86話 探検、不思議な離宮!
薄明りの中、室内の光景が仄かに浮かび上がる。
外の壁と同様に、継ぎ目ひとつ見当たらない滑らかな石材。それらは上下左右に敷き詰められており、不可思議な輝きを放っていた。周囲に小物や家具の類は何もなく、奇妙な文様めいたものが、周囲の壁に刻まれているのみだ。
微かに感じる息苦しさ。空気が薄いのか。そういえば、窓どころか通風孔すら見当たらない。
すえたような匂いも何もなく、羽虫の一匹すら見当たらなかった。
なんともいえない、非現実的な情景。それをマリーベルはひしひしと感じている。
――あまり、長居はしない方が良さそうだ。
「クレア様? その、地下室というのはどちらに?」
「ええと……確か――」
マリーベルの問いを受けて、クレアがキョロキョロと辺りを見回す。
「そう、こっち……だったと、おもうけど」
どうも、いまいち確信が持てていないようだ。
レーベンガルド侯爵令嬢は「ううん……」だの、「あれえ……」だの、度々と呻いたような声を上げ、壁やら床やらを触っている。
「とにかく、慎重に……いき、ましょう……」
マリーベルのすぐ真後ろに居るフローラが、そう言って頷く。
今のところ、目に映る範囲には何かの罠は仕掛けられてはいないようだが、油断はならない。
それにしても、意外と中は広い。外から見た印象とは、随分と異なるように思えた。
ゆっくりと、とはいえ。そこそこの距離を歩いているのに、まだ行き止まりに差し掛からない。
恐らくこれは、何らかの『祝福』が働いているのだろう。
そこらかしこから感じる、奇妙な気配。これは恐らく、権能が今もなお働いている証。
この離れが建てられたのは、少なく見積もっても百年以上は前だ。とっくに使い手は亡くなっているだろうに、まだその効果が残っているのか。相変わらず『祝福』とは良く分からない力である。その加護を受けているマリーベル自身も、不明な点が多すぎる。
「あ、あれ! あれよ、マリーベル!」
マリーベルが神の恩恵について思いを巡らせていると、クレアが快哉の声を上げた。
「これ、ですか……?」
それは、左右と正面、そこに備え付けられた三つの扉であった。
どれも、造りはほぼ同じ。簡素な装飾が施されているだけで、特に区別がつけられそうなものではない。
「ど、どれです?」
「えっと……あ、これだって! これ! この扉!」
クレアがそこへと駆け寄り、表面をぺしぺし叩く。
慌ててマリーベルは彼女をそこから引っぺがし、扉から距離を取った。
触った瞬間に仕掛けが起動する扉とか、冒険小説の定番である。
マリーベルは息を吸い込み、微かな音や気配を読み落とすまいと、意識を集中させた。
――無い。何も無い。拍子抜けするほどに、なんにも聞こえてこない。
(……取っ手が二つ。そこに錠前と鎖、か)
二つの取っ手を潜るように鎖が巻き付けられており、ご丁寧にその上には重厚そうな錠前まで在る。
これ、鍵が無いとどうにもならない奴では? 立ち塞がる難問を前に、マリーべルは眉を顰めた。
「どうしましょうか、フローラ様」
「ベルを鳴らして……もう一度、ランドール殿下の『祝福』におすがりするか――」
――あるいは、マリーベルが力任せに引きちぎるか、だ。
随分と頑丈そうな鎖と錠だが、相応の代償さえ払えば、破壊出来ない事は無い。
物理的な障壁で少女を阻む事は出来ないのである。
だが、開いた瞬間に罠が発動とか、そういう展開は勘弁願いたい。
爆薬の類が仕掛けられていたら、マリーベルはともかく他の二人はひとたまりもないだろう。
耳を近づけ、表面を触り、少しでも手がかりを得ようとするが、やはり何も分からない。感じられない。
(薬物の匂いも、無い……か)
手に持った、ハンドベルを見下ろす。
恐らくまだ、第二王子殿下の『祝福』は完調では無いはず。
不発や暴発があるのは怖い。何しろそれは、物理的に抗えそうなものではないからだ。
(何でか、首相閣下の髪の毛がさっきから反応しないし! おかしいなあ、効果が消えちゃったのかな。それとも――)
彼の身に、何かが起こったか、だ。
予想外の事態が多すぎる。
となれば、有用な方法は――確かな切り札は手元に置いておきたい。
「……マリーベル、殿下の御力は温存しましょう。ここから出る時や、もしもの時に必要になるかも、しれない……」
同じことを考えたのだろう。
フローラもまた、その結論に達したらしい。
「分かりました、フローラ様!」
ハンドベルをフローラに手渡すと、マリーベルは口を開いた。
この場所は、いつもと違って呼吸がしにくい。『祝福』を使うには、少々コツが要りそうだった。
深く、大きく、ゆっくりと。噛みしめるように、息を吸い込む。
肺に空気が流れ込み、血が肉が沸き立つような感覚と共に、全身に神がかった力が宿る。
(――とりゃっ!)
