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幕間・3


 前後左右全てが希薄。乳白色に包まれた空間の中、時折奇妙な情景が浮かんでは消えてゆく。

 その不可思議な世界を、アルファード・エルドナークは漂っていた。

 

 ここは過去と未来、そして現在が交わる時空の狭間。

 星の記憶に刻まれた、雄大無限の歴史の海だ。

 

 アルファードは慎重に、ゆっくりと波を掻き分けるようにして前へと進む。

 少しでも気を抜けば、意識は時の彼方へと流され、戻って来ることが叶わない。

 王太子はそれを、本能的に悟っていた。

 

 アルファードの有する『祝福』、それは意識を時の流れに同化させ、『遡る』事が出来る、というもの。

 これを応用することで、空間を隔てた場所に記憶を残したり、知りたい過去を覗き見たりすることが可能となる。

 

 とはいえ、自由自在に使えるものではない。彼の力も万能ではなく、代償もまた少なくない。

 見るべき者、選ばれる時間には制限と条件がある。この場にアルファードが滞在し続ける事は不可能だ。

 

 アルファードは意識を集中し、周囲の情景に目を凝らした。そこに幾つか、明滅するような輝きが生まれる。

 それを、彼は楔と呼んでいる。時の流れに打ちこまれた、目印となるべき地点。

 自身が縁を結んだ相手が放つ、灯火であった。

 

(――何とか視えたぞ、間に合ったか)


 摩耗していく思考。欠落していく記憶。

 自身の心がバラバラになりそうな喪失感に慄きながらも、アルファードはそこへ顔を近づけた。

 

(アーノルド・ゲルンボルクに、伝えるべきことは伝えた。後は、少しでも彼らに。フローラに、有益な情報を――)


 最愛の女性の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 後悔と慕情、それらに胸を掻き毟られるような想いを抱きつつ、王太子は霞む意識を保とうとする。

 

 ぼやけた視界の中、二人の令嬢が向かい合っている場面が映った。

 片方の女性には見覚えがある。それは、フローラに次ぐ王太子妃の候補に名を連ねた令嬢。

 

(あの姿は、クレア・レーベンガルド……! ようやく、ここまで遡れたか!)


 そこは、何時。何処であろうか。

 微かな蝋燭の明かりだけが照らす、暗い昏い部屋の中。

 ベッドに横たわる青年に向け、令嬢は邪な笑みを零す。

 

(あれは、我が肉体か。奴め、何を企んでいる?)


 微かな寝息を零す青年――アルファード・エルドナークの頬を、クレアが撫でる。


『ふふ、それにしてもあの御方の『祝福』は素晴らしいわ。私の薬に、このような効果も副次させるとは。これで肉体の保存に手間取ることもない……』


 独り言のようにそう呟くと、『クレア・レーベンガルド』は、己の赤い唇をぺろりと舐めた。

 

『良くお眠りね、王子様? 貴方の最愛の娘がすぐ傍に来ているというのに、呑気なこと。そのまま深く、深くお眠りなさい。全てが終わる、その時まで――』


 そう言って、令嬢は何かを手に掲げる。

 それは、拳大の結晶だ。中に、蒼く輝く花弁のような物が垣間見える。

 

 それを目にした瞬間、雷に打たれたが如き衝撃と共に、ひとつの確信が王太子の心を貫く。

 

(そうか、そういうことか! アレは、『花』だ! クレア・レーベンガルド――いや、『彼女』の、奴等の目的は、まさか!?)

 

 アーノルド・ゲルンボルクが予想したという、『遊戯』の概要を思い起こし、脳内で照らし合わせる。

 間違いない。だとすれば、レーベンガルド等が求めるものは――!


