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その中でも一番早く動いたのは左の男だった。
「予定変更。このまま現場に直行だ」
「了解っす」
パーカの男が応答し、車はけたたましいブレーキ音をたててUターンする。
俺は車体の振れに構えた。
………が、なぜか車内は1mmの揺れも感じなかった。
「―――?」
どういうことだと訝しむ俺の両隣りでは、車の異変など気にも留めない二人が、それぞれの作業に取り掛かっていた。
女性大臣は電話を、カジュアルスーツの男はスマホでメッセージを送っているようだ。
さっきと同じく、大臣の声は聞こえない。
助手席のスカーフの女も俯いて、いつの間に取り出したのかモバイルPCを操作している。
「心配しなくて大丈夫っすよ。この車、 ”魔法” がかかってるんで、道交法は関係ないっす」
唯一運転以外の仕事がないパーカの男が暢気に話しかけてきた。
「道交法無視って、何でもありかよ」
悪態つく俺にも、「そっすね。”魔法” なんで」と暢気を崩さない。
俺はこの男には何を言っても無駄に思えて、ひとまずため息ひとつで男のセリフを流すことにした。
信じられないが、窓の外を流れる景色を見れば、この車が一般道路ではあり得ない速度で走行してるのは事実だ。
そしてさらに信じられないことだが、この車に赤色灯でも付いてるかのように、周りの全車が道をあけていくのだから。
「……それより、いったいどこに向かってるんだ?」
「ここから三十分ほど車を走らせたところにあるショッピングモールですよ」
今度は左側から返事があった。
カジュアルスーツの男が作業を終えたらしい。
「急に行先変更してまで、なぜそんなとこに行く必要が?」
「もとはあなたとそちらの大臣を我々の本拠点である ”MMMコンサルティング” 本社にお連れするつもりでしたが、ご承知の通り連絡が入りまして、急を要する事態になりましたので行先を変更させていただきました」
「だからなんでショッピングモールなんだよ?」
「そこで大きな事故が発生するからです」
答えたのは女性大臣だった。
「―――は?」
「”MMMコンサルティング” には、事故や事件や災害を予見できた場合はすぐに報告するよう依頼しています。最近、細かな日時までは未確定ながらも、ショッピングモールでの爆破事故が予見されたとの報告がありました。そこで我々政府及び関係各所は事前に動いていたというわけです。ご理解いただけたようでしたら、しばらくの間お静かにお願いいたします。我々はこれから対策協議に移りますので」
「―――っ!」
その突き放した言い方に瞬発的にはムッとしたが、それどころではない非常事態感が車内に充満していて、俺もその空気感に飲まれてしまった。
「警察本部並びに所轄署の責任者、自治体の担当者、それに最寄りの医療機関三か所には通達済みです。発生の確度によっては関係閣僚にも報告しますが、よろしいですか?」
「ええ。発生日は本日で間違いないようです。時刻までの特定は困難ですが、日没前後ということです。正確な発生場所は南側1階フロア、店舗名までは未確認、予想被害規模はかなりの広域と出ています」
「わかりました。総理にも上げます」
言うなり、女性大臣はまたスマホで電話をかける。
おそらくは、内閣総理大臣宛てに。
俺は、まるで映画の中に混ざり込んでいるような感覚で、彼らのやり取りを目と耳で追いかけていた。
おいおい、本気で爆破事故対策してるのか?
予見ってどういうことだよ?
だいたい ”魔法” が使えるならそのお得意の ”魔法” でどうにかすればいいんじゃないのか?
「残念ながら、それはできないんですよ」
唐突に、カジュアルスーツの男が言った。
まるで、俺が頭の中で考えていたことへの返事のようなタイミングで。
「――――は?」
「今回の件は、”魔法” だけで解決することは難しいんですよ。我々の ”魔法” は、無尽蔵ではありませんので」
「なっ……!?」
間違いない、この男は俺の頭の中を読んでやがる!
「その通りですよ。これも ”魔法” のひとつです」
「―――っ!!」
「ああ、何もずっとあなたの頭の中をうかがっているわけではありませんので、どうぞご安心を。そんなことに力を使ってしまったら、いざという時に不足してしまいますからね。だから、”魔法” を用いれば不必要にも思えるスマホやPCといった機器も、こうして大いに活用しているのです」
我々は ”現代の魔法使い” ですから。
男がそう続けた直後、スカーフの女が口を挟んできた。
「南側1階ほぼ中央に位置するコーヒーショップを押さえました。二十分以内には貸し切り状態になります」
「わかった。我々は店に直行後、待機。怪しまれないよう、警察、警備からも数名客役で出すように要請を。それから、大臣の変装用小物も必要だ。大臣は顔が知られてますので、軽い変装をお願いできますか」
「わかりました」
「では、モールのパーキング到着時に着替えられるよう手配しておきます」
「お願いいたします」
段取りはテキパキと進んでいくが、俺はそれどころじゃない。
俺の頭の中が読まれていただって?
そんなこと聞かされて、平気な人間がいるわけない。
だが、当然こいつらは俺の様子なんか気にもせず、自分達でどんどん会話を広げていく。
「でも、変装くらいだったら、”魔法” 使ってもいいんじゃないっすか?」
運転席から飛んでくる暢気な疑問。
助手席からは「今何聞いてたのよ」と呆れ声が飛んでくる。
「この後何が起こるかわからないんだから、力はなるべく温存しておかなくちゃいけないのよ?何でもかんでも ”魔法” を使えば済む話じゃないのよ」
「でも人間ひとりを変装させるくらい大したことないっすよ?」
「一時的に別人に見せるくらいだったらね。でもこの後何時間そのままの状態を維持させなきゃいけないかなんて、今の段階ではわからないのよ?変装させる相手も ”魔法使い” なら本人の ”魔法” を利用して維持することもできるけど、大臣はそうじゃないでしょ?だったら物理的に変装していただいた方がいいのよ。わかった?」
二人のやり取りは姉弟喧嘩のようで、それはさっき発生したばかりの緊張感を自然と和らげるようだったが、それはあくまでもこいつらに限ったことだ。
俺はまだ自分の頭の中をのぞかれていたことのショックを拭いきれていない。
だが、俺の左隣りからは二人の口喧嘩にクスクス笑いが起こり、俺は反射的にそっちを見てしまう。
男の笑い方は優しげで、この男は二人の上司のようだがそれと同時に、どこか保護者的な匂いも感じさせた。
男はふと俺を見ると笑いを止めて言った。
「騒がしくて失礼。ですがそういう訳で、今はもうあなたの頭の中をうかがっていませんので、どうぞご安心ください。ただ、想像はつきます。きっとあなたの頭の中は今も疑問だらけのことでしょう。ところで、コーヒーはお好きですか?」
「はぁ?」
さっきの車以上に急カーブした話題に、俺は盛大に面食らう。
いや、もう今日は何でもありな展開だろうが、とても爆破事故を未然に防ぐという、緊迫した任務に向かってる車内での会話には思えなかったのだ。
男はさっきの緊張感が嘘だったかのように穏やかに続けた。
「いえ、爆破事故発生予定の日没まではまだ時間もありますし、あなたが今お持ちの疑問は、コーヒーショップでお聞きしますよ。ああもちろん、お代はこちら持ちで」
いかがですか?
ぐんぐんスピードをあげる車の中、窓の外を流れていく景色の速度と似つかわしくないのんびりとしたお誘いは、平和そのものだった。




