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鬼人と妖狐  作者: ミント
10/12

黒瀬千花 後半

 1週間が経った、ある日。

 放課後私は、グラウンドの倉庫に呼ばれた。


 ガラガラガラッ

 

 古い倉庫で、建て付けも悪い。この学校はグラウンドで部活動をしている人があまりいないので、使用頻度も低い。

 そんなグラウンドの倉庫には、後藤と、もう1人の女の子と、あと同じクラスの男の子がいた。


 その男の子の事を、私はよく知っていた。

 澤口春生くん。私の写真を買ったという人物だ。


「よくきたね。まぁ座りなよ」


 後藤が私をマットに誘導する。

 私は戸惑いながらも、マットに腰掛けた。


「すぅ、はぁ、すぅ、はぁ」


 澤口くんの鼻息が、肩にかかった。澤口くんは体が大きく太っていて、何というか清潔感がない。こんな人が私の写真を持っているなんて、吐き気がする。

 後藤も私の隣に座った。ふわりと香水の香りがする。今日はいつにも増して上機嫌だ。

 後藤はそのまま身を乗り出し、ニヤリと笑う。


「ねぇ黒瀬。ちょっとさぁ……」


 後藤は少し間を開けると、猫撫で声でとんでもない事を言ってきた。


「澤口におっぱい触らせてやってくんない?」


 ……え?


「えっと、なんで……」


「私いまお金なくってさぁ。澤口に聞いたらいっぱいお金くれるって言うからぁ、お詫びに何かしたいなって思って」


「そ、そんな……」


 後藤が冗談を言っているようには見えない。

 グラウンド倉庫に連れてこられたのも、これが理由だろう。

 でも、さすがにそれは……。


「い、いや……」


「え? なんて?」


「い、いやです」


「はぁ? 意味わかんないんだけど。いいからさっさと乳揉ませてやれや。今から服買いに行かなきゃなのに、時間なくなるだろが」


 私が反対すると、後藤の態度が一変した。すると横から澤口くんが、


「や、やっぱりいいよ僕。こんなのやっぱり、その、可哀想だし」


「何言ってんの澤口ぃ。大丈夫だって。こいつ嫌とか言ってるけど、本当はこう言うの好きだから」


「ほ、ほんと……?」


「ち、ちが……」


 私は首をブンブン振って、違うことをアピールした。


「ほら、やっぱり嫌がってない?」


「大丈夫だって。ほら、いやよいやよも好きのうちって言うっしょ? 」


「た、たしかに、いやよいやよも好きのうちって、言うね。ぐ、ぐひひっ」


「そうそう澤口。ちょっと強引くらいの方がモテるって」


「そ、そう……だね」


 澤口は汚い口をニヤリと歪める。


「ふぅ、ひぃ、ひゅぅ、ひぃ」


 澤口の荒い鼻息が近づいてくる。


「い、いや……」


 怖い。

 怖い。

 怖い。

 怖い。


「い、いやぁ……‼︎」


 パチンッと。

 澤口の頬を叩いてしまった。


「あ、や、違っ」


「いったいなぁ」


 わざとじゃない。ただ、反射的に体が動いてしまっただけ。

 けれど、人を叩いてしまった。こんなの初めてだ。私が一番嫌う暴力を、人に振るってしまったのは。


「うわ、叩くとかさいてーじゃん」


「ご、ごめんなさい……」


 澤口は赤くなった頬を抑えながら、私を睨む。

 

「黒瀬さん、さっきのはちょっと痛かったからね。僕はちょっと触ろうとしただけで暴力はしてないから、今のは絶対君が悪いと思うよ。ほんとにもう、最低な行為だったね。でゅふ、僕は、許さないからね」


