89話 その言葉が、ずっとずっと欲しかったのです
「『模倣』!? それが、レモーネ・ウィンダリアの『祝福』だと言うんですか!?」
マリーベルが愕然とした声を出す。
騎士人形との交戦の最中、夫から告げられたその言葉は、中々に衝撃的なものであった。
人形を操るでも、姿形を変ずるだけでもない。
技術や記憶まで写し取り、模すことが出来ると言うのだ!
「どうも、それを応用して『人形』を操っているらしい。でなきゃ、アストリアでしか使用の出来ない筈のアレを動かす事なんぞ不可能な筈だからな」
「ええ!? 何それ、ズルくないです!?」
百歩譲って、『人形遣い』の家系だから騎士人形を動かせるのは良い。納得が出来る。
けど、それぞ自在に操ってかつ、他の人形まで起動させて襲い掛かって来るとか、なんだそれ。
というかそもそも、あの炎の槍までぶん回せる以上、それは『祝福』と『洗礼』の両方を使えるという事ではないか!
その疑問に答えるかの如く。
騎士人形は赤々と燃え上がる槍を構え、こちらを睥睨するように兜を巡らせる。
「うえ、また立ち上がった! あんだけ蹴っ飛ばしてもぜんっぜん効いてませんね! なんなんです、アレ!」
「落ち着け。恐らく、野郎はまだ本調子には程遠い! 伝承によれば、騎士人形の力はもっと絶大かつ恐ろしいものだったらしい」
「アレで本調子じゃないんです!? どんだけですか、全盛期!」
アーノルドが、拳銃で牽制をしつつ、瓶詰をマリーベルに放り投げる。
「飲んどけ。うちで開発した試作品のレモネード原液だ。砂糖やシロップを通常のより多めに煮詰めてある!」
「おぉ、甘ったるそう! 大好物です!」
指先で蓋を弾き飛ばし、琥珀色の液体を口へと流し込む。
どろりとした甘味が喉を通り、体に新たな活力が満ちはじめる。
「これ、良いですね! 帰ったら数本纏めて飲みたいです!」
「程々にな!」
突っ込んで来た騎士人形を躱し、炎の槍から身を遠ざける。
やりにくい。どうにも一歩が踏み込めない。
あの熱気が頬を炙るたびに、体の芯からゾッとするような怖気が走る。
あの騎士人形を何とか足止めしなくてはいけないのに、このままではこちらが先に限界を迎えてしまう!
「……怖いか、マリーベル?」
数度の攻防の末、距離を取ったマリーベルの耳に、夫のその言葉が届いた。
「火を恐れるな、とは言えねえ。お前は一度、心も身体も傷つけられたもんな」
「旦那様……?」
「だが、これだけは覚えておけ。お前は炎に負けたんじゃねえ。勝ったんだ」
ふと見た夫の笑顔。それは何処までも優しく、そして何処か誇らしげなものであった。
「弟を救った。自分も生き残った。完全勝利じゃねえか。やってやったと胸を張れ。誰が何と言おうと構うものか。人の命を救った証じゃねえか。そうだ、その傷は――」
アーノルドが、マリーベルの胸元に目を移す。
「――お前の勲章だ。俺は、お前を誇りに思うぜマリーベル」
声が、出ない。
マリーベルの頭に、ガツンとその言葉は響いた。
なんで、この人は、いつも。
自分の、欲しかった言葉を、くれるんだろう。
目の前が、熱くなる。視界がぼやけそうになり、慌てて目を袖で拭った。
風を裂いて迫る、銀色の巨体。
こちらに向けて突っ込んで来る、赤い炎。
それが何故か、ひどくゆっくりと見えた。
「――ッ!」
息を、大きく吸い込む。
見える、見える、見える!
その挙動が、振り上げた槍の軌跡が、鎧の細部までハッキリと!
――ならば、もう。何を畏れる事など、あるものか!
