73話 二十五年前の真実とは!?
「まさか、二十五年前にそのような事が……!」
第二王子の自室。薄明りに照らされた室内に、緊迫した空気が流れる。
掠れたようなフローラの声に対し、老首相は頷いた。
「あの日は、女王陛下のご生誕日を祝う、宴が開かれておったのです。それも、ご身内だけを対象とされた晩餐会。他家に嫁いだ姫や王子が、こぞってご参加されていたのだが……」
ザッハドルン・グレーベル侯爵は、無念そうに首を振る。
彼は、ちょうどその時。病を得て療養をしていたのだという。
「知らせを聞き、私が駆けつけた時にはもう、全てが終わっていたのです。あの寒々しい光景は、今でも夢に見る。大小の白い布地に包まれ並ぶ、何人ものご遺体。そして、その傍で膝を付いて嘆く、陛下の叫び声を……」
拳を握りしめ、ザッハは背を震わせた。
何という恐ろしく、おぞましい惨劇か。マリーベルにはそれを、想像する事すら出来ない。
「もしや料理に、毒が仕込まれていたのですか?」
「いいや、そうではありませぬ。それが直接的な原因では無いのですよ。私も後から聞いたのですが、料理を口にした方々はみな、体調の不良をご訴えになったとか。吐き気と下痢、それはそう、食あたりの症状に似たものだと」
当時の事を思い出しているのだろう。
老いた首相の表情には、怒りと苦悩が深く刻み込まれていた。
「薬です。腹の下しに良く効く薬。王室御用達のそれを服用した途端――みな、口から血を吐き出してお斃れになった、と」
「非常に強力な毒が混ぜられていたらしい。医者の手当ても何も、効果が無かったと聞く。父上や母上、叔父や叔母、従兄弟たちはそれで命を失った」
ザッハの言葉を引き継ぐように、ランドールが淡々と事実を述べる。
「薬を処方したのは、古くより王室の専門医を務めていた、とある子爵家の当主だ。門外不出の調合法を有する家門で、限られた者しか恩恵は得られなかったそうだが、その効能は絶大であったらしい」
「当主一族はすぐさま身柄を拘束され、子爵家が所有するカントリー・ハウスにも調査が入りました。そうしてその結果……証拠が見付かったのです。現場に残された毒物と、一致するものが、彼の屋敷から発見されてしまったのですよ」
王子と首相の言葉に、マリーベルとフローラは互いに顔を見合わせた。
随分と、出来過ぎた話である。裏工作もせずに、すぐさま証拠が挙げられる?
杜撰にも程があるではないか。
第一、薬を飲んですぐさま命を失うようなものなど、それでは真っ先に疑われるのは誰か、あまりにも明確過ぎる。
「不審に思うのも無理のない話かと。ですが、告発があったのです。それもその子爵家の身内と、とある侯爵家の当主から。あの大混乱の中、功を焦る者達はそれに飛びついてしまった……」
こちらの不審を感じ取ったか、ザッハ首相がそう補足する。
だが、その説明に混じった単語に、マリーベルは嫌な予感を覚えた。
何処かで聞いた話だと思う。似たような流れで没落した『子爵家』を、少女は知っていたのだ。
「まさか、それって! その子爵家って、まさか……!」
「そうだ。ウィンダリア子爵家だ」
王子の言葉は、マリーベルに少なからぬ衝撃をもたらした。
それは、夫と自分が疑惑を抱いた貴族の家門。
二十五年前、エスベレルの魔薬の流通疑惑で拘束され、その後に一族が謎の死を遂げたという、曰くつきの――
「待って、待って下さい! 子爵家が取り調べを受けたのは、違法麻薬の件では!? 王家の暗殺事件に関わっていただなんて、そんな……!」
「事はあまりにも大きいゆえに、王家の毒殺事件は、流行病に寄るモノだとして隠ぺいしたのです。それに、お嬢さんの疑問もまた、間違ってはおりませぬぞ。何せ、王家の方々のお命を奪い去った毒物。その原材料は、エスベレルの魔薬だったのですから」
「なっ!?」
驚愕するマリーベルに、老首相は告げる。
かの魔薬は、ある種の薬物と調合する事で、強烈な即時作用を持つ猛毒と化すのだと。
それは、今ではもう誰も知る由もない、特殊な調合法。
そも、エスベレルの魔薬そのものが、製法自体、歴史の闇に葬り去られた代物なのだ。
二百年前に消えた筈のそれが、時を経て蘇り、王室に仇を為す。
正しくそれは、亡霊の所業であった。
(あの、旦那様逮捕の一連の騒動。その時も私は、同じ感想を覚えた。もしやこれも、ひとつの線に繋がっている……?)
