87話 蘇る、伝説の騎士です!?
――エルドナークに『祝福』あらば、アストリアに『洗礼』あり。
かつて、大陸全体が戦火に包まれ、大小の国々が覇を競わんと群雄割拠した乱世の時代。
抜きん出た力を持つ二つの国家があった。
後の世に英雄王と謳われた、偉大なる国王を戴くエルドナーク。
そして、当時既に先進的とされる技術により、他国を圧していたアストリア。
この二つの国は、共に不可思議な共通点が在った。
それは、戦場にて発揮される、超常の力。
公然の秘密として、まことしやかに囁かれる――神から授かった権能である。
時空を駆け、空間を操り、人の心さえ操作し進軍する、エルドナークの『祝福』。
対するアストリアのそれは、打って変わった専守防衛のもの。
それは戦場に現れる二十六体の人形と、その使い手たち。
一体一体が一軍に匹敵するとされ、その力は炎と渦巻き、竜巻をうねらせ、稲妻を呼び大地を穿った。
人形が踊る所、殺戮の舞台が幕開け、血と歯車が唸りて命を蹂躙する。
今となっては、お伽噺の中にのみ語られる、伝説の存在。
輝く『花』をその胸に輝かせ、凛と立つ騎士。
其の名は騎士人形。
神から『洗礼』を受けし、二十六の死神たち――
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
(騎士、人形……!)
己の迂闊さに、マリーベルは歯噛みする。
ディックから、聞いてはいたのだ。騎士人形に纏わる『人形遣い』が王都に潜入した、と。
マリーベルはそれを、『祝福』によるものだと思い込んでしまった。
少し考えを巡らせれば、その可能性にも行き着いた筈なのに!
(アストリアの、伝説に、謳われる、最強の騎士――)
マリーベルとて知っているほどの、お伽噺の死神たち。
それが、今。目の前で。炎を吹きあがらせながら、少女達を圧するように立ち塞がっている!
ぐるぐると、頭の中を様々な考えが巡る。
どういうことだ。クレアは、一体、何者なのだ。どうして、心が読めた筈なのに。
今、彼女から立ち昇っているのは、紛れもない『祝福』の気配!
(いけ、ない……意識が霞んで、余計な思考を――)
震える手で、胸元に指を指し込もうとする。
今は、あれを。切り札を、使う、しか……
(だめ、手が、うまく、うごかな――)
「まだ動けるの? まだ諦めないの? ふふ、無駄な足掻きが好きな子ね。そこに、何を隠しているのかしら」
しまった。動きが、あからさま過ぎた。
後悔も遅い、かつてない恐怖に涙が滲んで来る。
瞬間。脳裏に、幾つもの幻影が浮かんでは消える。
それは生母であり、養母であり、弟であり、今まで出会った人たちであり――
(だんな、さま……)
そうして最後に浮かんだのは、山賊顔のあの人。
皮肉屋でどこか子供っぽくて、悪人ぶっているけど、本当はとても優しくて切ない人。
(や、だ……)
「安心なさい。殺しはしないわ。貴女たちも保存をしてあげる。私の目的の為の『人形』として――」
槍が、振り上がる。
何故だろうか、その動作全てが遅い。ひどくゆっくりと動いて見えた。
なのに、自分の手足はそれ以下の速度しか出ない。指一本動かす事すら困難だ。
(もう、あえ、ない……?)
絶望と共に、指先が跳ねる。
操作を仕損じたその手は、見当違いのものを引っ掛け、『それ』を遠くに、遠くに放り上げる。
空に舞った『それ』は紐が解け、中身がぶちまけられ、踊りながら炎の中へと消えてゆく。
「あ……」
それは、誰の声か。意識が朦朧とするマリーベルには判断が出来なかった。
らせん状に結ばれた花、悪食警部から託された『お守り』が、火の海に沈み――
「――アァァァァァッ!?」
上がる絶叫。響く打擲音。
――次の瞬間、マリーベルが見たものは。
酷く焦った顔で、花を追いかけて炎の中に身を躍らせる人形と、クレアの姿であった。
何が起こったかはわからない。知らない、判断できない。
――けれど、これが最後の機会だと。マリーベルは本能的に悟っていた。
(――ッ!)
