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76話 盟約


「どうだい、我が家の招待会は? 少しばかり上品が過ぎると思わないかね」

「良い事じゃねえの? 奔放すぎるよりマシっつうもんだ」

「あぁ、君は確か、レーベンガルド卿のクラブに招かれたとか。あそこは、中々に刺激的な場所だったろう」

「おうおう、刺激が過ぎて、うちの子猫に噛みつかれそうになったぜ。いや、比喩でなくな」


 軽口を交わし合いながらも、互いに目は笑っていない。

 いわば牽制だ。腹の内を探るようにして放たれる言葉の応酬。

 アーノルドは手に持ったグラスを揺らしながら、周囲に目を向けた。

 

 先ほどまで居た広間とはまるで正反対の、狭苦しい部屋。

 古い調度品が並べられたそこは、物置を改装したようにも思えた。

 人が三~四人も横に並べば、すぐに窮屈になってしまうこと請け合いである。

 

 部屋の真ん中にちょこんと置かれた丸テーブル。その周りに置かれた椅子に腰掛け、アーノルドとラウル・ルスバーグは相対していた。

 

(仮にも公爵家の一室だろうに、随分と庶民的な部屋だな)


 何かが起こった時に、逃げにくい場所だ。

 閉ざされた扉の向こう、未だ喧騒さざめくホールからは、華やかな音楽が漏れ聞こえてくる。

 

「落ち着くだろう? 僕はこじんまりした部屋が気に入っていてね。兄上の説教から逃れ――いや、静かに過ごしたい時は、良くここで過ごすんだ」

「お前はいい加減、兄貴の心労を考えてやれ」

 

 もしもの時の出口をさり気なく目で追いながら、アーノルドは懐に手を入れた。


「おっと、ミスター。物騒な物を出してくれるなよ。あの後、瑠璃がそれはもう心配をしてだね。束縛が強くなってしまった。お蔭で今夜も、他の舞踏会を早々に切り上げてこなければならなかったんだ。最後はもう、首根っこをひっつかまれてだね――」


 ペラペラとよくもまあ、口が回るものだ。アーノルドはうんざりとした気分になった。

 その口ぶりも、愚痴のような下世話なものではなく、むしろ自慢げだ。惚気に近い。

 

「成るほど、だからあのメイドの嬢ちゃんは、あそこで直立不動の番人をしてんのか」


 扉の前、幽鬼の如く立つ少女を見て、アーノルドは顔をひきつらせた。

 全くの無表情。眉すらしかめていない。なまじっか整った顔立ちだけに、うすら寒いものを感じてしまう。

 

「私の事はお気になさらず。壁の置物と思って頂ければ幸いです」


 その置物は主人の危機とあらば動き出し、怪奇小説めいた暴虐を振るうやつだ。

 つくづく敵地に居るのだと思い知りながら、アーノルドは懐から取り出した『それ』をラウルに手渡す。

 

「ほう、ほほう? この封蝋の刻印は――あぁ、成るほど! 流石に流石! 僕の欲しい物をちゃんと用意してくれたんだね、君は!」


 白い簡素な封筒を手に、公爵家次男坊はにんまりと笑った。

 

「教会が発行した、正規の契約締結の書面。それも、大司教の印付きとは念のいったことだ」

「約定の証だよ、ラウル・ルスバーグ。調和神と契約神に誓ってもらいたい。内容は――以前と同じだ」

「相変わらずの愛妻家だね、君は。奥方はずいぶんとご活躍のようじゃぁないか。やんごとなきお歴々と親しくなったそうで、君も鼻が高かろう?」


 挑発めいた言葉の、そこに含まれた暗示。

 やはりこの男は、油断がならない相手である。軽薄そうな物腰に騙されて、痛い目を見るのはごめんだ。

 

「で、どうなんだ? 依頼を受けてくれるのかい? 一応、他にも土産話の用意はあるぜ」

「ほう、興味深いね。王宮に咲いた恋の話。是非とも聞かせてもらいたいものだ。やはり、こういうのは当人が目の当たりにした現実性リアリティが無いと、乗り切れないからねえ」


 ラウルは嬉しそうにそう答えると、書面に躊躇いなくサインを書き込んだ。

 あまりにも、あっさりとした了承。向かい合っているのがアーノルドでなければ、戸惑いの声す上げたであろう。

 だが、この男がそうするであろうことを、百戦錬磨の商人は何となく悟っていた。


 締結を結んだ書類、それをアーノルドに差し返すと、ラウルは瑠璃と呼ぶ少女の方へと視線を投げた。


 すると、得たりとばかりに、置物が動き出す。

 ピンと背筋を伸ばしたまま、彼女は音も無くこちらに寄って来た。

 

「どうぞ、ミスター・ゲルンボルク。お確かめください」

「お、おう……すまねえな」


 最近の女運が良いのか悪いのか。会う女会う女、みなが愉快で豪胆な、強者揃いの娘ばかりである。

 その筆頭たる妻の姿を思い浮かべながら、アーノルドは手渡された書類に目を通す。

 知らず、口元からヒュウっという感嘆の声が漏れ出した。

 

「……流石は名探偵。もう調査済みってわけだ。俺の行動も全て、予想の範疇内かい?」

「まさか、僕は神さまでは無いからね。とはいえ、君達の味方という訳でもない。僕は僕なりの倫理と正義の元に動くだけさ」


 ――それが一番厄介なんだよ。

 言葉に出さず、アーノルドは字面を追った。

 やがてその表情に、苦み走ったものが走り出す。

 

