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寂しげに沈んでいた友達が、パッと顔を上げる。
「え?」
「…………その人って、優しい人だったって、それ、間違いないんだよね?」
「そうね。とにかく優しかったわ」
「…………だったら、私………頑張ってみようかな」
「頑張るって、何を?」
「だから…………その人、探してみるよ。………病院の中だけでいいなら」
私がそう言うや否や、彼女は思いきり破顔した。
「いいの!?嬉しい!ありがとう!本当にありがとう!」
その満面の笑みは、彼女が入院して以来最大級のキラキラで、それを見られただけでも、人探しの報酬としては十分に思えるものだった。
「あ………でも向こうは私がいきなり声かけてもわかってくれるかな?」
引き受ける決心はしたものの、不安は大いにあるのだ。
頼りなくそう尋ねた私に、彼女は不思議なほど自信たっぷりに「それなら大丈夫よ」と言った。
「実はね、合言葉みたいなちゃんとしたものじゃないけど、私と彼にしかわからない言葉があるのよ」
「二人にしかわからない言葉?」
「そうよ?あのね………」
彼女はここが個室であるにもかかわらず、ないしょ話をするようにこそっと、私にその言葉を耳打ちしてくれたのだった。
こうして私は、超がつく人見知りのくせして、まったく初対面の男の人を探して友達の病室に連れてくるという、最高難度のミッションを開始したのである。
そしてそのミッションは困難を極めるかと思いきや、意外なほどあっさりと、あっという間に手がかりを拾ってしまったのだった。
昨日彼女が見かけたという受付付近で二名の看護師が「すごいイケメン」「あの人、モデルさん?」とざわついていたおかげである。
彼女達の視線の先を追った時、噂の的は友達の憧れの人だと、すぐにわかった。
すらりとした長身で、明るい色の髪をハーフアップにしていて、完璧にスーツを着こなす後ろ姿だけでも相当格好いいのだから。
彼は見舞い受付を終えたところのようで、おそらくこのままどこかの病室に向かうのだろう。
急いでる様子はなかったし、連れの人もいないようだし、私は声をかけるなら今しかないと思った。
が、いざ実行に移そうとすると急に足が震え出してしまう。
だって仕方ないじゃない。私の人見知りは生半可じゃないんだから。
それは同級生の女子にだって発動してしまうわけで、初対面の男性、しかもとんでもなく格好いいオーラを放ちまくりの人なんて、人見知り全開発動中の私が気安く声なんてかけられそうになかった。
でもそうこうしてるうちに彼はエレベーターに乗り込もうとしていて。
「あ…」
早く呼び止めなきゃ!もう行っちゃう!
今を逃したらもう会えないかもしれないんだから!
「あの…」
か細い声がかろうじて出せたものの、私に背を向けている彼には届かない。
「あの…っ!」
若干ボリュームを上げたところで、人の行き交うエレベーターホールではまったく効果なしで。
すると彼が乗ったエレベーターの扉がじわじわと閉じはじめて………
「待って!魔法使いさん!!」
焦燥感マックス、ギリギリのところで友達から教えられた秘密の言葉を叫んだけれど、無情にもエレベーターの扉は閉まってしまった。
残された私に向けられていたのは、周囲からの生ぬるい視線だった。
無理もない、”魔法使いさん” だなんて………
私だって、高校生にもなってそんなファンタジーで幼稚な単語を人前で叫ぶなんてあり得ないと思ったけど、でも、彼女から聞いた二人の秘密の言葉なんだからしょうがないじゃない。
心の中で訴えてみても当然誰にも伝わるわけなく、とにかくめちゃくちゃ恥ずかしくなった私は、くるりと全身を反転させ、ダッシュでその場から退散することにした。
けれど一つ目の角を曲がったところで
「もしかしてさっき俺を呼んだのかい?」
たった今エレベーターで上がっていったはずの彼が、そこにいたのだ。
完全無防備だった私は、突然の彼の登場にギクリと全身が強張った。
長身のせいで見上げなければならないけど、正面から見る彼はそれこそ魔法で造られたかのような美貌だった。
「あ……の……」
「どこかで会ったことがあったかな?」