ぞわぞわと、マリーベルの肌が粟立つ。
得体の知れない何かが、自分達の周りで蠢いているような。
それは、あまりにも不気味な予感であった。
「エスベレルの魔薬……先ほどに述べたテンダリア公爵家と、ウィンダリア子爵家には、何かの繋がりが……?」
フローラの問いに、しかし首相は首を振るのみ。
「わかりませぬ。ウィンダリア子爵家が王家御用達の薬を調合し始めたのは、今から百年は昔のこと。調査を進めてはおりますが、未だに詳しい事は……」
「ゆえに、深く掘れと私は言ったのだ。この問題が根深いと言ったわけが分かったであろう?」
確かに、闇が深い話ではある。
王太子殿下は何を知り、どんな確証を得るに至ったのだろう。
それは、その身をかどわかされるほどの、大きな秘密に繋がっている筈だ。
恐らく、レーベンガルド一味――『同盟』連中にとって、都合の悪い真実に。
(何とかして、この事を旦那様にも教えられないかな。グレーベル閣下にお願いして、使いを出してもらえば……)
先にも実感したが、この手の謀略は夫の得手だ。
マリーベルでは辿り着けない、思いもよらない事実に行き着く可能性がある。
上手くすれば、王太子殿下救出の糸口が見えるかもしれない!
その事を申し出ようと、マリーベルが口を開こうとした、その時だった。
「……発言をお許しくださいませ」
冷涼な声が、スッと挟まれる。
自然と、皆の視線がそちらへと吸い寄せられた。
発言をしたのは、今まで口を閉ざしていた伯爵令嬢。
ミュウ・イーラアイムであった。
「なんだ、ミュウ? 何か気付いたことでもあったか?」
「はい、殿下。僭越ながら、ひとつ疑問を抱いた事がございまして」
愛する王子の問いを受け、得たりと令嬢は頷いた。
「みなさまどうか、お聞きくださいませ。些細な事ではありますが、確かめてみる価値はあるかと」
そうして、ミュウは己の考えをその唇から漏らす。
ひゅっと。息を呑む音が聞こえた。
それは誰が発したものであるか、判別が付かない。
何故なら、その『疑問』を聞いた瞬間、場に居る皆が驚愕に身を震わせたからだ。
「う、そでしょう? そんな、まさか……!」
「いえ、で、も……! もし、そうだとしたら、あれは……!」
その中でも、一際混乱するマリーベルとフローラに、ミュウは視線を向けた。
理知的な光が宿る、その瞳。確かな知識と知性に裏付けられたそれは、彼女が確信に至っていると判ずるに充分過ぎた。
「――レディ・ゲルンボルク。私の考えをはっきりとさせるためには、貴女の力が必要です」
頼もしささえ感じられるその声に、マリーベルは頷くほかに道は無かった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――『彼女』は退屈であった。手持ちぶたさとは、こういう事を言うのだろう。
カーテンを閉め切っているせいで、窓からは日の光も差さない。
薄暗い闇の中、『彼女』は、ほうっとため息を吐く。
(ああ、つまらない。つまらないわ)
ベッドに腰掛け、足をブラブラと震わせる。
父の言い付けとはいえ、僅かな時間しか外に出られない。不満が募る一方だ。
外からは、勇猛な音楽と共に歓声が聞こえてくる。
今はもう、お昼過ぎ。『衛兵交代式』とやらが始まっている頃合いだ。
見たい。観覧したい。自分も拍手をして、ご苦労様と彼らを労いたい。
この王宮に住まう人々の為に頑張る衛兵さんたち。一目でも良いから見て、ありがとうを告げたかった。
(でも、がまんしなくちゃ。お父様に怒られちゃうわ)
『交代式』の時は、『あの人』に任せて、自分はここに居なくてはならない。
そう散々に言い含められていた。
聞き分けを良くさえしていれば、褒められる。
父も母も、自分の頭を撫でて、良い子だと言ってくださる。
それが、『彼女』の唯一の楽しみであった。幸せであった。
家族から離れ、こんな場所に閉じこもっているのは辛いが、その事を思えば少しは気も晴れる。
それに、『あの人』も言っていたのだ。
もうすぐ、こんな日々は終わるのだと。
(えへへ、楽しみだなぁ……)
自分は晴れて王子様の花嫁になれるのだ。
皆に祝福され、次代のお妃様になる。
その日が待ち遠しくて、しょうがない。
『あの人』は言った。もうすぐ、王子様は自分を受け入れてくれるようになる、と。
どんな事をするのか分からないが、父が信頼するという女性だ。
その言う通りにしておけば、間違いはないだろう。
夢見る少女の如く、素晴らしい想像にうっとりと頬を緩めた、その瞬間だった。
(……あれ、なんだろ?)
