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82話 頑張りますよ、旦那様!


『――シュトラウス卿からのお招き、ですか?』


 夫からの、突然の呼び掛け。

 驚きながらも応じたマリーベルは、そこで彼から思わぬ知らせを聞かされた。

 

『ああ、そうだ。しかも、メレナリス閣下を介しての伝えっつう、念の入りようだぜ。あの爺様、何を話そうと言うんだか』


 夫の言葉に、マリーベルもまた首を捻った。

 王太子殿下奪還に向けての大仕事、その大詰めを迎えようとしていたこの時に、まさかの人物からの知らせである。

 

『気になりますね……。しかも待ち合わせの場所は、ベルベーヌ城なのでしょう? 栄光も今は昔、放置されて久しいあの場所に、わざわざ旦那様を呼びつける、だなんて』


 これで呼び出し相手がシュトラウス卿でなければ、罠を疑ったに違いない。

 それはアーノルドも同じであるのか、全くだ、という答えが返ってくる。

 

『どうにもあちこち、きな臭ぇ。前に話した通り、予定を早めるぞ。ラウル・ルスバーグには今夜取引を仕掛ける』


『……大丈夫なのですか?』


『あぁ、心配すんな。気は抜かねえよ。それに、義母上殿と義弟閣下も一緒だ。顔と名前を売るのも同時にやる。良い機会だと思わなくちゃな』


『欲張り過ぎはいけませんよ、旦那様。と言っても聞きやしないんでしょうけど』


『良く分かってんじゃねえか。つうか、欲深のお前に言われるようじゃ、おしまいだな』


 弾むような明るい声。伝え聞こえる思念の向こう、そこに在るであろう、愉快気な夫の顔を幻視する。

 何となく、マリーベルも楽しげな気持ちになり、夫の会話に心を寄り添えた。

 

『もう、そんな事を言って。ちゃんとご飯は食べていらっしゃいますか? 夜更かしをしては駄目ですよ。お風邪を召したら大変です。ティム君やアンに面倒を掛けてはいけませんよ』


『お前は俺のお母さんか』


 何処か懐かしいやり取りに、マリーベルは知らず、口元を綻ばせてしまう。

 

『……心配すんな。俺は大丈夫だ。それより、お前の方が――あぁ、いや』


『旦那様?』


『本当に、お前はよく頑張ってくれてるよ。スゲエな、流石は俺の奥様だ。心から誇らしいぜ』


『あ……』


 目頭が、じわりと熱くなる。

 会話をするのが思念で良かったと心から思う。でなければ、声が震えて言葉に詰まってしまったろう。

 

『はい、はい……! 私はとーっても頑張ってますよぉ! 縦横無尽の大活躍! 旦那様にもお見せしたいくらいですよぅ!』


『あぁ、そうだな。フローラ様の隣に立つお前の姿、この目で見てみたかったな。何だっけか、そういうのを東洋では晴れ姿、って言うらしいぜ』


『へぇ、何だか不思議な響きのある言葉ですね』


『晴れ……ハレっつうのは人生の節目とか、特別な舞台とか、そういうのを指すらしいが……』


 アーノルドから伝わる、どこか躊躇うような思念。マリーベルは少し身構える。

 こういう時の夫は、何か恥ずかしい事を言うのだ。言ってしまうのだ。

 ほら言え、され言え。こちらの心の準備は万全だ。拳を握りしめ、マリーベルは思わず身を乗り出した。



『……フローラ様の隣に立つお前の姿、きっと綺麗だろうな、って。そう思う』



 心臓が止まるかと思った。

 予想していてこれだ。旦那様は昔、拳闘をやっていたらしいが、恐らくはとんでもないハード・パンチャーだったろう。

 相手の胸とか打ち抜くのが得意だったに違いない。願わくば、その一撃が妙齢の女性に向いていない事を祈るのみだ。


『く……っ! やりますね、旦那様! ちょっと今のは気が遠くなりかけました!』


 危ない危ない。何とか踏みとどまれた。

 火照った頬を、汗が伝う。それを拭い、マリーベルは息を吐き出した。

 

