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83話 それぞれの夢のために、です

 

「……ふむ。お前の夫の意見は良く分かった。頷ける話ではある」


 マリーベルの話を聞き終えたランドールは、眼下に広がる箱庭を見下ろしながら、呟いた。

 

 第二王子の自室、その広間には五つの人影がある。

 マリーベルとフローラ、ミュウの三令嬢。それに第二王子・ランドール。

 そして、四人が集まる箱庭の傍ら。大きな長椅子に寄り掛かり、船を漕ぐ銀髪の娘。

 常にない事態の連続に、疲れてしまったのだろう。クレア・レーベンガルドは目を瞑り、幸せそうな寝息を立てている。

 

 そちらを横目で見つつ、ランドールは箱庭の一点を指差した。

 

「迷わせること、焦らせること。それこの状況そのものが相手の策に嵌っている、か。確かに、その通りではあるな」


 ランドールの指先が向けられたのは、箱庭の西方部。

 王宮に広がる庭園、その奥まった場所にある木々に囲まれた地域だ。

 

「クレア・デュクセンが小屋と述べた、その小さな宮。それは代々の王位継承者のみが立ち入りを許される場所である」


 その内部に関しても、女王陛下から詳細を聞いてきたと王子は告げる。

 

「ろくな手入れもしていない筈なのに、内部は不思議と清浄が保たれているそうだ。空気も澱まず、埃も浮かず、羽虫の一匹すら存在しない。陛下は、そこに入るたびに不可思議な畏敬の念を持ったと、そうおっしゃっておられた」


 何とも不思議な、神秘的な話である。

 流石は王宮。伝説的な話が今なお生き続けているというのか。

 

「そも、この地に宮殿が築かれる遥か昔より、その小さな宮はそこに在ったそうだ。かっては、何らかの儀式に使われていたようだが、詳細は陛下さえ知らぬそうだ。数百年前の大陸戦争時、戦利品として徴収したものが、収められているらしいとは言うが――」


 つまるところ、良く分からないが事実らしい。

 

 王太子殿下がその身をお隠しになられてより、少なくない日数が過ぎている。


 もしも敵が内部にどうやってか入り込み、何らかの仕掛けを施していたら。下手をすれば踏み込んだ瞬間、小宮ごと火薬か何かで吹き飛ばされてもおかしくない。

 

 

 王太子殿下の身に万が一があってはならないし、向こうの『選定者』たちの事もある。マリーベル達が二の足を踏むのは当然とも言えた。

 

「じいの配下を使わせてもらった。先に述べた通り、見張りは付けてある。何か異変があれば、すぐさまにこちらに知らせる手筈だ」

 となれば後は、踏み込む機会タイミングだ。


「私の『祝福』が誤作動なく使えるようになるまで、半日近い時が必要であろう。体感ではあるが、最低でも八時間か、九時間。そうだな、今からだと――」


 窓の外、日が沈み始めた情景を眺めながら、ランドールは呟く。

 

「真夜中過ぎ――いえ、夜明け間近、ですか」

「そうだ。使用人の中でも早い者はもう起き始め、動き出す頃合いだな」


 フローラの言葉に、壁時計の針を眺めながら、ランドールは頷く。

 

「レーベンガルドへの抑えも不足無い。こちらの思惑に乗ってくれたようだ。粛々とした様子で、陛下の仰せのままにと、使いに返事をしたらしい」

「では、郊外にある離宮で会談を?」

「そうだ。手筈は整えてある。後付けではあるが、陛下からの了承も得た。何も問題はない」


 ランドールの言葉に、マリーベルとフローラは揃ってホッと息を吐いた。行き当たりばったりでもあったが、どうやら上手く引き離せたようだ。向こうの思惑はどうであれ、レーベンガルド卿を今夜だけでも王宮から遠ざけられれば、しめたもの。不安材料は減らすに限る。


「奴の派閥の大部分も、今夜開かれる州制舞踏会カウンティへ参加する。主宰は第二大蔵卿、レーベンガルドのクラブのメンバーだ」

「裏も裏で、バッチバチにやり合ってるんですねぇ……」


 今夜は、そう。アーノルドが参加する筈のルスバーグ公爵家の招待会がある。もちろん、社交期の王都にとって、幾つもの夜会が重なることなど、さして珍しいものではない。

 掛け持ちでの参加など、上流階級の者ならば常のことだ。

 

 けれど、今夜のそれは、御三家とその腹心の派閥。二つの家門が開催するものだ。どちらに先へ顔を出すか、長くとどまるか。それによって、貴族達の立ち位置も自ずと定まる。

 

 表立っての対立こそ見せないが、近年のレーベンガルド侯爵家が他の御三家と不仲であるのは、社交界でも有名な話だ。

 