「―――――――ッ!」
言葉でなく、心で咆哮する。
体が軽い。疲労で軋んだ四肢が、まるで苦にならない。
重く絡みついた鎖から解き放たれたかのように、マリーベルは地を蹴った。
一撃、足を払う。
二撃、腹を蹴り上げる。
そして、三撃目――
ドレスの裾が花開くように舞う。
腹を蹴ったその足が胸部装甲を滑り上がり、瞬時に孤を描いた。
三日月を思わせる、背面蹴り。
それは騎士人形の顎先を強烈に捉え、巨体を宙へと浮かせた。
(これで、とどめの四連撃――)
前方へ宙返りし、両足を地面に着けると同時に再び地を蹴った。
心の赴くまま、最大の力を込めて。風に背を押されるように、マリーベルは思い切り拳を振り上げた!
(――マリーベル・すっごいパンチ!)
センスもへったくれも無い技名と共に、突き出された右こぶしが、騎士人形の腹部を打ち抜いた。
その勢いたるや凄まじく、筆舌に尽くしがたい。
一撃を放った当のマリーベルですら想像だにしない程であった。
放物線すら描かない。巨体が一直線に霧の向こうへと吹き飛ばされた。
「お、おぉ……? 予想外に威力が出ましたね……?」
かつてない程の一撃。流石にこれは自分でも驚いた。
なんだこれ、すっごい。技名に違わぬ破壊力であった。
自分の『祝福』は。もしかして未だ目覚めぬ、新たな可能性を秘めているのだろうか。
半ば呆然としていると、その背が叩かれた。
振り向くと、いつの間にか、夫とフローラがすぐ傍にまで来ている。
何処か恐る恐るとその顔を見上げると、アーノルドは心配げにマリーベルの手に己のそれを重ねた。
その触れ方があまりにも優しくて、暖かくて。少女の胸に熱い何かが込み上げてきた。
「おい、大丈夫か!? 手は、何ともないな!」
「あ、は……はいっ! 何ともありません!」
「よし、やったなマリーベル! じゃあ、あっちだ! デカブツは随分と遠くに吹っ飛ばされたようだし、レティシアの方に手助けを――」
アーノルドの言葉に、マリーベルは慌ててそちらへ目を向けた。
金属音が響き、火花と共に無数の斬撃が宙に舞う。
少女の姉貴分は、恐るべき人形と生身で接戦を繰り広げていた。
一体何者なのかと、改めて感服してしまう。
マリーベルを案じて放った、さっきの叫びといい、本当に格好良い女性だ。
――自分の周りには、こんなにも強くて優しい人たちが居る。
それが、とても嬉しくて嬉しくて、心の底から叫び出しそうだった。
「――チッ!」
形勢不利を悟ったのだろう。『レモーネ』が顔を歪め――息を吸い込んだ。
「――レティシアさんっ! 離れてッ!」
背筋が、怖気立つ。
マリーベルは、本能の警鐘に押されるようにして、叫んだ。
「――!?」
レティシアの判断と行動は素早かった。
鋼の糸を手放し、飛び退る。
が、それよりもなお速く。『レモーネ』が糸を引き裂くと、レティシアの半身に蹴りを放った。
「レティシア!」
「レティシアさんっ!」
慌てて駆け寄ろうとするマリーベル達の前に、しかしレティシアはふわりと着地を遂げる。
「身体能力が跳ね上がったわ……! 恐らくこれは、マリィの――」
本体でなく、人形を通しても『祝福』を使えるのか!