胸元から取り出した、それ。
拳大の大きさの袋を取り出す。
『――いいか。これは切り札だ。お前の『祝福』用の対策だ。いざという時は躊躇わずに使え』
ゲルンボルク商会特製の、空気入りゴムチューブ。お胸も膨らませて見える、淑女御用達のものであった。
震える手で、それを口元に持っていき、力を振り絞って歯で噛み切る。
ぷしゅう、という音と共に漏れ出したもの。生臭く、嫌な匂いがするが、この際に贅沢は言ってられない。
マリーベルは、己が心から待ち望んだ『空気』を勢いよく吸い込んだ。
(――ッ!)
力が満ちる。血が脈打ち、胸の内から神々しいまでの熱さが迸った。
視界の全てが明瞭となり、頭にかかった靄が何処かに吹き飛んでゆく!
喘ぐフローラを抱きかかえ、マリーベルは拳を振り上げた。
(あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!)
言葉には出さず、心で咆哮する。
猛獣の如き力と速度。それは、音さえも置き去りにして壁に向かい――着弾する!
砕いた、という衝撃すら無い。ビスケットよりも脆く、壁は無残に粉となり吹き散ってゆく。
撃ち抜かれたそこへ向け、マリーベルは全力で地を蹴った。
隼よりもなお速く、まさに風の如く外へと飛び出した、次の瞬間。
聞いた事も無いような爆音とともに、背後で炎が燃え上がった。
密閉された空間へ新鮮な空気が流れ込んだ事で、騎士人形のそれに反応し、爆発を起こしたのか。
離宮の壁は無残に吹き飛び、赤々とした炎の舌が周囲を舐めつくしてゆく。
周囲に草むらは無い。木々の位置も遠い。
四方を取り囲む白木は何故か、炎に炙られても延焼する事無く、凛として形を保ったままだ。
未だに霧は色濃く、辺りを乳白色の霞みに包み込んでいる。
飛び火する事は無いだろうと思うが、一応の距離を取り、マリーベルはフローラを抱き起した。
「フローラ様! 大丈夫ですか、フローラ様っ!」
「う、え……っ! げほっ! けほ……っ!」
マリーベルほどに思い切り息を吸っていなかったせいだろうか。
フローラはゆるゆると頭を振りながら、嗚咽した。
「はぁ、はぁ……っ クレア、は……?」
「分かりません。炎で上手く気配が掴めなくて。でも、あの爆炎の中であれば――」
生物であれば、助かるまい。
だが――。
(クレアは、呼吸すらままならない炎の中で平然としていた。本当にアレは、クレア・レーベンガルドなの?)
マリーベルの中の、何かが警鐘を発する。
左手に握りしめていた小袋を離し、代わりに腰に結び付けたポシェットから、もう一つの『切札』を取り出す。
小瓶に入った、雪の結晶の如き砂糖菓子。
寝ぼけ花をイメージして作られた、これもゲルンボルク商会で取り扱う商品である。
ザラザラと口元に十数個単位で放り込み、ガッシュガッシュと噛み砕く。
甘味と共に、体内の熱量が増すのを感じる。
微かに感じていた頭痛も、何処かへ飛んで行ってしまった。
あっという間に半分以上を食べつくすと、小瓶を再び仕舞い込む。
良し。これで腹具合的にも、ある程度全力を出して戦える。
「フローラ様。先ほど、ここは違うと仰ってましたよね? では、アルファード殿下はどちらに?」
「声が聞こえたの。殿下の御声が。それと、映像。何処かの部屋ね。暗くて、冷たい……」
地下であるのは、間違いないらしい。
だが、それは何処だ。ひょっとして王宮なのだろうか。
戻るべきかと思うが、足が地面に貼り付いたように動かない。
分かっているのだ。体が。恐らく、血に染みついた記憶のようなものが、感じ取っているのだ。
『選定者』の宿敵たる――『騎士人形』の気配を!
