78話 いにしえより遥かなり
初代国王が打ち立てた、数々の伝説、建国の神話。
そのひとつが、彼が直々に命じ、建造させたかつての王城。長きにわたり、国家の象徴で在り続けた古城・ベルべーヌだ。
主権を王宮へと移して久しい昨今。
訪れる者も少なく、かつての栄華は見る影もない。
その地下、霊廟とも言える、その場所で。
アーノルド・ゲルンボルクは予期せぬ人物と邂逅を果たしていた。
「王太子、殿下……?」
アーノルドは、呆然と声を漏らした。
痩身長躯、見る者をハッとさせるような端整な顔立ち。
髪の色こそ、不自然に薄れてはいるが、間違い無い。報道写真で見た通りの姿だ。
アルファード・エルドナーク。この国の第一王子であり、次期国王となるべき王太子。
行方知らずとなり、妻たちがその奪還を目指して死に物狂いになっているはずの相手が、何故。
どうして、ここに……?
「ご、ご無事でいらっしゃったのですか!? その御姿は一体……?」
目を凝らして見れば、王太子の姿形は輪郭がぼんやりとして頼りなく、今にも宙に揺れて消えてしまいそうに見えた。
何処となく、メイドのアンを思わせるその様相。
もしや、彼のその姿もまた、『祝福』の……?
『やはり、見込んだ通りだ。私の声が聞こえるようだな、アーノルド・ゲルンボルク。すまないが、こちらに来てくれるかい? 私の傍まで寄っておくれ』
王太子が発した言葉を受けて、アーノルドは周囲へ目線を走らせた。
厳かな、神聖ささえ感じさせる霊廟。空間そのものはそこそこに広い。人が横に、軽く十数人は並べるだろう。
(踏み込んだ途端に、矢が飛んでくる! とか、その手の罠は無さそうか)
後ろに居る仲間達に手を振る事で応え、アーノルドは前へと一歩。足を踏み出した。
「――ッ!?」
部屋に入ったその瞬間。
体全体に重くのしかかるような、見えない圧に押しやられ、アーノルドは思わず両手を床に付きそうになった。
足元からぞわりぞわりと、悪寒と共に、畏れにも似た不安と恐怖が這い上がってくる。
(な、んだ……!?)
歯を食いしばり、一歩。また一歩と前へ前へ足を出す。
少しでも気を抜けば、這いつくばって震えながら、何者かに許しを請いたくなる。
かつて経験した事の無い感覚。息を荒げ、全身から汗を吹き出しながらも、アーノルドは数十歩の、その距離を踏破した。
『思った通り、ここまで歩を進めてくれたか。ラウル・ルスバーグの見立ては間違っていなかったらしい』
どうしてそこで、あの『名探偵』の名が出てくるのだ。
不審に思いつつも、声が出ない。
酸素を求めて嗚咽する口元を抑え、それでもアーノルドは真っ直ぐに王太子の顔を見つめた。
『そなたの背後を見ると良い。マディスンの子等の姿、それが常ならば当然の有様だ』
言われたとおりに後ろを振り返ると、そこに在ったのは霊廟の入り口で固まる二人の姿。
マディスン夫妻は、顔に脂汗を滲ませ、足を震わせながらその場に呆然と立ち尽くしている。
恐らく、アーノルドの後を追おうとしたのだろう。しかし、それを果たす事が出来なかったのは明白だ。
彼らは荒い息を吐きながら、必死に体を前へと動かそうとしている。
(まさか、ディックだけでなく、あのレティシアが!?)
信じられない光景だった。
今まで、アーノルドを含めた三人は、何度となく荒事や難事件に巻き込まれては、力を合わせてそれを切り抜けてきた。
特にレティシアは、その経験と技術により、どんな窮地でも取り乱すようなことはなく、常に冷静さを保ってきたというのに。
「アー、ノル、ド……!」
男勝りの女傑は、蒼白い顔をして夫の隣で肩を震わせるのみだ。
『この霊廟を見よ、アーノルド・ゲルンボルク。居並ぶ棺に収まるは、偉大なるエルドナークの父祖たち。この国の礎となり、後に貴族と呼ばれる家門を起こした、二十四人の騎士。はじまりの『選定者』たちだ』
王太子の言葉に、アーノルドは再び周囲を睥睨する。
上下左右に六つずつ、中央の祭壇を取り囲むようにして配置された棺。そこには、紋章院でしかお目に掛かれないような、古びた紋章が刻まれている。
その中に、二つ。見覚えのある紋章を認め、アーノルドは息を呑んだ。
『今では血が分かたれ、あるいは絶え、源流となったものは片手で数えるほどしか残ってはいない。この場に立てるのは、資格ある者――王家の直系に由来するか、あるいは古き血脈を今なお保ち、その身に宿す者たちのみ』
見れば、王太子の前に控える老シュトラウスは、アーノルド等と違い、涼しい顔で佇んでいる。
(そうだ! シュトラウス伯爵家は、ハインツ男爵家と並ぶ名門――最も古き、貴族の家門!)