『何故に誇らしげに言うのか分からねえが……まぁいいか。お前が元気で居てくれるなら、それでいい』


 いつになく優しい、こちらを気遣うような夫の声。

 

『頑張り過ぎるな、とか。無理すんな、とか。俺が言っても仕方ねえだろうしな。アレだ、説得力が無いらしい。ディックにも笑われちまったぜ。鼻でな』

 

『そりゃそうです。誰だって笑います。もうお腹を抱えるくらいの大爆笑ですもの』


『ったく、どいつもこいつも俺を何だと思ってんだ。そらみろ、悪食のハゲワシ野郎もほくそ笑んでやがる』


『いや見えませんし』


 というか、悪食警部と一緒に居るのか。どういう経緯だそれ。

 本当に、何だかんだで彼らは仲が良いとそう思う。

 気が合うというのか、なんというか。なんとなくだが、どこか気風が似通っているのだ。

 

(そういえば、貰った小袋。お守り代わりになるって言われたけど、なんなのかなコレ)


 服の上から、それに触れる。

 一度中を開けてみたが、カサカサに枯れた草が数本、小さな石と共に螺旋を描くようにして結び付けられているだけ。

 鼻を近づければ、ほんの微かに甘い匂いが漂うだけで、特別な代物とは思えない。

 

 まぁ、貰える物は貰っておく主義である。ディック曰くの『ゲン担ぎ』だ。

 運勢を上げるものだと思えば、それはそれで心強い。

 

『落ち着いて、自分のやれると思ったことだけをすりゃあいい。しくじったらしくじったで、仕方ねえさ。お前に出来ないことは、他の誰にも出来やしねえ』


『旦那様……』


『帰ってきたら、パーティーをやろうぜ。うんと豪華な奴だ。メレナリス閣下やニーナ嬢なんかも招いて、盛大にやろう』



 ――あぁ、不思議だな、と。マリーベルはそう思う。



『……数日前に、やったばかりなのに?』


『あぁ、そうだ。めでたい事は、なんべんやっても構わねえだろ。成り上がり者の財力って奴を見せつけてやろうぜ』



 ――心が、とても落ち着く。

 


『もう、下品だって笑われちゃいますよぅ。お貴族様とのお付き合いもあるんです! 旦那様も、いい加減にその辺も考えなくちゃ、いけませんよ!』



 ――不安に浮きだった気持ちが、何処かへ飛んでゆく。



『そうだな、そうかもな。やっぱ俺はお前が居ないと駄目みてぇだ』


『まぁ、旦那様ったら。らしくもなく、お上手な事を言いますね。何処で誰に教わったんです、それ』



 ――そうして、代わりに。新たな決意が沸きあがる。

 


『疑い深いやつだな。歯が浮きそうになるのを堪えて言ってるつうのに』


『そこで余計な言葉を添えるから、皆に突っ込まれるんですよぅ。本当に、仕方の無い人ですね』



 ――この人の元に、大切な旦那様の元に。必ず、帰ると。


 

 誓いを心に秘め、マリーベルは静かに闘志を燃え上がらせる。

 帰るべき場所が、待ってくれている人がそこに在ること。

 それはなんて、幸せなことだろう。

 

「……マリーベル。もうひとつだけ、王子に具申してくれるか?」

 

 そんな妻の心情が波及したのだろうか。

 アーノルドの声が低く、微かに重みを増す。

 

「クレア・レーベンガルドについてだ。叶う事なら、彼女を――」 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

「ふぅ……」


 夫との交信を終え、マリーベルは一息を吐く。

 流石は旦那様。こちらがどう動くか悩んでいた所を見透かすかのような、絶妙の呼びかけだ。

 

(色々と相談も出来たし、行動指針も定まりそう。後は、フローラ様とその辺を擦り合わせて――)