声まで格好いい。
「あ……いいえ、私は……」
どぎまぎとどうにか受け答えする私を、彼は柔らかな表情を浮かべて待ってくれている。
友達の言った通り、優しい人のようだ。
すると、人見知りと驚きとでカチコチだった私の体と心がともに解れていくようだった。
「私の友達が……あなたを探してて………、でも、彼女は今入院中だから、私が代わりにあなたを探してたんです」
自分でも驚くほどに、言葉を繋ぐことができた。
”友達のため” ……それはとてつもない勇気になって私を支えてくれていたのだ。
「友達……?………ああ、もしかしてあの子のことかな?」
「え、あの子?」
「カスミ草の、だろう?」
「覚えてるんですか?よかった……」
ホッとする私に、彼は懐かしむように笑みを深める。
「俺を面と向かって ”魔法使い” と呼ぶ人間は彼女だけだからね。そうか、彼女はまた入院してるんだね?」
「そうなんです。それで、昨日偶然あなたを病院内で見かけたらしくて、探してほしいと頼まれたんです」
「なるほど。もう何年ぶりかな。でも彼女自身が探しに来ないということは、相当悪いのかな?」
微笑みが、ゆるやかに気遣わし気なものに移っていく。
私は不必要の憂いを払うべく、すぐに否定した。
「いえ、今日は点滴が外せないらしくて、それで私が代わりに……」
自然と会話が続いていく。
この私が、初対面の男性相手に、普通に話せてる。
これはもう、驚きを通り越してそれこそ魔法みたいだ。
けれど、感動している私をよそに、男性は「ああ、そういうこと」と少しホッとした様子で頷くと、
「じゃあ、これからお見舞いに行こうか」
私が誘うまでもなく、そう提案してきたのだ。
「え……いいんですか?どなたかのお見舞いにいらしてたんじゃ………」
「そうだけど、またいつでも来られるからね。別に今日でなくても構わないし。それよりきみがせっかくこうして俺を探してくれたんだから、今日は彼女のお見舞いにしよう。案内してくれるかい?」
彼にそう言われて、私も彼女の病室がある方へと体を向ける。
そのときだった。
「ああ、でもちょっとだけここで待っててくれるかな」
背後から、男性がそう伝えてきたのだ。
「いいですけど、何か……」
何か予定がありましたか?
そう訊きながら振り返ってる途中で、いつの間にか彼はどこかへ行ってしまっていた。
「え………?」
忽然と消えた男性に驚きはしたけど、どうしてだか慌てたりはしなかった。
彼の言う通りこのままここで待っていれば、すぐに戻ってきそうだと妙な確信があったからだ。
急に現れたりいなくなったり、神出鬼没な人だなと思いつつ、それが妙に魔法使いっぽくも思えた。
するとものの数十秒ほどで
「お待たせ。じゃあ行こうか」
またもや背後から声をかけられて、ぎょっとしてしまう。
即効で振り返ると、なんと彼がカスミ草の花束を持っていたのだ。
小ぶりだけど、ちゃんとした花束だ。
「それ…………どうしたんですか?」
カスミ草を指差すと、彼は「お見舞いに花は欠かせないからね」と品よくほくそ笑む。
いやそれはわかってるけど………
「まさか、こんな短い時間で用意したんですか?」
こんな一瞬で?
驚くというよりも、どちらかというと訝しむ気持ちで尋ねた私に、
「それは企業秘密」
人差し指を唇にぴたりと当てた彼。
どうやら私に教えるつもりはないらしい。
……………本当に、よくわからない人だ。
いろいろ腑に落ちないまま、友達の病室に案内することになった私は、ぼんやりと、さっき友達と交わした会話を思い返していた。
『――――”魔法使い” ?それが二人の秘密の言葉なの?』
『そうよ?だって、彼は私にとって魔法使いだったんですもの。彼のおかげで、私は寂しくなくなったんだから』
『だからって、その人のこと ”魔法使いさん” って呼んでたわけ?』
『仕方ないじゃない。その人の名前なんて知らなかったんだもの。でも、あなただって会ってみたらきっと彼のことを魔法使いだと思うようになるわよ』
『どうして?』
『まあまあ、会ってみたらわかるわよ』
『何それ。まあとにかく、人見知りが発動しないように頑張ってくるわね』
『ありがとう。お願いね』
……………魔法使い、か…………