「まさか、そんな切札を隠し持っていたとはね。いえ、考えてみれば当然か。あの男が、妻の弱点をそのままにして置くはずが無い。ふふ、全く私も甘いこと」
自嘲するような声と共に、燃え盛る紅蓮の業火の中から、人影が姿を現す。
「まさか、あの、炎の中で……!?」
フローラが、息を呑む。
だが、マリーベルは、彼女とはまた違う『それ』に気付き、驚きに目を見張った。
「あなた、それ、は……」
炎に舐められ、現れた裸体。
その右手は爆発で吹き飛んだのか、内部が露出している。
無数の糸と、歯車。それが焼け焦げてカラカラと回っていた。
「に、人形!? まさか、そんな……!」
クレア・レーベンガルドと思っていたその女は、赤い唇を歪め。にんまりと嗤った。
「ああ、気付いた? この身体は、貴女が二日目に戦ったものと同じよ。あの時は確か、王太子殿下の姿だったかしらねえ」
「な、に……!?」
展開に頭が付いてこない。人形、王太子に化けていた?
分からない、わからない。コイツは『選定者』ではないのか?
何故、アストリアの騎士人形を動かせる?
「『人形遣い』の血族……!」
フローラが、ハッとして叫ぶ。
「マリー! 恐らく、彼女は――ウィンダリア子爵家の――」
「――あっ! そうか!」
夫から得た情報を思い出す。
そうだ、マリーベル自身が気付いていたではないか。
ウィンダリア子爵家最後の当主。その妻は、アストリアの亡命貴族。
その血筋は『人形遣い』――騎士人形の使い手たる、アストリア二十六家門のひとつ。
「エスベレーダ伯爵家の……そうか。確か、罪人の塔が崩壊した後、生き残った令嬢は親類筋を頼ってアストリアへ向かった、って」
「あら」
『彼女』が目を瞬いた。
意外な物を見たかのように、その声には軽い驚きの響きがあった。
「良く知っているわね。そうか、あの坊やね。恋愛脳のボンクラ探偵。まったく、いつもいつも私の邪魔ばかりをして。本当にうっとおしい。これだから、転生者というのは――」
「てんせい、しゃ?」
あぁ、と。『彼女』が頷く。
「私の敵よ。この世に在ってはならぬ者達。今は一応、ルスバーグの坊やとは同盟関係にあるけれど、いずれは消えてもらうわ」
無事な方の腕を伸ばし、『彼女』はマリーベルを指差した。
「あなた達も、そうなのかしら? 知ってるわよ、あの坊やが執心の理由。それが真実、本当ならば――」
『彼女』の硝子の瞳に、炎が宿る。
それは、赤い紅い――憎しみの、色。
「お前達が、のうのうと暮らす事を許さない。一度死した存在がもう一度蘇り、今の時代に生きる者の魂を乗っ取りすり替わるなど、おぞましいにも程がある!」
膨れ上がる、怒気。
肌にも感じるほどの殺意が、マリーベルの全身に突き刺さる。
分からない。一体、この女は何を言っているのか。
「わけのわからないことを、ぴーちくぱーちくと! 鬱陶しいのはこっちの台詞です! 王太子殿下は何処です!? 吐きやがれ!」
夫の口調が乗り移ったかのように吐き捨てて、マリーベルは拳を握りしめた。
「その体が人形ということは、本体は別に居るのでしょう? クレアの姿をして誤魔化していたんですね! 王太子殿下もそこですか?」
「さぁ? 吐かせてみれば?」
『彼女』が足を踏み出す。同時に、その背からのっそりと、巨大な影が進み出た。
『十二番目』と呼ばれた騎士人形。あの爆炎でもまるで損傷を負っていない。その鎧にも微かな焼け焦げ痕が付いているくらいで、動作には全く支障が無いようだ。
「そこまでこちらの事情を知っているのであれば、私の正体と名前にも思い当たるのでしょう、マリーベル・ゲルンボルク」
「ええ、分かりますとも。貴女は、ウィンダリア家最後の令嬢」
さり気なくフローラを背に庇いながら、マリーベルはじりじりと間合いを取る。
「レモーネ、レモーネ・ウィンダリア!」
「――ご名答」
にい、と嗤った、その瞬間。
『レモーネ』の姿が霞んで、消えた。
「――ッ!」
同時に、騎士人形が真正面から突っ込んで来る。
フローラを後方に放り投げ、マリーベルは体を捻った。
真横を掠めるように、炎の槍が突き抜けてゆく。
心臓が恐怖で跳ねた。数本の髪が一瞬で炭化し、炎の粉となって舞い散った。
(――右ッ!)
