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私と男性も手を振って小さな勇者ご一行を見送っていましたが、男性はその腕をふと下げると、「可愛らしい勇者達でしたね」と私と目を合わせてこられました。
「そうですね」
「時刻も時刻ですし、彼らもまた、昨日あなたの仰ってた ”黄昏れ時の勇者” かもしれませんね」
「黄昏れ時の勇者………そうかもしれませんね」
何気なく答えてから、私はハッとしました。
だってその言葉は、確か………
「どうかされましたか?」
「あの、”黄昏れ時の勇者” というのは……」
「はい?」
訊き返してくる男性の表情は、とても穏やかで優しい紳士そのものです。
そしてその双眸は、まるで私の心を見抜いてしまうほどにまっすぐで。
だから私は、あえて真実を問うことはしませんでした。
今はそれよりも男性に尋ねたいことがあったからです。
「いいえ、いいんです。それより、本当に私の力は人間以外にも効果があるのでしょうか?」
「そのようですね。あなたもご覧になったように、あなたは蝶も癒すことができました。もちろん、紅茶抜きでね」
「あ……」
そうでした、私は紅茶ではなく私自身に人を癒す力があるということを、今ひとつ信じ切れないでいたのでした。
さきほどの電話の相手、昨日のマスク姿の受付の女性でさえ、正直なところ、男性が仕込まれたのではないかという疑念がなかったわけではありません。
ですが、さすがに蝶となると、仕込むのは無理がありそうです。
例え男性が蝶にご自身の魔法を使われたのだとしても、それを今の私に見破れるわけもありませんし………
「どうです?これで信じていただけますか?」
男性はにっこりと仰います。
私は少し心を整えてからお答えしました。
「…………そうですね。偶然の可能性も捨てきれませんが、さっきの男の子達のおかげで、自分の力を信じてみたい気持ちが大きくなった……かもしれません。さっきあの子達にお礼を言われて、思っていた以上に嬉しかったんです。今までは私の紅茶を飲むような親しい人からしかお礼は言われませんでしたけれど、ああやって、一期一会のような ”ありがとう” も、とても素敵だと思いましたので…………あの、MMMコンサルティングのこと、もっと教えていただけますか?お願いいたします」
頭を下げ、また上げたとき、男性はとても嬉しそうに「もちろん、いくらでもお教えしますよ」と歓迎してくださったのでした。
まだ今すぐには、MMMコンサルティングで働くという決断はできません。
夫にも相談しないといけませんし、色々な調整も必要ですから。
ですが、小さな黄昏れ時の勇者たちのように、もし私の不思議な力で誰かが喜んでくださるのなら、頑張ってみようかなと思うのです。
「あ、でも……」
「あなたの勇者様が最優先、ですよね?承知しております」
またもや心を読まれてしまい、私は苦笑と微笑が混ざった顔で男性から今後の流れの説明を受けはじめたのでした。
この先、魔法使いになろうと、MMMコンサルティングで働こうと、例えどんなにたくさんの人から感謝を告げられようと、私にとっての一番は夫なのだということを、深く、大切に、心に刻みつけながら。
※※※
《―――――はい。もしもし?》
「おや、出るとは思わなかったよ。夜勤中じゃなかったのかい?」
《なんで知って………ああ、彼女か》
「彼女以外に誰がいるのさ。ところで、今大丈夫かい?」
《ああ。今夜は静かな夜だからな》
「救命救急医の仕事が忙しくないのは、何よりだ」
《まあな。で?今日会ったんだろ?どうなったんだ?》
「彼女本人からはまだ連絡はないのかい?」
《仕事中はよほどのことがない限り連絡を寄越さないからな》
「さすがだな」
《まあな。それより、いつ急患が来るかわからないんだ。早く話してくれ。昨日お前から頼まれた通り、昨夜も今朝も彼女の紅茶は我慢したんだからな》
「わかってるよ。僕だってそう思ったからこうして連絡したわけだしね。でも、どちらにしても家に帰れば彼女から詳細を聞くとは思うけど?」
《だとしても、早く知りたいんだよ。で、どうなったんだ?MMMに入るのか?》
