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その蓋は、私の涙腺とリンクしていたのだろう。
私はぽろぽろと、涙の粒を頬に沿わせていった。
そして突然泣き出した私を、自称魔法使いの彼らが全員、驚きつつも慰めてくれた。
「ずっと一人で頑張ってきたのね」
スカーフの女性が背中を擦ってくれる。
「よく我慢してきたね。でもここでは我慢しなくていいんだよ?」
ハンチングの紳士が優しく言う。
「本当、偉いっすよね。事情は知らないっすけど、あの孤独感はよーく知ってるっす」
パーカの若い男性は感心をくれた。
そして最後に
「我々の誰もが通ってきた道だ。話したくないというなら強要はしない。だが我々なら、きみの苦悩を理解できるかもしれない。どうだ?」
デキる風の男性が、冷静に問いかけてきた。
あくまでも選択権は私にあるという態度が、心地よく感じた。
「ね、あなたのの話を聞かせて?」
もう一度、今度はスカーフの女性から柔らかく求められて、私はグズグズッと鼻をすすりながらこれまでのことを語った。
人の目を見ると嘘かどうかわかること、人と目を合わせられなかったこと、嘘を見抜くことに罪悪感を持っていたこと、誰にも言えなかったこと、人付き合いが困難だったこと、疎外感や孤独を感じていたこと………
ところどころ、込み上げてくる涙に邪魔されながらも、私は自分の想いを吐露していったのだった。
「あー、わかりすぎる。俺達って超マイノリティっすよね」
「一般社会ではね。でもここではマジョリティだよ?」
「確かにそうっすけど。つうか嘘を見抜けるってすげえ」
「すごく、なんて……、ない、です……」
ヒクッヒクッとしゃくりあげる私にも、彼らは優しかった。
「そうよね。大変だったわね。でももう独りじゃないわ」
「でも、私、魔法、とか………まだ、信じられ…なくて………」
「まあ、すぐには無理だろうね」
「箒とかも、乗れ、ないし……」
「やだ、今どきそんなレトロなのないわよ」
「呪文……とかも、全然、知ら、ないし………」
「呪文なんてないっすよ。それ、よく勘違いしてる人いるっすよね」
「某魔法学校の影響だね」
「ゲームとか漫画の影響も大きいんじゃないかしら?」
「まあ、ごく稀に、自分で好き勝手に呪文をこしらえてる者もいるけどね」
「魔法オタクっぽいヤツっすね?でも基本的には、呪文なんてないっすよ」
「でも……」
「必要なことは、これから学んでいけばいいのよ」
「学ぶ……?」
「そうだよ。某魔法学校みたいにね。ここは学校ではないけど、きみに魔法を教えられる先生役はたくさんいるよ」
すると、私に選択権を与えてから黙っていたデキる風の男性がハンチングの紳士に同意するように頷いた。
「満月の夜は大体仕事が休みで、俺達の誰かはここにいるはずだ。訊きたいことがあれば来るといい。魔法のこと、その力のコントロール方法、相談に乗れることは多いだろう」
その言葉に、私の涙がぴたりと止まった。
「え……コントロールなんて、できる…んですか?」
思わず、また男性の目を見てしまう。
デキる風の男性は嘘を見抜ける私に見られているというのに、まったく動じず、「ああ」と言って右手のひらを横に掲げた。
すると突然トランクが開いたのだ。勝手に。
そして中から一冊の手帳がス――――ッと飛び出てきたのである。
まるで見えない糸に引っ張られているかのように自動する手帳。
それはあっという間に男の右手に吸い寄せられて、ぴたっとくっついたのだ。
「…………これ、が………魔法?」
たった今目の前で実際に起こった出来事を、私はただただ呆然と見つめるだけだった。
魔法なんてやっぱり信じられない。
でも、でも、手帳がトランクからひとりでに出てきて男性の手に移動したのは、紛れもない事実だ。
私は目も口も開きっぱなしで、男性に釘付けになっていた。
男性は「そう。便利だろう?」と涼しい顔で答えた。
「きみも訓練すればいずれはこれくらいできるようになるはずだ。嘘を見抜くという力だってコツを掴めば自由自在にコントロールできるようになるだろう。慣れてしまえば、きっと今の悩みからも解放されるに違いない。ところで、きみのその力だが、あまり聞いたことのないものでね。心を読むというのはよくあるんだが、一瞬で嘘だと認識できるのは珍しい。今後、何かと役立ちそうだから、きみのことを上に報告してもいいか?丁度明日の朝会議がある」
手帳で確認しながら訊いてくる男性に、私は猛スピードで現実に引き戻された。
「会議……?ちょ、ちょっと待ってください、あなた達の仕事っていったい………」