「アーノルド・ゲルンボルクの懸念を採用だ。クレア・レーベンガルドを、離宮に向かわせるぞ。女王陛下の免状も携えて、だ。余計な動きを取らぬよう、じい達を介添人として監視役に送り込む。逐一、報告もさせよう」


 ランドールの言葉に、マリーベルも同意する。

 クレアを完全に手放してしまう形になるが、仕方ない。

 

 レーベンガルド侯爵を出来うる限り繋ぎ止める。

 あの男は、『選定者』の可能性が極めて高い。

 当然、彼と相対するグレーベル閣下にも危険が伴うだろう。

 けれども老首相は、自らその役を買って出てくれた。


 皆が皆、己の為すべきことを執り行わんと、身命を賭してこの一夜に望んでいるのだ。

 

 決して、しくじるわけには行かない。

 

 忍び寄る不安と興奮を胸の奥に封じ込め、マリーベルは軽く息を吐き出した。


(それにしても、ランドール殿下。不気味なくらいにあっさりと、旦那様の意見を汲んでくれたなぁ)


 クレア・レーベンガルドを手元に置くか、遠ざけるか。

 それはマリーベル達の間でも意見が分かれるところであった。


 だが、最終的には夫がマリーベルを通して出した具申を、何故か第二王子は軽く頷き受け入れたのだ。

 会った事も無い男の言葉を、どうして信じられるのか。

 傲岸不遜な王子様とは思えない対応に、マリーベルの方が困惑してしまった。

 

「この娘を手の中に収める利益と、危険。その迷いこそが、向こうの思惑とするならば、悩む事はあるまい」


 マリーベルの戸惑いを見て取ったのか。ランドールはそう断言すると、怠そうな仕草でソファへと体を沈み込ませた。


 すかさずミュウがその背に寄り添い、甲斐甲斐しくお世話をし始める。いつのまにやら用意した紅茶と軽食の類を手に持ち、彼女はその口元へと食料を運んでゆく。

 

 マナーもへったくれも無い仕草でそれを頬張る王子。

 その横顔をうっとりとした目で見つめながら、ミュウはせっせと給仕を続ける。想い人のすべてが、愛しくて愛しくて仕方がない。それが表情にありありと映し出されていた。


 恋は盲目とは、こういう事なのだろうか。ああはなるまい。

 恋人たちの食事光景に引くものを感じつつ、マリーベルもまたお腹を抑えた。


 それを敏感に察したか、フローラが手ずから紅茶を淹れ、こちらに差し出してくれる。

 

「まだ、時間はある‥…わ。焦らず、今はお腹を満たして、マリー」


 ミュウが手配してくれた食事を手で差し、フローラがそう告げる。


「静謐の儀は、夜半から数えて翌晩の十二時まで続く。ほぼ丸一日の拘束だ。その間、対象となった小宮から、出る事は許されん」


 女王陛下の勅令が出てから、『クレア・レーベンガルド』は常に人の目に晒される結果となった。

 今や、宮殿中の人間がその動向を見守っている。おいそれとは動けない。足止めは成功したと言って良いだろう。

 

 今のところ、事は順調だ。不確定な要素もありはするが、それとて際立ったものではない。

 

 後は、『名探偵』を自称するラウル・ルスバーグや、シュトラウス老が、夫に何を告げるか。

 それだけがやや気がかりではあった。

 

 ともあれ、今は他に、マリーベル自身が出来る事は少ない。

 体力を保持し、空腹を見たし、時を待って王太子殿下を救い出すだけ。

 

 それだけ、なのだが――

 

「おとうさま、おかあさま……」


 不意に聞こえた寝言に、マリーベルは視線を動かした。

 幸せそうな顔で眠るお姫様。

 これから、そう。彼女は両親との会談に赴くのである。

 

 名目上は『王太子妃の選定について』。

 ご丁寧に女王陛下からの召喚状と、クレア直筆の信書も添えてある。時間の指定は明朝早く。


 それまで、クレアは首相の元で保護され、明け方を待って待ち合わせの離宮へとその身を移らせる。


 ――彼女の行く末もまた、まもなく定まるだろう。

 

「おうじ、さま――」 

 

 せめて、今は。今だけは。


(ごめんなさいとは、言わないわ。私も、私にだって夢はある。あの人の力になって、その願いを叶えたい)


 マリーベルはクレアの髪を、そっと撫でた。

 

 程なくして日が沈み、夜の帳が落ちる頃合いだ。

 夜明けの輝きを、自分は胸を張って纏う事が出来るのか。

 

 ――いいや、出来る。絶対に。

 何としても王太子殿下を救い出し、そして夫の元に帰るのだ。

 

 カチコチと時を刻む時計の音を聞きながら、マリーベルはクレアの髪を撫で続ける。

 

 数時間後、栄光を得るのはどちらになるか。

 運命のその時は、もう間近に迫っていた――

 

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