まずい。生身のマリーベルのそれよりも、元々の性能で勝る『人形』の体。
それが少女の『祝福』を使えば、どれ程の増幅率をはじき出すか。
レティシアの前に立ち、彼女を庇うようにマリーベルは構えを取る。
が、しかし。『レモーネ』の視線は別の方向を向いていた。
何処か遠くを見つめるような瞳。その表情が、不意に歪んだ。
苦渋に、である。
「――あっ!?」
『レモーネ』の姿が、掻き消える。
飛んだのだ、宙へ。
先ほどとは比べ物にならない速度でその身が霞み、撥ね飛ぶようにして、見る間に遠ざかっていった。
「逃げた……? 好都合と言えばそうだが、これは――」
「あぁ、いけませんねえ」
「フェイル坊ちゃん!?」
場に似つかわしくない。のんびりとした声が響く。
進み出たのは、一人の少年。まだ、十代前半であろう。
色素の薄い髪をなびかせた、その顔立ち。何処となく気品があるようにも見えた。
誰だ。マリーベルの知らない顔だ。
「坊ちゃんは止めてくださいってば。いや、さっきの……ええと、レモネードさんでしたっけ? 違いましたっけ。それはさっき、奥方が飲んだものでしたっけ。というかあれ、美味しそうでしたよね。余りってあります? 後でひとくち下さいね」
「何です、この子」
「シュトラウス老の縁者だ。『選定者』でもある――って、んな事はどうでもいい! おい、何かマズい事が起きたのか!」
アーノルドの叫びに、フェイルと呼ばれたその少年は、肩を竦めて頷いた。
「ええ、恐らくはとびきりに。あの『人形』の残り味が更に濃く、あっちから漂ってきます。例の――」
「氷室からか!」
「――ッ!」
アーノルドの言葉に、劇的に反応したのは誰であろう――フローラであった。
「フローラ様!?」
侯爵令嬢は血相を変え、フェイルが示した視線の向こうへと駆け出してゆく。
「アルファード、様……っ! マリー、おね、がい……!」
足を止めぬまま、こちらを振り向いたフローラの瞳が、決死の光を帯びた。
「旦那様!」
「くっそ、仕方ねえ! 追え! マリーベル!」
「はいっ!」
夫の許可の言葉が出たと同時に駆け出し、フローラを抱き上げる。
「行きますよ、フローラ様!」
「う、ん……!」
大地を蹴り、木々の上を飛び跳ね、フローラが指し示す方へと足を向ける。
霧が徐々に晴れてゆく。同時に、ほんの微かに。空が白く霞んでいくように見えた。
夜明けが、すぐそこまでやってきているのだ。
終幕が近い。この王宮での六日間の戦いに、決着が着こうとしている。
「マリー! あそ、こ……!」
フローラが指を指す。
それは土草が盛り上がり、なだらかに隆起した場所。
入り口と思わしきそこには、鉄の扉が鎮座している。
氷室の仕組みは、マリーベルも聞いた事があった。
通常、掘られたトンネルに複数のドアが付けられ、そこから煉瓦で覆われた竪穴に繋がっている事が多い。
しかし、普段は閉ざされているであろうその扉は今、人が一人通れる分ほどの隙間が空いている。
開いたのだ。恐らくは、先行した『レモーネ』が。
一瞬、罠を疑う。だが、判断に迷っている暇はない。
すぐ近くの木に着地し、反動を蹴り殺そうとした、その時だった。
「――きゃあっ!?」
フローラの悲鳴が響く。
何者かが、背後からマリーベルに飛びついたのだ。
(……っ!? クレア!?)
それは、紛れもなくクレア・レーベンガルドであった。
だが、先ほどまでのそれとは、姿がやや違う。
服を纏っているし、何故か右腕が存在しない。
それどころか――
(足が、千切れている!?)
右足が千切れ、頭もまた半壊していた。
なまじ顔立ちが整っているだけに、それは怪物めいた姿。
恐怖小説に出てくる死霊の如きそれに、マリーベルも危うく悲鳴をあげそうになる。
フローラを落とすまいと、腕に力を込めようとするが、妙な勢いで組み付かれたため、上手くいかない。
「――あっ!!」
フローラが短く叫んだ。
視界いっぱいに、巨体が飛び込んで来る。
――騎士人形だ。
先の一撃が相当に効いたのだろう。胸部装甲を凹ませ、体をよろめかせながらも、それは槍を振り上げた。
動きが鈍い。先ほどとはまるで違う。
マリーベルは体を何とか捻り、身動きが取れぬ空中で、騎士人形を蹴って方向を転換しようとする――が。
「……マリー!」
ずるり、と嫌な音を立てて。
フローラの手がマリーベルの体から離れてしまう。
(フローラ様ッ!)
慌てて手を伸ばそうとするが、背後から掴んで来る『クレア』と騎士人形がそれを阻む。
まだ、地上まで距離がある。
見る間に令嬢の姿が遠ざかり、そのまま膨れ上がった土草の上へ――
「鳴らして! フローラ様! お願い、ランドール殿下ッ!」
息を吐き出し、その言葉を叫ぶ。
フローラ・デュクセンの華奢な体が、無残に叩きつけられるかと思った、その刹那。
――ちりん、と。その音が微かに響いた。
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