さっき彼らが繰り広げていた愚痴から、みんな同じ職場だということはわかっている。
そして彼らの自己申告通り全員が魔法使いだと仮定するなら、その仕事というのは………
「簡単に言うと魔法を使ったコンサルティングよ。人間世界全般のね。だいたい何でも請負うけど、今夜みたいな満月の夜だけは一般の人間の目につきやすいからお休みなの」
スカーフの女性が説明すると、ハンチングの紳士が「興味あるかい?」と尋ね
てくる。
「それは………」
私はとっさに視線を下げてしまった。
興味なんかあるに決まってる。
大ありだ。
この力をコントロールできるなんて想像もしてなかったし、そんな方法があるなら何が何でも知りたい。
だけど、今ここで即答してもいいのだろうか。
さっきは ”もう独りじゃない” と言われてうっかり泣いてしまったけれど、涙が収まった今、この初対面の怪しい面々をすべて信じてもいいものか、躊躇が過ってしまったのだ。
彼らが嘘をついてないとしても、百歩譲って魔法というものが本当に存在するのだとしても、本当にこの人達は、信用してもいいの?
心の蓋の下ですっかり根付いてしまった人間不信は、蓋が壊れたからといってすぐに消えるわけではないようだ。
すると私の顔色を読んだのか、デキる風の男性が「今すぐ返事をする必要はない」と言い、スッと何かをテーブルの上に差し出した。
「これが俺達の所属先だ。今は興味がなくても、この名刺がいつかきみにとって役立つかもしれない。持っておいて損はないだろう」
男性はそれを名刺だと言ったが、表には大きく『M』の一文字がプリントされているだけだった。
訝しむ私に、彼はフッと笑ったような吐息とともに告げた。
「そのときが来たら、そこに書かれている必要事項も読めるようになるだろう。それまでは、満月の夜にここに通ったらいい。我々のうちの誰かがきみを迎え入れるはずだ。そこで色々知っていったらいい。魔法のこと、我々のこと、そしてきみ自身のことも。きみはまだ若い。急ぐことはないだろう。時間なら、たっぷりあるんだからな」
私は名刺をつまみ上げ、裏返してみるも、そこには何も書かれていなかった。
所在地や連絡先はおろか、社名、そしてこの男性の氏名さえも無記載だったのだ。
これでは名刺の役目を全然果たしていない。
でも、この男性がそう言うなら、もしかしたらこの名刺にも、何らかの魔法がかけられているのかもしれない。
そう考えて、自分が ”魔法” という言葉をすんなり使っていることに驚いた。
さっきの空飛ぶ手帳が、私の魔法へのハードルを引き下げたのだろうか………
だとしたら、この目で見てもまだすべてを信じるのは無理だけど、時間をかければ、もしかしたら私もこの人達みたいに………
そうしたら私は、もう二度と、あの諦めの蓋を使わなくて済むのかな。
そんな未来に淡い期待を描きつつ名刺を表に戻したとき、奥から鼻をくすぐるいい匂いが漂ってきたのだった。
「お待ちかねのフレンチトーストが出来上がったようよ」
スカーフの女性の声に振り返ると、フレンチトーストとコーヒーをトレーに乗せたドレスの女性がこちらに向かってくるところだった。
彼女は優雅に「お待たせしてしまったかしら」と微笑んでくれるけれど…………
「っ!?」
私はギョッとして、顔も全身も固まってしまった。
なんと上品この上ない女性の傍らには、テレビや図鑑でしか見たことないような大きな白いヘビがくねくねと体を揺らしていたのだ。
「さあ、冷めないうちにどうぞ召し上がれ」
女性は丁寧にテーブルに並べようとしてくれるも、大きなヘビは、シャーッと長い舌を伸ばしてきて………
「※℃@&☆◆%$□✖〇★♭÷◇◎♮℉――――――っ????!!!!」
声にならない絶叫を放った私は、そのまま卒倒してしまったのだった。
意識が完全に落ちる手前、遠くで彼らの声が聞こえた気がした。
「だからヘビはやめておけといつも言ってるだろう!」
「まあ、ごめんあそばせ」
「ねえちょっとあなた、大丈夫?」
「あーあ、こりゃダメっすね」
「かわいそうに」
あんな大きなヘビ、心底気味悪いけど、倒れた私に慌てる彼らの声はなんだか心地よくて。
だってその声が、もう独りぼっちじゃない証にも思えたから…………
私は薄まっていく意識を、ほんのりと幸せ気分で味わっていたのだった。
※※※
次に目が覚めた時、私は自室のベッドの上だった。
昨日帰宅した直後に着替えた服のままだ。
窓の外はすっかり朝になっていて、私は昨夜どうやって帰ってきたのか覚えてなかった。
というよりまさか…………
「………夢?」
そんな、夢オチ…………?