鎖をわしづかみ、一気呵成に引きちぎる!
甲高い音が響き、二つに割れた鉄の鎖が、だらんと蛇の頭のように垂れ下がった。
「すごい! すごいわ! マリーベルは力もちなのね!」
この光景を目の当たりにして、抱く感想がそれか。どこかずれているというか、豪胆というか。
マリーベルは苦笑しそうになる頬を張った。
気を抜けば、息が零れてしまいそうだ。
恐らくそれは、クレアから怖がられなかったことに対する安堵が混じっている。
手振りで二人を下がらせ、マリーベルは取っ手を掴み、そっと押し開けた。
さしたる抵抗もなく、扉は重苦しい音を響かせながら、少女達を招き入れる。
(……これ、は?)
声を発さなかったのは僥倖と言えた。
それ程までに、目の前に広がる光景は衝撃的なものであったのだ。
今までの簡素な部屋が一変し、そこには様々な物品が所狭しと並べられていた。
剣や鎧、あるいは装飾品に宝石。それはどれも、マリーベルが一見して分かるほどに、お高そうな物。
相当な値打ち物であることに間違いは無い。一つくらい、ご褒美に頂戴できないだろうか。
そんな邪な考えが一瞬、脳裏を掠めてしまうほどだ。
茫然と周囲の光景を眺めていると、マリーベルの目が『それ』を捉えた。
部屋の奥。ぽっかりと空いた空間に人影のようなものが見える。
咄嗟に構えを取ろうとして――マリーベルはそれの正体に気付く。
(……にん、ぎょう?)
そう、それは人を模して造られたモノ。
マリーベルの背丈の倍はあろうかという、大きな人形であった。
恐らくは、騎士をモチーフにして作ったのだろう。体の線に沿うようにして、金属板を幾重にも貼り付けてある。
頭部は鋭角で、眉庇に鉢と頬当てが装着されており、如何にもな重々しい威容を放っていた。
今となっては絵画の中でしか見たことがないような、騎士甲冑。人形はそれを全身に身に纏っている。
相当に古いものだろう。鎧はあちらこちらに傷のような痕が残っており、歴戦の強者めいた雰囲気を漂わせていた。
(何だろう、鎧に文字が刻まれている‥…?)
人形に向けた視線、そこに意識を集中する。
途端、グンッと視界が狭まり、甲冑が拡大化されて目の前に広がった。
少し古い文法が、見た覚えがある。これはアストリアの言語だ。
(……主の、導きよ、あ、れ……洗礼、くだる、は――)
掠れて読みにくい。これもまた、随分と昔に彫られたもののようだ。
全文の解読を諦めかけたその時、マリーベルの目が胸部装甲に刻まれた印に定まった。
(……dou、ze? ドゥーズ、ドゥズ、かな。確かこれ、アストリア語ではえっと、数字の十二番目を意味する――)
とはいえ、それが一体何に繋がるのか。マリーベルが首を捻りかけた、その時だった。
「……ッ!」
背後で、息を呑むような気配が伝わって来る。
見れば、フローラが蹲り、その頭を抑えて呻いていた。
「フローラ様?」
思わず、声が出てしまった。『祝福』が途絶え、全能感が遠ざかる。
体の重みが増した事に辟易しつつも、マリーベルはフローラの元へと駆け寄った。
「アルファード、さ、、ま……? え、なぜ、これは、どういう――」
あり得ないものを目の当たりにしたかのように、フローラが唇を震わせた。
垂れさがった長い髪の合間から覗く顔は、蒼白そのもの。
一体、何がどうしたのか。その身を抱き起すようにして、背に手を当て――そうして、フッと気付く。
いつの間にか、クレアの姿が、ない。
慌てて周囲を見渡す。ほんの一瞬、僅かな間だけ目を離した。
その、微かな油断の、間隙に滑り込むようにして。
クレア・レーベンガルドは『人形』の目の前に立っていた。
「クレア様!? 危ないです、お下がり下さ――」
「――じゃ、ない」
「え?」
フローラが顔を上げ、目を剥くようにして呻いた。
その瞳は、激しい困惑を指し示すかのように血走り、眦には淡い涙さえ浮かんでいる。
「ちがう、マリー……ここじゃない!」
血を吐くような、フローラの叫び。
言葉の意味を問い返そうとしたマリーベルは、そうして『それ』を聞いた。
「――あぁ、ようやく見付けたぁ……」
ゾッとするような、声。
歓喜・畏れ・憎悪・哀愁。
あらゆる感情がごちゃ混ぜになったように、その声音は震えと共に、マリーベルの耳朶を叩く。
瞬間、少女は地を蹴っていた。
一足飛びに床を駆け抜け、手を伸ばす。
――まずい、まずい、まずい!