 澤口は怒りに肩を震わせながら後藤に振り向き、


「ちょっと後藤さん。黒瀬の肩持っててくれない?」


「えっ? あ、うん」


 後藤は仕方なくといった感じで、私の肩を掴んだ。


「まってっ、い、いやっ」


 必死に振り解こうとしたが、非力な私では後藤に勝ち目はない。


「それじゃあさっきの恨み、晴らさせてもらうよっ」


「や、やめてっ! はなして!」


 澤口が私の胸に手を伸ばす。

 これからその汚い右手が、左手が、私の胸を弄るんだ。

 でももういい。仕方ない。

 これが私の人生なんだ。

 全部、私が悪いんだ。


 私の態度が悪かったから後藤を怒らせた訳だし。澤口くんだって、後藤にそそのかされてこんな事してるだけだし。ほっぺた叩いちゃったし。


 けれど。それでも……。

 こんなの、嫌だなぁ……。



 ……ドンッ‼︎

 


 全てを諦め、何もかもを失いそうになった時。


 ドンドンドンドンッ!!


 倉庫のドアから、大きな音が聞こえた。

 決してノックなんかじゃない。今すぐこじ開けて私を連れ出してくれそうな、そんな音。


「え、なに?」


 後藤が怪訝そうにドアを見る。建て付けの悪いドアが開いてしまわないか心配なのだろう。


「せ、先生じゃないよね?」


 澤口は手を私の胸の前でピタリと止め、慌てて扉の方へ振り返った。

 

 ドンッ‼︎ ドンッ‼︎


「いるんだろ! 早く開けろよ!」


 扉越しに、まなぶ君の声が聞こえた。

 後藤の友達が顔に汗を滲ませて焦っている。


「え、やばくない? 近藤だよね?」


「ちょっと待ってて。……だれー?

近藤?」


 後藤が大きな声で、まなぶ君に問いかけた。


「そうだ。いいから早く開けろよ」


 まなぶ君が低い声でそう答えると、後藤はホッとした様子で扉の方へ行き、


「近藤だけでしょ? 先生居ないっぽいし、開けても大丈夫っしょ」


「そ、そうだね。一旦開けて、適当に帰らせよっか」


 後藤と友達がコソコソと相談した結果、扉を開けることにしたそうだ。


 ガラガラガラガラッ


 扉を開けると、そこには予想通りまなぶ君が1人で立っていた。

 まなぶ君は第一声、野太い声で後藤に圧をかけた。


「何してんだよ」


「はぁ? 別に何もしてないけど」


「何もしてないわけないだろ。なんだこのメンツ、ふざけてるのか」


「はぁ? 別に普通じゃん? 私らこれでも仲良いから。ねぇ黒瀬さん」


 後藤が私に目線を配る。笑顔を引き攣らせながら、肯定しろと圧をかけてきている。

 

 ……私は迷った。

 もちろんあんな酷い事をされたのだから、全てを暴露してしまった方が良いに決まっている。それこそが最適解だ。そんな事はわかっている。

 私がここで泣き付いて、助けを求めて、全て解決して、それでハッピーエンド。そうなったらどれだけ幸せなことか。


 けれど、本当にそれでいいのかな。


 確かにそれで私は助かるけれど、まなぶ君には確実に迷惑がかかってしまう。

 最悪の場合、私を助けた事で後藤の彼氏とやらに目を付けられてしまい、酷い事をされるかもしれない。私のせいでそんな事になってしまうのは、絶対嫌だ。


 そもそもこれは、私のせいなんだ。

 私が弱いから、後藤にイジメられて。

 私がちゃんとしていれば、澤口くんだってこんな事をしていなかったはずだから。

 なら私がここで助けを求めるのは、違うよね……。

 