 こうしてはいられない。すぐさま、記憶を戻さねば。

 今なら二言、三言。告げる余裕は在る。

 消えそうになる意識を必死に保ち、アルファードが後方を振り返った、その時だった。

 

 

『――あぁ、ここまでだよ、アルファード・エルドナーク』


 

 アルファードはあり得ざる光景を前に、目を見開いた。

 己以外、誰も存在するはずの無い時の狭間。その中に、影が在る。

 

 乳白色の霧に包まれた『それ』は、ゆらりと揺らめきながら、こちらを見ている。

 ()()()()()()

 

「何者だ、貴様は!」


『己の記憶を代償に、愛する者を救わんとする。蛮勇とも言えるが、これも王家の血筋か。エルドナークの王族は、全く誰も彼もが愛情深い。その末たる君も、同じ道を選ぶか』


 何処かで、聞いた事のある声だ。

 甲高く反響するそれは、ねっとりと絡みつくように王太子の耳を打つ。

 

『君の『祝福』は、少し邪魔だな。すまないが、舞台から降りてもらおう。なあに、ほんの僅かな間だけさ。目覚めた時には、全てが片付いていることだろう』


 アルファードの判断と行動は素早かった。

 すぐさま身を翻し、時の『楔』の中に身を移そうとする。

 

 だが、それよりも一呼吸先に、『それ』が指を弾いた。

 

「ぐ、あ――ッ!?」


 霧が押し寄せる。腕を足を取り囲み、見る間に腰を、胸を、喉を覆っていく。


「き、貴様……! まさか、これは! この『祝福』は! 貴様がもしや、『霧の悪魔』――」


『眠りたまえ、アルファード王子。せめて、幸福な夢の中で――』


 意識が、記憶が混濁する。

 虚ろに消えてゆく心を前に、もがくアルファードの中に残った想い、その欠片が煌めく。



 ――アルファード様……

 


「――ローラ」



 ――わたし、しあわせです。貴方の、妻に、なれること……が、嬉しくて、嬉しく、て……

 


「フローラ――」



 ――まるで、ゆめ、みたい……

 

 

「フローラァァァァ!!」


  

 瞳から流れ落ちる、非実体の涙。

 慟哭と激情に呑まれながら、アルファードは最後の力を振り絞って、虚空に手を伸ばす。

 

 やがて、それは全てが霧の中にうずもれて、粒子となって光が舞った。

 

『――あぁ、哀しいなぁ。どうして皆、思うままに幸せになれないのだろう』


 憐憫の情と共に、『それ』は舞い散る煌めきを目で追った。

 愛とは、罪深きものだと、心からそう思う。

 

『さて、大詰めだな。私が今回、手を出せるのはここまでだ』


 思ったよりも多くの『祝福』を消耗してしまった。

 自分が予想したよりも、彼らの――ゲルンボルク夫妻の動きが早すぎる。

 それはまるで生き急ぐかのように、望まぬ運命を打破するかのように。

 時代を、ひたすらに駆け抜けてゆく。

 

『彼らも――彼もまた、愛ゆえに全てを捨てて、想いを遂げんと流転した、か』


 

 とにもかくにも、役者は揃った。

 乳白色の霧の中、複数の男女の姿がぼんやりと瞬く。

 

 アーノルド・ゲルンボルクと、その妻マリーベル。

 彼らを中心に、その敵と味方が星の煌めきの如く集い、輝き始めた。

 ここからが、本番だ。この先こそが、時代の分かれ目となる。

 

『さて、見極めさせてもらうよ。君たちの想いが、どう結実するか――』 

  

 『それ』が指を弾く。

 

 時の波が打ち寄せ、さざめくその中に、ひとつの情景が浮かび上がった。

 

 

 大量の箱庭に囲まれた、部屋の中。二人の令嬢が互いに向き合って、楽しそうにお喋りをしている。

 興奮したように、あれこれと話をせがむ、幼い雰囲気の娘。

 それに対し、もう一人の少女は、何処か困ったような顔で愛らしく微笑んだ。

 

 壁に掛けられた時計の針は、昼過ぎを指し示している。


 『それ』の目の前に映る光景は、アーノルド・ゲルンボルクが王太子と霊廟にて邂逅を果たす、その以前。

 彼がラウル・ルスバーグとの『取引』や、首相との会談を行うよりも更に前。

 

『――全ては、尊き調和の神の御心のままに』


 マリーベル・ゲルンボルクと、クレア・レーベンガルドの姿を前に、『それ』は満足げに頷いた。

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