マリーベルの全身が、本能が。最大の警戒を発していた。
今、彼女を止めなければ、恐ろしいことが――
「残念、少し遅かったわねぇ?」
「がふっ!?」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
「マリー!!」
咄嗟に目の前に翳した腕に、重々しい衝撃が走ったかと思った、次の瞬間。
「ぐ……あ……っ!?」
マリーベルの体は、まるでボールが弾むように、いともたやすく跳ね飛ばされ、壁に叩きつけられた。
信じられない。今、自分は息を吸い込んでいた。『祝福』を使っていた。剛力を発動させていた!
なのに、何故。どうして!
かつてない体験に、マリーベルの心臓が嫌な音を立てて脈打ち始める。
「あぁ、二十五年ぶりね。お前をまたこうして繰る事が出来るなんて。夢みたいよ、ドゥズ」
ずしり。重い響きを伴い、人形が足を踏み出した。
その手には、大きな、大きな槍がひとつ。見るからに重厚そうなそれを、人形は容易く振り上げ、咆哮した。
「なっ!?」
槍の穂先が赤々と燃え上がり、見る間に灼熱化する。
「見せておあげ、聞かせておあげ。お前の放つ、新たなる産声を」
マリーベルの背筋を、冷たいものが走り抜ける。
咄嗟に壁を蹴ってフローラの元へと飛び付き、その体を抱き寄せるようにして庇う。
「――炎に瞬く、我が『洗礼』を」
穂先が振り下ろされる。
爆音と共に火の粉が舞い上がり、瞬く間に炎の波が部屋を埋め尽くしていく。
未知の危機を前に、『祝福』を持って対抗せんと、マリーベルが息を吸い込もうとして――
「が――!?」
こひゅ、と。マリーベルが肺を抑えるようにして呻く。
息が、上手く出来ない。呼吸が、ままならない。
『祝福』が、使えない!!
「この時を待っていたのよ。あぁ、焦った。焦っちゃったわ。この未来図に辿り着けるかは、本当に賭けだったの」
視界が暗くなる。
手が、足が震えて、体が思うように動かない。
それは、呼吸困難によるもの――だけでは、なかった。
何より、あぁ! 目の前に炎が広がっている!
胸の傷痕が焼けつくように痛む。
根源的な恐怖が、少女の心を軋ませ、怯えさせていた。
「本当に、貴女と来たら。とんでもない速度で、こちらの手を封じようとしていくのだもの。流石に今回ばかりは冷や汗を掻いたわねぇ」
ぺろり、と。紅い舌で唇を舐め、『彼女』は嗤う。
「確信したわ。思った通り、貴女の『祝福』の発動条件は呼吸ね? 肺に空気を吸い込まねば、その超常的な身体能力は振るえない……」
頭が、ガンガンと痛む。
耳鳴りと吐き気が止まらない。
「おま、え、は――」
「主の導きよあれ、洗礼降るは我に在り」
謳うように、囀るように。
「其れは、鋼の人形。其れは、命の守り手。其れは、偉大なりし二十六の騎士」
まるで別人が乗り移ったかのように、『クレア・レーベンガルド』は嗤う。
「――其の名は『騎士人形』」
胸元から不可思議な光の花を輝かせ、人形が咆哮する。
その傍らで、紅い、赤い炎に巻かれながら――『彼女』は、艶やかに口元を歪ませた。
次回は5/8(月)に投稿いたします!




