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鬼人と妖狐  作者: ミント
9/12

黒瀬千花 前編

 ーー時は、昨日へと遡る。


【3月18日 日曜日PM19:12】


 映画デートの帰り道、私ーー黒瀬千花は、とある神社へお参りに来ていた。


「ふぅ」


 白い息が、賽銭箱に影を作る。


 ……今日も幸せな一日だった。


「まなぶ君は、なにをお願いしたの……?」


 理由は、隣の彼。


 名前は近藤学こんどうまなぶ17歳。


 身長は私より少し大きいくらい。足は細くて柔らかそうな体付き。私的にはもうちょっと食べてほしいかも。

 いつもイライラしてるみたいな顔をしてて、目付きがちょっと怖い。

 お洒落に無頓着な彼は、いつもお母さんに買ってもらった地味な服を着てるみたい。私は割とお洒落とかには興味あるけど、まなぶ君が私の隣に居ても浮いてしまわないように、まなぶ君と遊ぶ時はいつも地味な服を着るようにしている。

 顔は、正直タイプではない。私はもう少し、優しい顔が好みだから。

 けれど、そんなのは関係ない。だって私は、そんな彼のことが大好きだから。怖い顔してたって、口がちょっと悪くたって、彼は私の大好きな人なのだ。

 直感とか運命じゃない。こんなにも好きになったのには、深い理由がある。



 私は幼い頃に母を亡くし、その頃から父は変わってしまった。

 毎日お酒を飲んでは私を殴り、私を閉じ込め、私を使い、私を壊す。そんな父が嫌で、私は何度も家出して、警察の人にお世話になった。

 警察の人にお世話になると、父は腹立たしそうな顔で迎えに来てくれた。小学生の頃は警察の人に頭を下げる父を見てざまぁと思っていたが、中学生になってやめた。それをすると後で殴られるから。


 私はゴミのような家庭環境で育った。毎日虐待されるし、それなのに父の身の回りの世話をしなくてはいけない。

 そんな私に、救いは無かった。私の親戚はみんな父のことが嫌いで、誰も近寄って来なかったからだ。


 小学生の時、勇気を出して学校の先生に父の事を相談した。しかし先生は「黒瀬にも問題があるかもしれない」「お父さんと一回話し合ってみなさい」と言った。私はこの時大人はアテにならないと知り、それから誰かに相談するのを辞めた。

 

 私は酷く不幸な人間だと感じた。

 だから私は、ネットにはけ口を探した。

 しかし、ネットの世界には私のような人が沢山いるという事を知り、自分は特別不幸な存在なんかじゃない事を知った。


 私が悪い。もっと、もっと私がちゃんとすれば。もっともっと、ちゃんと……。

 世の中には私より苦しんでいる人が、沢山いるんだ。それでも頑張っている人が、沢山いるんだ……。


 家事をこなし、炊事をこなし、父の言いなりになる。あの悪魔の意のままに従い、身を粉にして働く。そんな人生さえ送れば、最低限痛い思いをしなくて済むようになった。


 痛みは嫌いだ。痛みはこの世で一番苦しい。

 暴力は私の一番深い心を傷付けて、トラウマを生む。


 あの、腕を振り上げている姿が嫌いだ。

 あの、握りしめた拳が嫌いだ。

 

 閉じ込められた暗闇が、空腹が、渇きが、私と、私の心を蝕んで、蝕んで、食いちぎって。やがて私と言う存在を、壊していく。


 だから私は、心を閉ざしたのだ。


 家で殴られなくなってから、数年後。高校2年の2学期。

 そんな私の心を、掻き回す女がいた。


「黒瀬さんってさぁ、あんまクラスの子と話さないよねぇ。なんで?」

 