吹きつけて来た風当たりで見当を付ける。
振り向きもせずに、右手をそちらに突き出す。
硬い物が、拳に当たる感覚。
「良く、読めたわね!」
マリーベルの拳に迎撃された『レモーネ』が、笑いながら地に落ち――たと思った瞬間、そのままの姿勢で跳ね上がった。
人間を超えた動き。風を切り裂いてせまる足を避けようとした所に、逆方向から槍が振り抜かれた。
「――ッ!」
横腹に直撃を喰らった。
瞬時に地を蹴る事で衝撃を和らげ、火が燃え移った所を破り捨てながら着地する。
「ほら、いいの!? 貴女のお姫様が死んじゃうわよ!」
「――ぃっ!」
二体の人形が、地を滑りながら、フローラに迫る。
息を吐き、再び大きく吸う。
先ほどを上回る剛力と瞬発力が、マリーベルの体に満ちる。足を踏み込み、地面を蹴り飛ばして、宙へと身を舞わせた。
(レモーネの方が、格段に弱い! こちらを、まず仕留め――)
背を向けた『レモーネ』に、全力の飛び蹴りを打ちこもうとして――その足が、薙ぎ払われる。
いつの間にか、騎士人形が方向転換をしていた。
そのまま、業炎の槍が恐るべき速度で突き出される!
強化されたマリーベルの目をして、十数に分かたれて見える、穂先の連打。
その一発一発が、焔を纏い、少女の背筋を総毛立たせた。
(怯えるなっ! あんなの、なんでもないっ!)
とっくに、克服したと思ったのに。料理だって、蝋燭の交換だって平気だったのに!
そう、レンジを使うのとはわけが違う。
こちらの身を確実に焼き焦がし、傷を残すであろう一撃。
それが、マリーベルの心に残った痕に恐怖を思い起こさせる。
(なんでもないっ! なんでもないのにっ!)
涙が出て来そうな自分が情けない。
騎士人形の一撃を必死でいなし、肩口を蹴って、『レモーネ』の前に飛び降りた。
「あら、どうしたの。顔色が悪いわよ? その可愛らしい乳房に付いた火傷の痕が気になるのかしら」
「――!?」
何故、それを。
マリーベルの表情が、ハッキリと変わる。
その瞬間を、待っていたかのように。
いつの間にか傍らまで近づいてきていた騎士人形が、矢を引き絞るように槍を腰だめに構えた。
(まずい、当たる! よけれ、な――)
せめて、致命傷を避けねば。
慌てて両手を交差し、穂先を受け止めんと力を込めた――その時だった。
響いたのは、肉を焼き裂く音では無く、空気を切り裂いて飛ぶ、弾丸の音。
「なにっ!?」
『レモーネ』が、驚きに振り返る。
騎士の槍は、マリーベルでは無く、宙に突き抜かれ、弾丸を瞬時に溶解させた。
「――ったく、どうなってやがる。んだそのデカブツは。毎回毎回、珍妙極まる反則芸ばかりしやがって」
「え……?」
嘘かと思った。幻聴かと思った。敵の変化か何かかと、疑った。
だって、霧の中から進み出た、その人は。
マリーベルが夢に見るほどに焦がれてやまなかった、その彼は。
「おまけに、うちの嫁を二人がかりでいびりやがって。貴族って奴はまったく、陰険で嫌になるぜ」
髭をもじゃりと生やした、厳つい山賊顔。
海原を思わせる鋭く、碧い瞳。
それは、ああ、それは――
「だんな、さま……?」
掠れた、その声が聞こえたか。
彼は、ニヤリと口元を緩めた。
マリーベルの大好きな、その笑顔。偽物なんかじゃない。直感が告げている。
「よぉ、マリーベル! 遅れて悪かったな」
「旦那様ぁぁぁ!!」
喉の奥から吹き上がる、歓喜の声。
震えて砕けそうになった心に、新たな力が沸きあがる。
「何とか間に合ったか。どうにも面倒な場面でのご登場みたいだが、まぁいいやな。微力ながら、やってきたぜ」
彼の声に応えるように、霧の中から、更に複数人。男女が姿を現す。
「――妻の手助けって奴をしに、な」
手に握った拳銃を油断なく構え、アーノルド・ゲルンボルクは笑った。




