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70話 王子様の望みはなあに?


「そう構えるでない。別に、今すぐ貴様等をどうしようとは思わぬ」


 こちらを見据えながら、第二王子は淡々とそう告げる。

 その表情からは、何を考えているのかまるで推し量れない。

 フローラの『祝福』をもってしても、結果は同じであろう。

 ただでさえ選定者同士には通じにくい『祝福』だというのに、向こうはどうも、こちらの能力を知っているようだ。

 そのうえで心を閉ざされては、どうにもならない。

 

 マリーベルは、お屋敷アンソニーの模型をちらりと見る。

 恐ろしく精巧な造り。マリーベルが家を発つその直前までの情景が、すっかりと落とし込んである。

 

 ――こちらに、目を付けていた? いつ、どこから?

 

 この模型がここに在る、その意味が理解できない。


(くぅぅ、こういう時に、旦那様が居てくれたらなぁ!)


 この手の深謀遠慮を計るのは、夫の方が得手だ。

 いかんせん、マリーベルではこういった相手との対人経験が少ない。

 荒事や場当たり的な対応は得意だが、その先へ先へを読み抜くことは苦手なのであった。

 つくづく、自分達は二人で一人なのだと思い知らされる。

 

 とはいえ、無い物ねだりをしていてもしょうがない。自分は、ある程度の覚悟をしてここに来ているのだ。

 

「殿下。殿下は、何をお望みなのですか?」


 緊張の糸を断ち切るが如く、フローラがそう問うた。

 

「話が早いな。兄上が選んだだけのことはある。そこな小娘もそうだが、この状況を前にして、尻ごみをせん所は感心しよう」


 威厳のある言葉。他者を圧する声を発しながら、ランドールは片手に抱いたミュウを更に己が懐へと押し込んだ。

 

「殿下!? ちょ、真面目なお話をされているのでは、殿下! ランドール様! 御放し下さいませ!」


 暗がりでもなお分かるほどに、顔を真っ赤にさせ、ミュウ・イーラアイム嬢がもがき始める。

 しかし王子様はそんな令嬢を愛おしげに見つめると、その首筋に口付けた。掠れたような悲鳴が、哀れな女性の口から上がる。

 まるで、こちらに見せ付けるかのような、その仕草。一体、この王子様は何がしたいのだろうか!  

 

「言っておくが」


 暴れるミュウの背を愛しげに撫でながら、ランドールはマリーベル等を睨み付け、言い放つ。

 

「この娘が傍仕えだからと言って、調子に乗らぬ事だ。この娘の心は私のものだ。その体も私だけのものだ。それを履き違えるなよ、命を賭けた忠誠なぞ望むな。いいか、わかったな?」

「殿下! 殿下! そのような言い方はおやめくださいませ!」


 ランドールの胸板を一際強く叩き、ミュウが吠える。

 

「これは私の職務でございます。如何にランドール様と言えど、それは越権行為かと!」

「だが、お前は放っておけば無茶をする。昨夜だってそうだ。お前は頑張り過ぎるのだ。心配になる。心配しては駄目なのか……?」「う……! そ、そのお目つきは卑怯でございます! そのような愛らしい仕草では誤魔化されませんから、もう!」


 愛らしい? 愛らしいってなんだっけ?

 マリーベルは言葉の意味について疑問を抱く。

 クヒヒヒ……等と笑いながら、ギラついた目で令嬢を見下ろす半裸の男。

 ちょっとした事件の気配を感じる光景だった。

 

「……レディ・イーラアイムは、本気で、言って、いらっしゃいます」

「あ、愛の形って色々あるのですね……」


 フローラが相変わらず顔を手で覆いながら、マリーベルにそう囁く。

 というか、意外とこういった方向に初心なお嬢様だ。

 話に聞く王太子に、色々とされていそうなのに。案外と誠実な方なのであろうか。

 

「そ、そういうことは、初夜の閨を迎えるまでは、そ、その……最後までは……あの……えっと……」

「ごめんなさい、ダダ漏れてましたね! とりあえず、そっちの方向の話はポイしちゃいましょう!」


 これ以上聞くと、妙な話が飛び出て来そうで怖い。

 世の中の男は、マリーベルの旦那様のように誠実な男性ばかりではないのである。

 そんな風に心の中で自分の夫を持ち上げながら、少女は乳繰り合う王子とその恋人に向き合った。

 