 隣の席のいかにも不良っぽい金髪の女に、昼休み教室で声をかけられた。名前は後藤あや。

 友達をつくらず、陰でひっそりと過ごす私に何の用事があるのか。


「……」


 今までこんな事なかった。私に絡んでも、楽しくないから。

 急に話しかけられて、何て返せばいいかわからない。変なこと言って相手を不快にさせるのが怖い。

 でも何か、返事をしないと……。


「えっと……」


「あのさ、何で無視するわけ? ちょームカつくんですけど」


「あ、その……」


「思ったんだけどさぁ、お前っていつも陰薄いよね。もうちょっと周りと会話する努力とかすれば?」


「ぇ……」


 そんな喧嘩口調で話しかけられて、何て答えればいいのかなんてわかるはずがない。

 私がおどおどしていると、後藤と一緒に昼ごはんを食べていた女が口を挟んだ。


「やめなってあや。黒瀬泣きそうじゃん」


「はぁ? こいつが無視するのが悪いんじゃん。なんでうちが怒られてるわけ?」


「何でって……はぁ。なぁ黒瀬、お前もなにか言い返しなよ。私に頼ってばっかじゃなくてさぁ」


「す、すみません……」


 頼ってばっかって……。被害者こっちなのに。


「いや、あやまんなし……。はぁ、なんかもう、庇って損した。やっぱうざいわこいつ。ね、あや」


「うちこーいう話できない奴、マジ嫌い」


「す、すみません……」


「ちっ」


 ガンッ


 後藤が私の机を足で蹴った。

 

 え、なに。

 私、何か悪い事した?

 

 ……いや、違う。悪い事したとかそういう事じゃない。私がちゃんとできなかったから悪いんだ。

 私は特別不幸なんかじゃない。私は普通なんだ。ならこの不条理は、全て自分の能力不足のせい。こんな事されるのも、仕方のない事なんだ。


「おい、こっち向けよ」


「……」


 けれど私は俯いたまま、何もできずにいた。

 今後藤と目を合わせると、涙が溢れ出てきそうだったから。


「なんで何も言えないわけ? ねぇ、日本語って知ってる?」


 イライラと口を歪ませ、今にも後藤が私の髪の毛を掴もうとした、その時。


「もういいだろ、後藤」


 不意に、現れたのだ。

 まなぶ君が。


「なに?」


「なにって、わかるだろ。やめてやれよ」


「はあ? 別にお話してただけで、なんにもしてないじゃん。なにカッコつけてんの、きも」


 後藤の誹謗中傷にまなぶ君は鼻で笑い、


「ははっ、調子乗んなよブスが」


「はぁ!?」


「なんだよ、俺は別に何もしてないだろ。ただお話してただけで」


「お前……⁉︎ マジで殺すぞ」


 まなぶ君と後藤が火花を散らす。教室内はざわつき、どんよりとした空気が漂っていた。


「ちょ、あや」


 後藤の隣の女も動揺している。2人が殴り合いの喧嘩を始めてしまうんじゃないかと、ドキドキしている。

 

 私は何がなんだかわからなかった。

 ただ、まなぶ君が私なんかのために喧嘩してくれているのが、申し訳なくて、申し訳なくて。

 私がおどおどしてる間にも、喧嘩はさらにヒートアップしていった。


「関係ない奴が出てくんなよ。どうせアレでしょ? 『この女助けてる俺かっこいい』とかって思ってるんでしょ?」


「うるせぇブス」


「お前ほんと、それしか言えないの? 頭悪いんじゃない?」


「お前がブスだからブスだって言ってるんだよ。お前、ちゃんと鏡見たことあるのか? 今から整形してきたらどうだ?」


「っ……⁉︎ お前、ほんっと性格悪い! マジで死ね!」


 ガシャン! ゴロゴロゴロゴロッ

 ガラガラガラッ! バタンッ

 タッタッタッタッ


 後藤は涙を目の端に溜め、机を両手で強引に退けながら、教室を走り去っていった。


「ちょっとまってあや! 近藤お前、覚えとけよ!」


 後藤の友達の女も焦ってその後を追う。


「近藤くん、さいてーだよね」

「あそこまで言う必要ある?」

「近藤って性格悪いよな」


 自然にクラスのみんなの視線が、まなぶ君に集まる。まなぶ君が完全に悪者扱いだ。

 みんなの視線を浴びてまなぶ君は「ふんっ、あれくらいで泣くなら最初からするなよな」と呟いた後、バツが悪そうに席に戻った。


 まなぶ君は確かに口こそ悪かったが、他のみんなと違って私を助けてくれたのだ。私からすれば感謝しかない。陰でコソコソ悪口言ってる子も多いが、恐らく大半はまなぶ君がいい人だって気付いているはずだ。

 けれど、なんでまなぶ君はここまでしてくれたんだろう。小中一緒だったし家が上の階だからエレベーターとかでよく会うけど、それでもあんまりお話なんてしたことなかったのに。