「まあまあ、落ち着けって」
《勿体ぶるなよ。そもそもお前が俺におかしなこと頼むから余計に気になって仕方ないんだ》
「それはすまなかったね。僕だって、あれはしくじったと反省したんだ。まさか彼女があんな風に考えるなんて思ってなかったし……」
《何のことだ?》
「いや、彼女が、周りの人の体調が良くなってるのは自分の力ではなく紅茶の効能だと思っていたようだからね」
《ああ、それで ”紅茶を飲むな” ってことか》
「そうなんだ。紅茶ではなく彼女自身にその力があるのだと自信を持ってもらいたかったんだが………どうやら彼女は控えめな性格のようだね」
《まあ、謙虚な方ではあるな。で?MMMの件はどうなった?》
「一応いろいろ説明はさせてもらったよ。ただまだ具体的な返事は聞いていない。お前に相談してから決めたいそうだ。夫婦なら当然だろうけど」
《ということはつまり、彼女、やっぱり魔法使いで間違いないんだな?》
「それは間違いない。MMMの名刺だって完全に読めていたからね。お前だって知ってるだろう?あの名刺は魔法の元がない人間には白紙にしか見えないと」
《そうだな………仕事柄、MMMとは関りがあるが、いつまで経っても俺には一文字も見えてこない》
「医療関係はMMMのお得意様だからね。そこの繋がりで病院や施設を訪れた際に発見される仲間も多い」
《それを言うなら、お前のとこだってそうだろ?警察署も、病院同様にいろんな人が訪れるじゃないか》
「そうだね。警察関係も医療関係も、何かとMMMと関わる機会が多い。今回も、そのおかげで彼女を見つけられたんだ。まさか免許更新に来ていた仲間が、お前の奥さんだとは想像もしなかったな」
《俺は、お前がうちの管轄に異動になったと聞いて、多少の予感はしていたけどな》
「じゃあお前も、彼女がそうだと気付いていたんだ?」
《ああ。医者になってからMMMのことを知って、親しくなったMMM関係者からMMMや魔法の話を聞いていくうちに、もしかしたら彼女もそうなんじゃないかとは疑っていた。だが彼女は自分の異質さをポジティブに捉えていたし、相談されない以上は特に俺から話すことはないと思っていた。だから、お前から結果を聞いて、やっぱりそうか……と納得した反面、いざ確定されると、正直複雑な気もしてる》
「なぜ?」
《彼女はいつも人の役に立ちたいと思ってるような人だから、その意味ではMMMはもってこいの職場だと思う。MMMがこの国の社会でどれほど重要な存在かはお前がよくわかってるだろ?医療、警察、法曹、教育、マスコミ、経済、政治……おそらくMMMの世話になってない人間は国内にはいないだろうからな。でも俺が仕事でMMMと関わるときは、決してポジティブなケースばかりじゃない。だから、もし彼女がMMMに入ってそういう場面に出くわしたとき、優しい彼女が心を痛めないかと心配なんだ》
「えらく大切にしているんだな」
《当たり前だろ、夫婦なんだから》
「まあ、そんなお前だから、彼女も懸命に支えようとしているんだろうな。自分だけの勇者を」
《………勇者?誰が?》
「彼女が言うには、誰かのために頑張って家路につく人は皆、勇者になるんだそうだ。夕方、駅前の公園で駅から出てくる人達を眺めていたときにそう思ったらしい」
《ああ、彼女らしい発想だな。夕方の、勇者………いや、彼女なら、”黄昏れ時の勇者” みたいな呼び方をしたんじゃないか?》
「………どうしてわかったんだ?」
《夫婦だからな。ずっと一緒にいると、お前みたいに魔法を使えなくても相手の考えてることがわかるんだよ》
「それはすごい」
《そんな大したことじゃ………おっと、悪い。呼び出しだ》
「すぐ行ってくれ」
《悪いな。ああ、言い忘れてた》
「何だい?」
《彼女を……妻を、よろしくお願いします。お前はMMMの社員じゃないが、だからこそ、乗れる相談もあるだろうしな》
「わかった。もともとそのつもりだったよ」
《それを聞いて安心した。じゃあな》
「じゃあ。仕事頑張って、先生、またの名を ”黄昏れ時の勇者” 様」
《お前もな。おまわりさん、またの名を ”魔法使い” さん》
黄昏れ時の勇者と魔法使い(完)