「わ、私は……」


「おい、黒瀬」


「……?」


 まなぶ君は私の言葉を遮り、


「ちゃんとほんとのこと言えよ」


「……!?」


 凄く、心がギュッとなった。

 やっぱりまなぶ君は、優しい人だ。

 でも。


「なにも、ないよ……?」


 だからこそ、私は嘘をついた。

 これでいい。これでいいんだ。

 私は、このままでいい。


「そうか……。お前ら、ここ使ったらダメなとこだから、早く帰れよ」


「ちっ、先生かよ」


 後藤はダルそうに立ち上がり、この部屋から出ようとする。すると不意に立ち止まって振り返り、私を睨みつけた。


「じゃあね黒瀬さん。また明日」


 こうして、後藤達は帰っていった。

 澤口は後藤が帰ってからも少しだけ、何か言いたそうな顔をして残っていたが、まなぶ君に圧をかけられて仕方なく帰っていった。


「ふぅ」


 まなぶ君が緊張を解いて、ぼふっとマットの上に腰掛けた。

 私もなんとなく、マットに腰掛ける。あぁ、なんて座り心地がいいのだろう。


「あ、ありがとね……」


「え?」


 お礼を言うと、なにが? って顔をされてしまった。そりゃあ私、さっき何もないって言ったばっかりだもんね。


「あ、えっと……」


「お前さ、下の階の黒瀬だよな?」


「え、あ、うん。そうだよ」


「たまにエレベーターで会うよな、俺達」


「うん……」


 いつも、何も話さないエレベーター。

 最近は私の帰りが遅くなる事が多かったので、会う頻度は減っていた。

 

「小学生の時からさ、気になってたんだよ、お前の事。なんかいっつもしんどそうにしてたよな」


「……」


「なぁ黒瀬。ここで、何されてたんだ?」


 ……少し、泣きそうになった。

 だってまなぶ君が、泣きそうな声で聞いてくるから。

 けれど、言えない。


「べ、べつになにも……」


「実はな、見たんだよ。おまえの写真」


「……」


「すまん」


 まなぶ君が申し訳なさそう顔で、私を見ていた。


 あ、ダメだ。

 早く逃げないと。

 私の中の自尊心が、壊れる前に。


「ごめんなさい……」


 私は小さく謝罪して、この場から逃げ出そうとした。しかし、まなぶ君がそれを許してくれない。


「待てよ黒瀬!」


 掴まれた右手は、妙に汗ばんでいて。

 まなぶ君も緊張してるんだって、肌で感じた。


「写真を見てしまった事は謝る! お前が今隠してる事を無理やり吐かせようとしてるのも、もしかしたら間違ってるのかもしれない! けど俺は、ムカついてるんだよ! 許せないんだよ! あんな事してる、あいつらが!」


 熱く叫ばれたからか、涙が止まらなかった。

 正直、頭が真っ白で何も聞き取れない。何も聞こえない。ただまなぶ君が、私の為に必死になってくれているのがわかる。この問題を解決したいって気持ちが伝わる。


 そんなまなぶ君の熱に、甘やかに脳が溶けていくのを感じた。

 ごめんなさいまなぶ君。私はもう、我慢ができない。


「う、うぇぇぇっ、へぇぇぇん、、うぅぅぅうぅ」


 まずは泣いた。

 もう感情が爆発して収まらなかった。

 あまりに不細工な顔で、しかも変な声が出ちゃってたから凄く恥ずかしかった。

 でもまなぶ君は私が泣き止むのを待ってくれた。

 泣き止むと私は、今までのいじめの経緯を滔々と語った。

 まなぶ君は私の手を握りしめながら、うんうんって話を聞いてくれた。

 話終わるとまなぶ君は深く息を吸い込み、ふぅっと吐き出した。


「よし、先生に全部言おう」


「うん。……あ、でもそれじゃあ近藤君が危ない目に遭うかもだよ……?」


「あぁ、後藤の彼氏か? 大丈夫だ、俺はそんなに弱くない」


 頼りになる口調で、彼は大丈夫だと言った。確かにまなぶ君はとても凄い人だし、彼なら大丈夫なのかもしれない。

 それにこれ以上まなぶ君を心配したら、まなぶ君のこと弱いって言ってるみたいで逆に失礼かも。男の子の事はよく分からないけど、プライドを傷つけてしまうかもだよね。なんか前にテレビでヤンキー芸人がそんなこと言ってたし。