没落して尚、その名を栄光と共に囁かれる妻の生家。
それはかつて、マリーベルと共に男爵家を訪問した際、渡された目録を見た時も思ったことだ。
貴族としては最下位でありながらも、何処か配慮を感じる。妻も何となく、社交の場でもそれを感じていたようだ。
男爵家の名に集まる、一定の羨望。
その源にあるものを、今。アーノルドは肌身で思い知り始めていた。
(だが、だとしたらどういうことだ? 俺は、この場に踏み込み、両の足で立っているぞ。悪寒こそ収まらねぇが、耐え切れない程じゃない。俺の両親は平民だ。そこに、貴族の古い血など混じっているはずも――)
『そうだな、そなたの血肉がそれを物語っている。拒絶し、この場に踏み入ることに抗っているようだ。すなわち、そなたは只人である。王家の血も古き命脈も、特別なものは何もかも、その身に流れてはおるまい』
アーノルドの疑問を見透かしたかのように、王太子が淡々と、そう答える。
『常ならぬは、そなたの意志とその魂だ。恐らく、輪廻の中で王家のそれと関わりがあったに違いない。そなたの過去世に当たるものが、肉体を縛る見えぬ鎖を潜り抜け、ここへと足を進めさせた』
「過去、世……?」
『この世にそなたが生れ落ちる、それ以前の生。今とは異なる身と心であった、前の世の自分。今は、そなたがそれであることが、幸いだ。レーベンガルド卿の『対戦相手』である、そなたが――』
こちらを見据え、王太子は静かに語る。
わけのわからない話だ。まるで神話伝承の物語か、荒唐無稽な三流小説のような筋書き。
しかし、この場の雰囲気のせいか、それともアルファード王子の物腰がそうさせるのか。
有無を言わせぬ説得力のようなものが、彼の周囲から漂い始めていた。
それに――だ。実のところ、王太子の言葉は、ひどくしっくりと馴染む。アーノルドの胸のうちに、すとんと落ちた。
信じられない、奇妙極まりない話ではある。
だが、時おり覚える不可思議な幻想。聞いたこともないのに、浮かび上がる言葉と情景。
――狂おしいほどの切なさとともに、心に宿ったひとつの執着。
その現象に、今。ようやく答えが当てはまったような気がして、ゾッとする。
「王太子殿下、貴方は何をお望みなのです? 私をここへ呼び込んだ、その理由と――」
不敬は承知。アーノルドは恐れを振り払うようにして、更に一歩。前へと足を踏み出した。
「――貴方のその姿について、お聞かせ願いたい」
アーノルドの言葉に、王太子はしかし咎めるでもなく微笑んだ。
そうして彼は傍らに居る老伯爵へと目を移すと、そっと頷く。
「殿下の実体は、この場にはおらぬ。ここに、こうしておられるのは、殿下の『祝福』によるもの。詳細は言えぬが、時間と空間を超え、このお方は意志と記憶を残すことが出来るのだ」
「これが、王太子殿下の『祝福』……」
「そうだ。その御力と、この場を介する事で、私は殿下と意志の疎通を密にしていた。これは、ザッハ殿も知らぬ事。立場こそ同じであれ、危険が生じる余地は分散せねばならんからな」
なるほど、相手側の『祝福』は未知数だ。
下手に固まって動けば、そこから手繰られ芋づる式に身柄を抑えられる可能性も高い。
王太子の協力者たちは、そうやって個々に動き、状況を変えんと奔走しているのだろう。
老シュトラウスの言葉は、半ば予想の範疇内であった。
知りたいのはその先だ。彼がこの場にこうして姿を晒した理由と、その肉体の在り処。
それを問おうとしたアーノルドにしかし、先んずるようにして王太子が口を開く。
『そなたと取引がしたく思い、ここへと呼びこんだのだ』
「取引、でございますか?」
『あぁ、そうだ。私が望むのは我が最愛の娘、フローラの身の安全と、我が肉体の確保』
やはり。妻から聞いた話の通りだ。
王太子の身柄は、『同盟』の手に落ちている。間違いない。
「……こちらが得る利益は?」
『アーノルド・ゲルンボルク。私はそなたの悲願を知っている。そなたが生涯を賭して果たさんとしている、その宿願を』
王太子の瞳は、アーノルドを見据えたまま、動かない。
『私は、そなたの力になると、約束しよう』
その言葉の意味する所は明白だ。
アーノルドの心臓が、鼓動が。激しく脈打ち始める。
アルファード王子こそ、伏せた女王陛下に代わり国政を代行する、王家の顔とも言える存在。その名と言葉は、まさしく福音だ。
自分と、妻にとって。これ以上に無い程の味方となる。
アーノルドが、思わず唾を呑み込んだ、その時。
王太子はやや苦しげに顔を歪めた。
「殿下!?」
『大丈夫だ。すまないな、どうやらあまり時間が無いようだ。少し、力を使い過ぎた。記憶の保持も限界に近い。取引の是非の前に、これだけは伝えておかねば。陛下のことといい、そなたと奥方には色々と面倒を掛けてしまった。その、詫びと礼も込めて……」
「詫びと、礼……?」
『そうとも。それこそ、私が奴等の虜になってまで知ろうとしたこと。国の行く末のため、フローラの為に……それは、どうしても必要だった』
「殿下、貴方はまさか、わざとレーベンガルドの手の内に――」
アーノルドの言葉に、アルファードは自嘲気味な笑みで応える。
『いいや、少しばかり焦りすぎたよ。結果としてどうやら、彼女の身を危険に晒してしまったようだ。芯の強い娘とは思っていたが、まさかそこまでの行動力を持ち合わせていようとは』
それは、フローラ嬢の事を述べているのであろう。
王太子の表情には、やるせない苦悶が浮かんでいた。
なんとなく、ではあるが。アーノルドも彼の思いは理解できる。自分の手の届かない場所で、誰よりも大切な女性が奮闘している。その歯がゆさと、我が身の無力さ。
だからこそ、やるべきことをせねばならない。
二人の男が抱く想いは、ひとつであった。
『聞いてくれ、アーノルド・ゲルンボルク。私が『祝福』を使い、得たすべてを』
王太子は、その身を揺らしながらも、ハッキリと告げる。
『――レーベンガルド卿と、その協力者。彼らが有する『祝福』の、あらましを!』