 疲労にへたりかけた心と体が、随分と軽くなった気がする。

 体中に力が漲って来たかのようだ。今ならどんな相手を敵に回しても、戦い抜けると確信する。

 

「フローラ様、そろそろランドール殿下がお戻りでしょう。いましがたのお話、お耳にしていらっしゃいましたよね? ここが勝負の決め所です。確実に王太子殿下をお救い致しましょう!」


 ふんぬ、と両の拳を握りしめ、マリーベルは鼻息荒くフローラに宣言する。


 首相閣下の『祝福』の便利な所はここだ。

 彼を中継ぎとして介することで、会話相手を取捨選択することが可能なのである。

 勿論、髪を手に持った所有者間のみ、ではあるが。上手くすれば複数名へ一度に意志を伝達できる。

 しかも、使い捨てではなく、一定期間何度でも、という優れもの。 

 

 使用の度に老首相の髪が抜けやすくなるという、非情な代償さえ除けば、非常に強力な『祝福』であった。


「ええ、そう、ね……」


 何故だろうか。次期王太子妃さまの頬が、微かに紅い。

 その表情もどこか優しげだ。まるで微笑ましいものを見るかのような目付き。


「フローラ様?」

「いえ、なんでもない、わ……。少し、ね。殿下の――アルファード様の事を思い出した、だけ……」


 笑みを浮かべたまま、フローラはそっと目を閉じた。

 

 第一王子との思い出を反芻しているのだろうか。

 色々と独特かつ特殊なご趣味をお持ちであらせられたらしい、王太子殿下。けれどもフローラの様子を見るに、互いに想い合う恋人同士であったことは確かなはず。

 

「お優しい方、哀しい方。泣き方を忘れてしまった御方……」


 マリーベルの思念を聞き取ったのだろうか。

 フローラがぽつりと、そう呟いた。

 

「国を背負う象徴たらんと努力し、結果を残し、続けた……。品行方正な王太子殿下。執着を向けるのは、王太子妃候補の私、ただひとり。そうやって、そうすることで、私を守ろうとなされた……」


 その目端に煌めくものを見て、マリーベルは胸をつまらせてしまう。

 

「救います、あの方を。私の、何に代えても――」


 はっきりと、力強く。フローラは、そう断言する。


「――最後まで私に力を貸して、マリーベル……」


 真正面からこちらを見据え、放たれたその言葉。

 無論、こちらが返すは『是』の頷きのみだ。

 

「お任せあれ、フローラ様。乙女の恋路を邪魔するバカ者共に、目に物見せてやりましょう!」


 不敵な笑みと共に、マリーベルは淑女の礼を取ってみせる。

 

「……ありがとう、マリー」


 そうして二人の令嬢は、可憐な笑みをその顔に浮かべ、為すべき事を誓い合う。


「……クレア・レーベンガルドの事も、任せて、ちょうだい。私なりに努力すると約束する、わ……」


 救うとは言わない。助けられるとは確約しない。

 それでも、そう言ってくれただけで十分だ。

 

 そも、これは単なるマリーベルの自己満足に過ぎないのだから。

 

「……ランドール殿下が、御戻りの、よう、ね……」

 

 フローラが視線を動かし、そう告げると同時。扉の向こうから、ノックの音が響く。

 厚手のヴェールを羽織り、フローラがマリーベルに手を差し伸べた。

 細い指先に己のそれを嵩ね、マリーベルは頷き返す

 

 

『どうにも妙な予感がする。物事が上手く運んでいるのはいいんだが、それが頭に引っ掛かってしかたねえ』


 ――夫の勘。

 経験と知識から結ばれたであろうそれは、信ずるに足るほどの結果をもたらして来た。

 

 恐らく、今回の『忠告』もそうだ。この作戦の行く末を、導き得るものではないか。 

 

 

『クレア・レーベンガルドを決して手元に置くな。お前の傍から離しておけ』 

 

 

 脳裏に響いたその言葉。

 マリーベルは微かに肩を震わせながら、そっと目を伏せた。

首相「……体も頭もむず痒くて仕方ないわい」

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