「じゃあ後藤と澤口、それから取り巻きの女達がやった事、全部先生に言いに行こうか」


「あの……澤口君は、いいよ」


「はぁ?」


「澤口君は、私がビンタしたのが悪いし……」


「いやいや、まてよ黒瀬。澤口がやった事は、普通に犯罪だろ」


「でも、澤口君は後藤さんにお金を要求されてたし……。私がイジメに遭ってたせいで、他の人にまで迷惑かけたくない……」


 私のせいで、こうなったんだ。

 きっと澤口も、私がイジメに遭ってなければあんなことしなかったはず。


 けれどそんな感情はまなぶ君に一切相手にされず、バッサリと切り捨てられてしまった。


「迷惑? そんなわけないだろ」


 そう言ったまなぶ君の顔は、かなり怖かった。


「お前がイジメに遭ってたせいで、澤口があんな事した? たとえ後藤に唆されてただけだとしても、やっていい事と悪いことがあるんだよ!」


「でも、私ビンタしちゃったし……」


「ビンタくらい、されて当然だ!」


 最後は何言ってんだこいつって感じで、失笑気味に突っ込まれた。


「お前なぁ。もしかして、自分がもっと上手くやれてたらとか考えてないか?」


「……」


「自分がもっと強い人間で、イジメなんて跳ね返せたら、澤口はあんな事しなかったって? いやいや、お前は充分強い人間だよ」


 まなぶ君は呆れながら、それでいて強い言葉を投げてくれた。


「お前が経験した今までの不幸は、普通の人間じゃ耐えられないものだと、俺は思う」


「不幸……?」


「不幸だろ。言っておくが、今回の件はお前のせいじゃないからな。全部あいつらが悪いし、多勢に無勢だから一人じゃ対処できない。そしてそんな中、お前はよく耐え切れたもんだ。それは俺の事を助ける為でもあったんだから、大したもんだよ」


「私は……」


 私は、不幸なんかじゃない。

 こんなのはみんなが乗り越えていく道で、みんなはもっと上手くやっている。

 私は弱いから、こんな程度のことも対処できず泣いてるんだ。

 けど、まなぶ君は不幸だと言った。

 みんなが乗り越えられないような、不幸だと。

 私はよくやった、強い人間だと。

 なんだかその言葉を聞いた時、心がとても軽くなった。

 そして同時に、私の全てを否定された気がした。

 けれど、それは皮を剥がされたような感覚で。

 新しい私が、閉じこもっていた心が、解放されたかのような体験だった。

 そしてまなぶ君は、最後に一言こう言った。


「お前はもっと、自分を大切にしろ」



 この時から私は、生き方が変わった。

 そしてまなぶ君はそれから、私の人生を変えてくれた。

 まずイジメの原因であった後藤と澤口を退学に追い込み、平穏な学園生活を取り戻してくれた。

 そして、私を少しずつ我儘にしてくれた。

 今まで押しつぶされそうなほど自分を責めていたのが、今では馬鹿らしく思えてくるほどに。

 我儘になった私は、それからまなぶ君に猛アタックした。

 お父さんに内緒でバイトもして、お金も自分で使うようになった。



 そして、現在に至る。


【3月18日 日曜日PM19:12】


 映画デートの帰り道、とある神社にて。


 私とまなぶ君は、賽銭箱の前でお祈りしていた。

 あぁなんて幸せな時間なんだろう。

 けれど。実はまなぶ君が私の事あんまり好きじゃないのは、分かってる。

 だから我儘な私は、こう願うのだ。

 

「神様聞いておられますでしょうか。私には大好きな人がいます。というか隣にいます。彼です。

 彼はとても素敵な方で、とてもその、大好きです。本当に大好きです。本当に本当に大好きです。何回言うんだって感じですね。はい、すみません。

 彼は私が一人で真っ暗な世界の中にいた時、そっと手を差し伸べてくれました。彼は私の事、多分あまり好きではないと思います。それでもどうか、この隣にいるまなぶ君と、その、できれば80歳になっても一緒にいられたらなぁって思います。こんなお願いの仕方、ずるいですよね、ごめんなさい。でも、彼とずっと居たいんです。彼が何をしていても、何を思っていても、どんな時でもそばにいたいんです。どうかお願いします。神様」

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