「おい、ここまで明かしてもいいのか? お前の仲間じゃねえのかよ」

「利害が一致している同盟だよ。場合によっては手助けをするし、局面によっては足も引っ張る」


 多少のカマを掛けた物言いに、しかしラウルは何でも無さげに答える。

 その意味する所を察し、アーノルドは肩を竦めた。


「なるほど、平等で公平だな。反吐が出る」

「いやだな、そんなに褒めないでおくれよ、照れ臭い」


 嬉しそうに笑うラウルを放置し、メイドに視線を飛ばすと、処置なしというように首を振られた。

 本当に掴みどころのない男である。

 

「……あぁ、やはりそうか。そういうことか。ウィンダリア子爵家の当主の血筋は――」

「うん。テンダリア公爵家の遺児に繋がるね」


 事もなげに、あっさりと。

 時の首相でさえも知り得なかった情報を、するりと明かす。

 

「二百年前、主だった一族はブルム・テンダリア公爵と共に、罪人の塔へと幽閉されたようだね。子々孫々を残す事を許されず――と言っても、運が良いのか悪いのか、流行病だかなんだかで幼子を含めた若年層は、その時点で既に死去。残されていたのは相応に年嵩の者ばかり」

 罪を罪として理解したまま、王太子弑逆を目論んだ者達であったと、ラウルはそう語る。

 つまるところの、自業自得であると。


「馬鹿だよねえ、ブルムも。英雄王なんていう愚物をいつまでも崇拝し、幻想を追い続けてさ」

「幻想?」

「そうだよ。後世じゃ何かと持ち上げられているけどね。大した男じゃなかったんだよ、本当さ。愛した女一人救えなかった、愚鈍で愚直な王。性格が似ているようだけど、うちの兄上とは比べるべくもない。いや、口に出す事さえ失礼極まりないよ」

 

 まるで、見て来たかのように話すラウルに、流石のアーノルドも面食らってしまう。

 

「おっと、話が逸れたね。それで、絶えたと思っていた公爵家の血筋だけど、どうも愛人に産ませた庶子が居たらしい」

「まぁ、お貴族様に良くある話だな」

「その辺はアストリアのお家芸なんだが――というのは置いて、その遺児は長じて頭角を現した。貿易で財を成し、地主の娘と婚姻をしたのちに、財務省への多額の納付が認められ、準男爵の地位まで上り詰めたようだ」


 随分と有能な男であったようだ。

 そういえば、以前に妻から聞いた事がある。

 二百年前、アルフレッド王の治世では、従来の古き貴族の力を削ぐ意味合いもあり、平民からの登用も少なくなかったらしい。

 

「世襲貴族では無いが、名と土地は残る。やがてその子が、ウィンダリア子爵家の娘に見初められ、入り婿をすることになったようだな。男子が病没していたこともあり、これ幸いと――」

「いや待て待て! 貴族の家に婿入りして当主だと? 準男爵とはいえ、父親は平民の貿易商だろ? そんな事が……」

「まぁ、あり得ない事ではないが。歴史上、そういった例は幾つかある。とはいえ、その遺児の出自を考えれば、不自然に感じるのは当然だ」

 

 アーノルドは再び書面に目を落とす。

 その後、子爵家の新当主となった男は、薬効の高い調合技術を認められ、王室御用達にまで成り上がった。

 どこで、どのようにして。薬学を学び、腕を磨いたか。それは謎に包まれている――と。

 

「テンダリア公爵家は、エスベレルの魔薬の調合法を知っていたんだよな?」

「だね。ブルムの母親筋はさ、今では魔女と呼ばれる古き良き薬草学者の血脈に連なるんだ。古代から連綿と伝えられてきた、薬物の調合法。それは本来、公爵家の当主のみに継がれる禁断の技術だ」


 ――じゃあ、何故。お前がそれを知っている?

 

 のど元まで出かかった言葉を、アーノルドは呑み込んだ。

 今は、それを問うても答えは来るまい。

 

「継いだ、というわけか。どういう手順で得たかは知らねえが」

「だね、そうしてその技術は、王家の為にと活用されるようになった。ここまでなら、めでたしめでたし、で終わる話なんだけどさ」「よりにもよって、二百年の時を経て。その技術が王家へと牙を剥いたと、そういうことか」


 そこだけ抜き出せば確かに、これは亡霊による復讐譚だ。

 子々孫々に継がれた恨みが、結実したとも思える。

 だが――事はそう、単純な話ではなさそうであった。

 

「実の兄にあたる当主を告発した、ウィンダリア子爵家の次男坊。こいつと現・レーベンガルド侯爵は貴族学院の同輩であった、か」

「そう。ゆえに冤罪を疑っているのだろう、君は?」


 アーノルドは、その質問には黙秘を選び、自身のこめかみを指で叩く。

 何かが、繋がりそうな気がする。

 

 書面の後半部には、ウィンダリア子爵家の一人娘について、その人柄や生まれ育ちが克明に記載されていた。

 本当に、どうやってここまで調べてのけたのか。目の前に居る男の得体の知れなさが、会うたび、話すたびに際立ってゆくように感じる。

 

 

「まぁ、夜は長い。君の持って来た話を聞かせてくれないか? 正直、それが楽しみで戻ってきた所もある」


 にこやかに笑いながら、ラウルがグラスを傾ける。

 ため息を一つ吐き、アーノルドは面映ゆげに口を開いた。

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