全に踵を返し、俺と向き合った。
最後に会ったときより、いくらか痩せているようにも見えた。
「今年も持ってきてくださったんですね」
「毎年、あなた方の集う館を見つけられなくて難儀してしまいますが、あの方がお好きな花だとお聞きしていましたので………」
「喜ぶと思います。と言っても俺は、たった一日、それも数時間しかあの人と付き合いはありませんが」
俺は自嘲めいて言ったつもりだったが、彼女は「十分ではありませんか?」と返してきたのだ。
「え……?」
「だってあなた方は、私達一般の人間には結ぶことのできない ”魔法使い” どうしの絆があるじゃありませんか。あの方が最後にスカウトされたあなたは、それだけでもう、家族のような繋がりが生まれていたのでは?」
あの爆破事件以降、彼女とこうして顔を合わす機会は何度もあった。
一緒に仕事をしたことで、彼女の人となりは把握してるつもりだ。
彼女は、例え相手を慰めるときや励ますときでも、思ってもないことは口にしない人だ。
だから今告げた言葉は、嘘偽りのない彼女の本心。
「…………そうだと、いいんですけど」
俺は常にポケットに忍ばせているカードを触りながら、自然と微笑んでいた。
「ところで、以前あなた方からご指摘のあった件についてですが」
急に仕事話を持ち出されて、俺は、この人らしいな……と内心で苦笑いしながら「どの件でしょう?」と尋ねた。
「我々があなた方に甘えすぎているというご指摘です」
「ああ、言いましたね、そんなこと」
「はい。私もご指摘の通りかと思いましたので、各省庁とも審議いたしました。その結果……………何がおかしいのですか?」
彼女がふと、セリフを止める。
その原因が俺にあるという自覚は大いにあった。
「すみません、ちょっと、思い出し笑いを………」
俺が正直に詫びたにもかかわらず、彼女は「思い出し笑いですか?」と、なおも訝しそうだ。
別にそんなたいしたことでもないんだけどな……そう思いながらも、彼女に納得してもらうべく、説明することにした。
「いえ、実は、俺が ”魔法” や ”魔法使い” の存在を知る前、”MMMコンサルティング” は日本でトップクラスの有名な企業と言われつつもその実態を詳細まで知っている人間が極端に少なかったので、俺は、まるで霞の中にある会社みたいだと、そう思ってたんです。そんな霞の中に自分がどっぷり浸かっているなんて不思議な感覚ですが、今あなたのお話を伺って、あなたは、そちらの霞の中で手腕を発揮されてるんだなと思ったら、なんだか二つの霞に挟まれてる気がして、それでつい………」
こんな説明で彼女を納得させることができるかは不明だったが、意外にも彼女からは「二つの霞とは、洒落た言いまわしをなさいますね」と高評価だった。
ただそのすぐあと、「ですが……」静かに月を見上げながら続けた。
「なんでしょう?」
俺も煌々と夜の世界を灯す月を仰ぐ。
「………”カスミ” は、二つだけとは限らないかもしれません。私達は、もうひとつの ”カスミ” を決して忘れぬよう、生きていかねばなりませんね」
彼女の言う三つ目の ”カスミ” が何を指すのかなんて、聞くまでもない。
控えめで、普段はほとんど引き立て役にまわってしまう、繊細で儚い役目を担った、白くて優美な存在。
俺はその姿を思い描き、心の底から「そうですね」と同意を示した。
俺達 ”魔法使い” は、霞の中で働くくらいがちょうどいい。
前に出て、したり顔で ”魔法” を振舞うのは、単なる自己顕示に過ぎない。
何故って、”魔法” を使えない人々の目には、それが恐怖にも映ってしまうからだ。
いくら ”魔法” という言葉でフィルターを置いたとしても、実際に目撃した自分とは異なる存在を、全ての人が受け入れるとは到底考えられない。
だから、これまでの長い歴史の中で、”魔法使い” は異なる者と見做され、時の権力者に厳しい扱いをされてきた。
だが今は、あちらの霞とこちらの霞、それぞれがそれぞれの役目を担い、上手く共存できていると言っていいだろう。
この共存は、長い時間と労力を費やし、決して少なくはない ”魔法使い” の犠牲を乗り越えてきた彼らのおかげであることを、俺達は憶えておかなくてはならない。
そしてその共存を維持することこそが、この国の大勢の人達の役に立つのだと、俺はそこに正義を見つけたのだ。
霞の中で、外からは全容が見えずとも、確実にそこに存在する ”魔法使い達”。
その働きぶりは、知る人が知っていればそれでいい。
これからも俺達 ”魔法使い” が表舞台で脚光を浴びることはないだろう。
でもそれでいい。
だって霞の中に、俺達は確かにいるのだから……………
霞の中の魔法使い達(完)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
お読みくださる皆様の足跡に、とても励ましていただきました。
また、誤字の報告も随時いただきまして、ありがとうございました。
このあと、ほとんど恒例となっております番外編の短編を更新したいと思っております。
タイミング的にクリスマス作品と前後してしまうかもしれませんが、更新した際はまたお付き合いいただけましたら幸いです。
それでは、地域によっては冬が本格化してきてるようですので、どうぞ皆様、あたたかくお過ごしくださいませ。
ありがとうございました。