昨夜の出来事は全部夢だったの?
いや……………それもそうか。
だって今のこの時代に、魔法使いなんて……………
そんなあり得ないことを一瞬でも信じるなんてと、起き抜けに苦笑がこぼれだした。
「………でも、居心地のいい夢だったな」
”独りじゃない”
それはたぶん、私がずっと誰かに言ってもらいたかった言葉なんだ。
結果的に、彼らは夢の中の登場人物、実在していないのだから、私は仲間を得られなかった、つまり ”ひとり” のままなのかもしれないけど、不思議とショックはなかった。
残念は残念だけど、むしろ心なしか、生まれ変わったような気分さえ感じていた。
あれほど嫌だった力も、魔法と呼べばなんだか別物のように感じられたから。
呼び方ひとつでこんなに印象が変わるものなんて、新鮮だ。
まるで、月明かりに代わって差し込みはじめている朝日のように。
刻一刻と光を増していく朝日に目を細め、私はベッドを抜け出した。
無性にフレンチトーストが食べたくなったのは、きっと夢のせいだろう。
私はまっすぐにキッチンに向かった。
時刻はまだ早朝。
一人きりの静けさを払うよう、ダイニングのテレビを点けてみる。
まだ就寝中の家族のためにボリュームを下げて……と、リモコンをかざした画面に、私は思わず息を呑んでいた。
「―――っ!!」
そこには、昨夜のあのデキる風の男性が映っていたのだ。
朝の情報番組で、先週海外で発生した自然災害の被害にあった邦人を救出したと、何とかっていう大臣が会見している。
おそらく、昨日の会見だろう。
彼は、その会見場の端に映っていた。
………ちょっと待って。
そういえばこの大臣、鼈甲の眼鏡じゃない?
しかも………赤いネクタイだ。
――コンサルティングよ。人間世界全般のね
――自然相手じゃ無理なこともある
――相手は最大のお得意様方だからね
彼らの愚痴がするすると蘇る。
夢じゃ、なかったんだ………?
じゃあ、そっか…………あの大臣が、彼のクライアントだったんだ。
そして、愚痴の原因。
でも、あんなに愚痴を言ってたくせに、男性はしっかり大臣をサポートしている様子だ。
昨夜とは違って、スッと姿勢正しく立つ姿は端正で、澄ましているようにも見えるけど、本当に仕事ができそうで。
「………ハッ」
私は笑い出していた。
「あの人、本当にいたんだ………?じゃあ、まさか魔法も………?」
吃驚なのか、歓喜なのか、或いは高揚なのか、私は激しく騒ぐ心を抑えられそうにもない。
そうして、まるで腰を抜かしたようにどさっとダイニングチェアに腰を落としたとき、右の太もも辺りに違和感があった。
「………?」
服の上から手でさすってみると、どうやらポケットに何か入ってるようだ。
……………まさか
その形状に心当たりがあった私は急いでポケットを探った。
すると
「これ………名刺?」
ポケットの中に潜んでいたのは、今テレビに映っている彼が昨夜くれた名刺だったのだ。
”M” という一文字しか印字されていない、まったく役目の果たさない名刺。
「あのとき渡された名刺だよね………?」
私はそれを確かめるべく、名刺を裏返した。
けれど、何も記載されていなかったはずのそこには、左下に小さく ”MMM” という文字が浮かび上がっていたのだ。
――そのときが来たら、そこに書かれている必要事項も読めるようになるだろう。
彼のセリフが鮮やかにリプレイされる。
だとしたら、私は、昨夜よりも一歩彼らに近付いてる………そういうことになるの?
どうしよう………嬉しい。
気がつくと私は、次の満月を調べていたのだった。
また仲間に、会うために。
満月の夜に集う、魔法使い達に会うために。
満月に集う魔法使い(完)