こつん、こつんと。音が響く。
それはまるで、ドアをノックするかのような、跡切れの無い打擲音。
『彼女』は首を傾げた。音が聞こえる方向は、扉とは反対方向。
微かに日がの光が滲む、あの窓辺から響いているのだ。
けれど、そんな事はあり得ない。
『彼女』が住まうこの部屋は、地上から高く離れた位置にある。
外に誰かが居る事なんて、考えられない。
(鳥さんかしら? わたしに会いに来てくれたの?)
前に、庭園でエサをあげた事を思い出す。
もしかして、それを覚えていて。ここまで羽ばたいてくれたのか。
(どうしよう。姿を見せるなって言われてるわ。でも……)
思い悩み、微かに身を乗り出した、その時。
ちりん、と。鈴の鳴るような音が響く。
「あら……?」
瞬間、目の前の景色が一変した。
自分は今、確かに。部屋の中に居たはずなのに。
「ここ、何処かしら?」
――それは、果てしなく続く回廊であった。
磨き抜かれた床と、銀の鈴が並ぶ壁。
王宮内であることは間違いないと思うが、どうして自分はこんな所に居るのだろう?
「……まさか、本当に『別人』だったとは思いませんでしたよ」
「え?」
聞こえて来た声に、振り向く。
するとそこには、一人の少女の姿が在った。
小柄な体躯。陽の輝きに照らされて、煌めくストロベリーブロンドの髪。
愛らしい顔立ちはしかし、苦々しげに歪んでいる。
――きれい。なんて、きれいな女の子なの!
まるで、神さまに愛されて生まれてきたような、可憐な美貌。
不可思議な状況さえも忘れ、思わず見とれてしまいそうになり……『彼女』はハッとする。
その少女の姿に、見覚えがあったのだ。
そう、そうだ。確か、前に庭園で一度――
『彼女』は、どきどきと高鳴る胸を抑える。
誰も供を連れず、こうして年の近い令嬢と向かい合うのは、初めてであった。
「あ、あの……ここ、何処か分かる? 私、確かお部屋に居たのだと思うのだけれど……」
勇気を出して、そう問いかけると――何故、だろうか。
少女は何故だか酷く驚いたような顔をして、拳を握りしめた。
「レーベンガルド卿……! まさか、まさか! こんな、事を……!」
「お父様を知っていらっしゃるの?」
なら良かった、とホッとする。向こうはどうやら、父の関係者であるらしい。
同時に少し、目の前の少女のことが心配になる。
苦しそうなお顔をしているが、どうしたのだろうか。
具合でも悪いのか。医者を呼んだ方が良いのかもしれない。
どう判断するべきか分からない。でも、目の前の女の子を放ってもおけない。
迷った挙句、『彼女』は少女に向かって、恐る恐ると手を伸ばした。
「あ、あの……大丈夫? お腹でも痛いの?」
「あなた、は……」
戸惑うような声に、『彼女』は頷く。
「えっと、名乗っていいのかしら? 困ったわ、私、その……分からないの。あの人や、お父様に聞かなければ、分からないの。ああ、どうしたらいいのかしら……」
予想外の事態に戸惑いながら、『彼女』――クレア・レーベンガルドは、オロオロと周囲を見回すのだった。
すみません、明日の投下はお休みとなります!
次回更新は明後日、4/15(土)の19時ごろに投稿いたしますね。