 聞きたい気持ちがあるけど、何もできない。さっきの出来事があまりに怖くて、恐ろしくて、私は何も起きないことを祈りながらただ席に座ることしかできなかった。


 ほとぼりが覚めて昼休みが終わり、放課後。


「ぇ!?」


 ホームルームが終わりさっさと荷物をまとめて学校から帰ろうとすると、校門に後藤がいた。しかも、友達を2人引き連れて。


 どうしよう。絶対に何かされる。ここは無視して通り過ぎよう。

 そう思ったのだが、


「おい」


 地面を見ながら歩いていると案の定、後藤に呼びかけられた。


「ちょっとこい」


 後藤は殺意の篭った声でそう言うと、私の肩を掴んだ。


「私、その、用事……あるから」


 私は精一杯の声で拒絶する。しかし、


「そんなの通用するわけないっしょ。早く来い」


 帰ろうとする私の手を掴み、強引に引き連れていく。

 向かった先は、使用頻度の低い女子トイレだった。

 後藤はトイレに入ると意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「なんでこんなとこ連れてきたと思う?」


「なぜ……でしょう?」


 後藤は私の問いかけに答えず、代わりに掃除用具入れからバケツを取り出して水を注ぎ始めた。

 水が溜まるとそれを黙って傍観する私に見せつけ、


「昼休みのアレ、全部お前のせいだから」


「それ、は……」 


 反論しようとした、その時、


「せーのっ」


「きゃっ」


 後藤の友達に、バケツの水を頭から私に浴びせられた。


 ばしゃばしゃばしゃっ……。

 頭から水を被り、制服が水に張り付く。

 服が水を吸い込んで重くなり、体温を奪う。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 あまりの寒さに呼吸が荒くなる。服を脱いだ方がまだマシかもしれない。


「あや、まだあるよ」


「さんきゅー」


 もう一度、バケツいっぱいの水を頭から浴びせられた。

 ばしゃばしゃばしゃっ

 私は寒さに縮こまり、両手を胸の前でクロスさせていた。


「ごめんなさい、、もう、やめて……」


「はぁ? やめるわけないでしょ?」


「うぅぅ」


 バシンッ


 後藤が私をビンタする。


 それからは、ドラマで見たような光景が広がっていた。ただドラマと違うのは、被害者による主観映像だって事。

 

 またビンタされたり。

 また水をかけられたり。

 髪を引っ張られたり。

 