「その、ランドール殿下?」

「なんだ、鬱陶しい。邪魔をするな小娘」

「取りつく島もありませんね! というか、とりあえずイーラアイム嬢を離してくださいな。その状態じゃ、話が進みませんので」


 そう言うと、ミュウもまたコクコクと頷く。

 それが最後のひと押しとなったか。物凄く残念そうな顔をしながらも、王子様は彼女をようやく手放してくれた。

 

「ありがとうございます、殿下。まずは御前に対するご無礼をお許しください」


 マリーベルの前に進み出て、フローラが淀みなくそう告げた。

 その口調も声色にも、先ほどまでの照れ臭さが微塵も残っていない。

 この切り替えの早さもまた、彼女の長所であろうと、マリーベルはそう思う。

 

「良い、許す。私が招いたようなものでもあるしな」

「やはり。あの鍵も、こちらを導くかのような思念も。殿下が――」

「さて、な。お前の『祝福』の詳細も私は兄上から聞かされておらぬ。ただ、推測は可能である。後はお前が――お前達が自力でここまで辿り着けるか、試しただけだ」


 ボソボソとした口調でそう言い放つと、第二王子殿下はその口元を不気味に歪めた。

 

「それが兄上との約束であり、賭けであった。私の『祝福』を潜り抜け、一定の力と度量があるか」

「アルファード様との?」

「ああ、その通り。兄上はあの日、私にこう仰った。自分の身に何かがあれば、フローラを……」


 王子は一瞬、言葉を切り、そっと目を伏せた。


「……『我が最愛の女性を頼む――』と」


 フローラが息を呑むのが、マリーベルにも分かった。

 その背が、自然と震え出す。

 

「私の『祝福』ならば、お前を守るにも適しているからな。だが、そうは言ってもこの力を使うのは非常に疲れる。怠い。ミュウの事以外に行使したくはない」


 きっぱりと言い切るその姿。いっそ清々しくもあった。

 

「昼間の件も、ミュウを通じて詳細は聞いている。あの胡散臭い女相手に一歩も引かぬ態度は気に入った」

「え……?」

「あの女が、裏で何やら手を回そうとしていたのは知っていたからな。どんな結果になるか、この娘に一部始終を見ていてもらったのだ。あの十字路の隣室で、な」


 そう言って、王子はミュウの頬を愛おしげに撫でた。


「ラ、ランドール様……! お、おやめくださいませ……っ」

「お前は本当に凄い、優秀だ。何でも出来る。だが、無茶をしがちだ。そこまでして私に尽くそうとせずとも、我が心は全てお前のものだというに」


 微笑みと共に、ランドールがミュウの耳元で囁く。

 令嬢は頬を染め瞳を潤ませ、感極まったような顔で想い人を見つめている――が。

 

 傍から見ればそれは、うら若き女性の首に牙を立てようとする、不気味な吸血鬼のそれであった。

 

 もしや、近年流行の怪奇小説の数々には、モデルがいたりするのだろうか。

 そんなどうでも良い事までマリーベルは考えてしまう。

 

「……そうですか。レディ・イーラアイムは私の見張り役でもあったわけですね。では、彼女を推薦なさったのは――」

「勘違いするな。それはこの娘に対する侮辱だぞ。決めたのは女官長共だ。決して私の横やりではない。全てはミュウの能力と人格を評価されてのこと。というか、私は止めたのだ。なのにミュウが……ミュウが……」


 先ほどまでの威厳はどこへやら。いじけたような顔で恋人を見る王子様。

 当のミュウはといえば、そんな彼の背に手を当て、優しく撫ですさっている。

 その顔は、溢れんばかりの慈愛に満ちていた。いつもの鉄面皮が嘘のような、聖母の如き表情だ。

 彼が愛しくて愛しくてたまらない。そんな顔をした伯爵令嬢に、マリーベルもフローラも言葉を失ってしまう。

 

