80話 王太子様奪還大作戦!
「……彼女の言葉に、嘘偽りはありません、ね……」
ふぅ、と。疲れたような吐息と共に、フローラが断言する。
「やはり、そうですか。いや、そうだろうなぁって思ってはいましたけどね!」
対するマリーベルもまた、陰鬱そうにため息を吐き出した。
せめて、自分の見た手違いであってくれれば。こちらの目を欺くほどの猫かぶりの使い手であったならば。
どれだけ、心が安らいだことだろう。
マリーベルはゆるゆると顔を上げ、前を向く。
視線の先にあるのは、一枚の扉。それを隔てた向こう側には、頭を悩ます問題の人物が居る。
今、マリーベル達が居るこの場所は、第二王子の自室の一角だ。
模型製作用の材料置場だか何だかいう、倉庫のような所。多少狭苦しくはあるが、椅子や机もある。密かに身を忍ばせるには丁度良かった。
『交代式』に出席後、フローラはランドール王子の『祝福』により、別ルートからこの部屋に入った。
そうして壁を一枚隔てたこの場所で、マリーベルとクレア・レーベンガルドの会話、漏れ聞こえる思念の波を『祝福』で察知したのである。
「純粋、純真……己のする、ことが……正しいと、思いこんでいる……。厄介といえば、そう、ですが――」
それは、こちらにとっても好都合。
フローラは、何処か冷めた目でそう告げる。
彼女の瞳の奥にちらつく、氷のような輝き。
寒々しい視線を垣間見てしまい、マリーベルは背筋を震わせた。
「フローラ様、あのですね……」
「マリー……マリーベル。貴女が迷う事は、ありま、せん……」
意識が、思念が漏れたのだろうか。
マリーベルの心の緩みを察したように、フローラが矢継ぎ早に言葉を重ねる。
「……貴女は、私の代行者。全ては、私が、命じること……気に病むことなど、何も、ない……」
その言葉の裏にあるものを感じ取り、マリーベルは躊躇いつつも頷いた。
フローラ・デュクセン侯爵令嬢は為政者だ。
人の上に立つべき出自を持ち、教育を施された。
そして、彼女自身もまた、愛する人の隣に立つに相応しくなるべし、と。
努力を重ねてきたに違いない。
単なる、恋に恋する令嬢では無い。
必要であるならば、それが如何なる方法であれ、迷いなく実行するだろう。
国の為、王太子の為。
それは、マリーベルが持ちえない、王太子妃の資質。
フローラの強さであった。
「貴女は、優しすぎる……」
ポツリと呟かれた言葉。
「ミスター・ゲルンボルクの懸念も、わかる、というもの……これはたしかに、心配でしょう、ね……」
呆れたようなその口調とは裏腹に、フローラの顔は何処か誇らしげにも見えた。
「だから、今。貴女が私の傍に居てくれること、に……感謝と、お詫びを、します」
「フローラ様……」
「報いは、必ず。貴女と貴女の夫に、致しましょう……」
だから、今は。
自分に力を貸してほしい。
決意に満ちた表情。背を伸ばし、凛と立つその姿。
可憐な容姿とは裏腹に、それは神々しささえ感じさせた。
「さ、て……叶う事ならば、すぐにでもその地下室に乗り込みたいところでは、あり、ますが……」
言わんとする事は分かる。フローラと共に、マリーベルは後ろを振り返った。
そこには、椅子にもたれかかるようにして体を弛緩させた、第二王子の姿が在った。
手足はだらりと床へと伸ばし、その頬はげっそりと痩せこけている。
――『祝福』の代償だ。彼の使用する『迷宮』の『祝福』は強力がゆえに反動が大きいらしい。
使用するたびに、体重が減少してゆく。熱量の消費があるのはマリーベルと同様だが、腹ペコになればそこで使用が中断される自分と違い、彼の場合はそれに際限が無い。放って置けば骨と皮だけになり、死に至る事まであり得るのだとか。
いつも顔色が青白く、病人のように痩せた印象があるのは、そういうことだったのか。
何となく、マリーベルは納得してしまう。
ミュウとの逢い引きはどうしていたのだろう。もしかしたら、月に何度とか、制限を設けていたのかもしれない。
そんなどうでも良い事が頭に浮かぶ。
なお、第二王子が最愛と欲する彼女はといえば、扉の向こうでクレアの相手をしている真っ最中だ。
フローラが言うには、上手く取り成してくれているらしい。子供をあやすように、なだめすかしているのだとか。