 私が暴力を振るわれるたびに酷く怖がるから、後藤はとても楽しそうだった。

 女の力で殴られても、父に殴られるよりかは痛くない。

 けれどトラウマが蘇って、とても怖い。


 なんでこんな事されなきゃ行けないんだろう。

 なんで私悪くないのに、いじめられなきゃいけないんだろう。


 ……いや、これは虐められてるんじゃない。私は特別不幸なんかじゃない。私が暴力を振るわれるのは、意地悪されるのは、私が不出来な人間だから。

 そうやって自分に言い聞かせて、自分の人生を正当化して。

 私は、心を閉ざした。


 一通りの暴力が終わると、後藤は満足そうな顔で地面に座り込んだ私の顔を覗いた。すると携帯を取り出し、写真を見せてきた。


「私の彼氏、実はめっちゃ強いんだぁ。ほら、これ」


 携帯の画面に写っていたのは、年上の男性。筋肉がムキムキに付いていて、金髪で、いかにも不良な感じの大学生。


「近藤も、お前と同じ目に合わせてやるから」


「や、やめて……⁉︎」


「ぷっ、あははははっ! お前いま、今日一番声出たんじゃない?」


「ぷぷっ、ウケる」


 隣の女2人も笑っている。何がそんなにおかしいのだろう。


「近藤はお前のせいでボコられる事になるんだから。ねぇそれってどう? どんな気分?」


「ごめんなさい。ごめんなさい……」


 泣きながら謝る私。もうどうすればいいかわからない。私はどうなってもいい。けれど私のせいで、まなぶ君が傷つくのは耐えられない。

 すると後藤は立ち上がり、


「許して欲しいっしょ?」


「え……」


 突然の甘い声にびっくりして、私は顔を上げた。


 パシャリ。


 突然、後藤が私の写真を撮った。水浸しになって下着が透けた、私の写真を。


「なん……で」


「いい? これからはウチの言うことなんでも聞くこと。とりまこの写真は澤口あたりに売るから」


「え……い、いや……」


「え、なに? 近藤がどうなってもいいっての?」


「それは……」


 これ以上、まなぶ君に迷惑はかけられない。私が、私が責任を取らないと……。


「わ、わかり、ました」


「みんな聞いた? 写真オッケーだって」


「まじー? じゃあ私も撮っとこーっと」


 パシャッ

 パシャッ


 それから、いろんな写真を撮られた。

 棒で突かれたり、スカートを捲られたり、ボタンを外されたり。

 無数に聞こえるシャッター音や笑い声と共は、私の心の尊厳と人権が失われていくようだった。


「いやっ……いや……」


「きゃははははっ!」


 私がいくら泣いて顔を歪めようが、彼女達は笑っていた。私は惨めで、恥ずかしくて、凄く苦しかった。

 

 私は今日、初めて暴力以上の苦痛を経験したのだ。


 全てが終わり、四時過ぎ。

 家に帰って冷え切った身体に、シャワーを浴びる。家に父がいなかったのが唯一の救いだ。

 

 その日は全く眠れなかった。

 いろんな事が頭に渦巻いて、離れない。


 後藤に付けられた傷が痛い。

 水浸しにされて風邪をひいたのか、喉が痛い。

 そして何よりあの写真が誰かに見られているかもしれないと考えると、とても怖い。

 

「うぅ、ううぅ、ぐずっ」

 

 泣いて、泣いて、泣き疲れて。

 気が付いたら、次の日になっていた。


 学校に行くと、いつも通りの光景が広がっていた。

 しかし、この日から明らかに後藤が嫌がらせをしてくるようになった。

 聞こえるように悪口を言われたり。

 わざと私の弁当を落としたり。

 見えないところで怪我させられたり。

 後藤は私が嫌そうな顔をすると、とても気分がよさそうだった。


 放課後になると後藤に呼び出され、まずはパシリに使われた。

 そしてまた、追加に写真を何枚か撮られた。


「お前の写真、結構売れてるよ。澤口とかキモい男子、お前のことタイプらしいから」


 私の写真は、どうやら本当に売られているらしい。


「そう……なんだ」

 

 私の写真を、澤口が……

 それと、他に誰が見たんだろう。


 もしかしたらもう既に、クラスの男子全員に見られているかもしれない。

 もしかするとSNSにも載せられていて、私の体が知らない誰かに見られているかもしれない。


 スマホで私の事を見て「何この子、ブッサイクだなぁ」って、誰かが笑ったかもしれない。

「この子いじめられてるんだ、可哀想」って、誰かに言われたかもしれない。 

 誰からも見下されて、蔑まれて。最後には地に落ちた私の裸を見て、みんなが笑うんだ。


 私の恥ずかしい写真は、誰が見ても『立場の弱い子』『いじめに遭うような弱者』に見えるだろう。そう、見えてしまうだろう。

 私は写真を見られた事よりも、そう思われてしまうのが一番恥ずかしい。


 あぁ恥ずかしい。


 恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。

 恥ずかしい。恥ずかしい。恥ずかしい。


 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい……


「おぇぇ、ぐがっ、ごぽっ」


 家に帰って洗面所へ行くと、気持ち悪くて吐いてしまった。


 家にいるのが苦しくて、学校に行くのが恥ずかしい。どこにいても、何をしていても、辛い日々だった。

 そんな地獄のような日々が続き、数日経ったある日。


 ーー痣だらけになった私の身体が、父に見つかった。

 そして父は、酷く激怒した。

 

「なぜ怪我してるんだ」と。


 お前が怪我をしていると、また俺が虐待しているかもしれないと近所に怪しまれるだろう、と。


「なんで私ばっかり……なんで……なんで……」


 もう嫌だ。

 なんでこんなに不幸なんだろう。

 私、何かしたかなぁ。


 ……いや、違う。こんなの不幸なんかじゃない。私は不幸なんかじゃない。

 私以外もみんな、私みたいな逆境を乗り越えてるんだ。私は能力が低いから、こうなってるだけなんだ。


「ぐっ……おぇぇっ」


 そうだ、全部私が悪い。私が悪いんだ。

 全部私のせいでこうなった。私が全部悪いんだ。

 そうやって不幸を飲み込んで、真っ暗な部屋で寝て起きて。

 また今日も、昨日を繰り返すのだ。

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