「ありがとうございます、ランドール様。貴方様からそのような御言葉を頂けて、私は満足にございます」

「ミュウ……ミュウ……あぁ、もうなんといじらしい娘か。我が美しき花よ。もう話も済んだし、隣室で続きを――」

「なりません!」


 ぺしん、と。ミュウが背を叩く。

 その頬は林檎のように真っ赤である。


「……なる、ほど。アルファード様とご兄弟なだけは、あり、ます……」

「えぇ……」


 そこに納得するのか。マリーベルはげんなりとしてしまう。

 エルドナーク王家の愛は深いと聞くが、それにも限りがあるだろうと言いたい。強く言い放ちたい。

 

「殿下――お話を戻させてくださいませ。王太子殿下――アルファード様に、何があったのです? あの方は、今どこに――」

「私も知らぬ」


 フローラの問いにしかし、顔をしかめ、ランドールが答える。

 その声に、僅かながらも苦渋の色が宿っている事に気付き、マリーベルは少なからず驚いた。

 

「兄上は、色恋に惑っているように見えて、その心根はまさしく為政者だ。一時の感情に流されて大局を見失うような事など、しない」


 ランドールの言葉に、一も二もなくフローラが頷く。

 

「ふむ、良く分かっておる。だというのに、、お前の暗殺騒ぎと前後して、兄上の様子がおかしくなった。周囲はそれを、愛しき娘を失う事に怒りを感じてと思ったやも知れぬが――」

「違う――と?」

「怒りはあったろうさ。だが、それだけではない。兄上は、恐らくは何らかの確証を得たのだ」


 何かを思い出すように中空を睨み付け、ランドールは気難しげに体を揺すった。

 

「二十五年前、王家を襲った悲劇の、な」

「それはもしや。かの、疫病の騒動でございますか?」

「あぁ、レーベンガルドはそれを『亡霊』の仕業をうそぶいた」


 王子の口から飛び出して来た言葉に、マリーベルは身を固くした。

 それはフローラも同じであったらしく、その背が微かに震えるのが見えた。

 

「動揺を押し隠したか。良いぞ、それで良い。そうでなくては困る」

「殿下、貴方はもしや、レーベンガルド侯爵家と――」

「向こうから、接触はあった。奴は、我が望みを叶えてしんぜようと申し立てたぞ」


 それは、予測してしかるべきもの。

 身構えていたおかげもあってか、ゆえにマリーベルの驚きは少ない。

 

(けど、レーベンガルド侯爵は、どういうつもりなの? 目的がイマイチ見え難いなあ)

 

 自分の娘を王太子妃に付けるか、はたまた第二王子を立脚させるのか。

 レーベンガルド侯爵の最終的な目標が何処にあるのか。

 それが分からない事には、戦略を立てづらい。

 

 彼は、夫を遊戯の対戦相手に選んだ。

 では、そのルールは? 勝負の行く末を決定づける勝利条件は何なのか。

 

 アーノルドはある程度の目測を立てていたようだが、果たしてそれは正しいのだろうか?


「成るほど。ゆえに、先ほど私に対し、話が早いとおっしゃったのですね」

「賢しい娘よ。ならば、もう一つ教えてやろう。二十五年前の一連の騒動。それには『亡霊』が関わり合っていると、兄上は述べた」

「亡霊……?」


 また、聞き慣れない言葉が飛び出した。

 流石のフローラも困惑を隠せないようだ。

 というか、抽象的な表現が多すぎる。

 歯に物が挟まったかのような物言いは気持ちが悪いと、マリーベルはそう思う。

 

「全てを明かせるほど、未だ私は貴様たちを信用しておらぬ。真実を知りたくば、証を立てよ。賭けは兄上が勝った。ゆえに、機会をやろう」


 尊大な物の言い方。しかし、その瞳には傲慢の色は無い。

 成るほど、これが彼にとっての最終試験というわけだ。

 

 果たして、マリーベルが見つめるその前で、フローラは静かに頷いた。

 

「……先ほどまでの仕草と言葉、そこから推測するに、殿下の御望みに沿うものを、ご用意は可能でございます」

「ほう? では述べてもらおうか。その答え如何では、我はお前達の側に付いてやろう」


 試すような口ぶり。あくまで淡々と紡がれる言葉に対し、侯爵令嬢は淑女の礼で応えた。

 

「御身と――ミュウ・イーラアイム嬢の未来。私が差し上げられるのは、それ一つにございます」


 顔を蒼白にさせ、ミュウが慄いたと同時。

 ランドール・エルドナークは、そこで初めて。愉快そうにその唇を吊り上げたのだった。



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