彼女に会った時から思っていたが、ミュウ・イーラアイム嬢は面倒見が良い。
ふとした時に、普段の鋼鉄の侍女っぷりとは相反するような、母性を覗かせる。
それがたまらないのだとは、そこでグタっとしているランドール王子の言である。
「王太子殿下の御身柄の確保は、最優先事項ではあるかと。向こうも、クレア・レーベンガルドの不在を察したはず。彼女がこちらの手に落ちたと、そう考えておかしくありません。とすればもう、動き出している可能性も――」
「え、え……その通り、だわ」
その為に活用されるべきは、第二王子の『祝福』。
けれど、今のこの状態では、それを使う事は難しいだろう。
「……私は、構わんぞ」
幽鬼の如くのっそりと、顔だけをこちらに向けてランドールが言い放つ。
掠れたその声から察するに、相当の負担が彼に伸し掛かっているであろう。
「殿下、ご無理をなされてはいけません。どうぞ、御身を第一にお考えくださいませ」
フローラが慌ててそれを制する。第一王子が不在の今、王位継承権を持つのは彼のみ。
その身に万が一の事があってはならない。
そんな侯爵令嬢の心配をよそに、ランドール王子は大仰そうに肩を竦めた。
「心配するな。これは兄上や国の行く末だけではない。私と、ミュウの未来の為でもある。それに……」
ランドールは、そこでちらりと、マリーベルを見た。
「……まぁ、身内が世話になっていることもある。力は惜しまん。面倒な事、このうえないが」
いかにもかったるそうに立ち上がると、ランドールは扉の方へと足を進める。
「とはいえ、回復には多少の時が必要だ。我が『祝福』は、これで中々に制御が厄介でな。心身の乱れが、直接に作用してしまう。ゆえにしばし、時間を稼がねば、な」
「……クレア嬢を利用いたしましょう。彼女もやる気のようですし、上手く扱えば足止めくらいは可能かと」
淡々とした口調で告げるフローラに、王子は顔をしかめた。
「似合わぬ事を言うものだ。兄上も全く、罪深い。今、そこで見ているやもしれぬが――まぁ、精々に悔いることだ。仕方の無きこととはいえ、自業自得ではある」
何故か宙に目線を彷徨わせ、ランドールはそう断じる。
言葉の意味が分からず戸惑うマリーベルに、彼は首を振って答えた。
「気にするでない。それよりも、ここからが肝要だ。じいが上手くやってくれたかどうかも、確かめねば、な」
マリーベルはそこで、手の平を見る。そこには、グレーベル首相閣下の命の結晶が。
彼の残り少ない豊穣の印が載せられていた。つまるところの、髪束である。
色んな意味で触り難いそれはしかし、自分達にとっては大切な連絡方法だ。
同じように髪の束を手にしたフローラが、瞑目する。
その唇に、微かに。笑みのようなものが浮かび上がった。
「……ミスター・ゲルンボルクが、首相官邸に到着したよう、ですね……間もなく、会談が始まる、かと……」
「良い知らせだ。こちらが得た情報も送っておけ。アーノルド・ゲルンボルクにも髪を渡すように言ってある。じいの頭の輝きが、更に照ることになろうが……必要な犠牲だ。いたしかたあるまい」
おいたわしや、首相閣下。
マリーベルも涙を禁じ得ない。
「後は、私だな。こちらでも打てる手は打つ。少し、場を離れるぞ。私はしばし、赴く所がある」
「そのお体で、ですか!? もう少し、休まれてからの方が……!」
「要らぬ。心配は無用だと言ったぞ、小娘」
よろめき崩れ落ちそうな体を見て、マリーベルは慌てて支えようとするが、無下に振り払われてしまう。
「気は進まぬが、今ならばちょうど、お目覚めの頃であろう。国の危難だ。あの方にも力を振るって頂かねば、な」
「あの方……? え、それってまさか――」
この国における最高位の血脈を持ち、傲岸不遜の化身の如き王子が、へりくだったような物言いをする相手。
となればそれは、ただ一人しか存在しえない。
「そうだ。この国の象徴。我が祖母にして、いと尊きあの御方」
ふらふらと震える足を、それでもしかと床へと踏み締めて。
ランドール・エルドナーク第二王子はその名を告げる。
「――女王陛下に、お出ましいただく」
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