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69話 謎めく第二王子さま!


 ――『迷宮』の祝福。

 この奇怪な権能の力を、とりあえずマリーベルはそう名付けた。

 

 空間そのものを作り変えてしまうほどの、恐るべき『祝福』。

 今まで遭遇した『選定者』の中でも、群を抜いて際立った能力だ。

 

「……これはやはり、第二王子殿下の力ですか?」

「恐らく、は……」


 マリーベルの問いに、フローラもまた眉根を顰めた。

 

「王家の『祝福』は、前に話した、通、り……未だ、純粋な濃度を、保って、いる方が、多いと、聞き、ます……」


 かつては、天地の理さえも覆し、人心を容易く操ったとされる『祝福』。

 近年では見る影も無く衰えたとも聞くが、ある一定の血筋の中に於いては、古の『祝福』に匹敵しうるものがある――のだろうか? 

 だとすれば、厄介極まりない。

 

 フローラと顔を見合わせ、マリーベルはため息を吐いた。

 目の前の廊下は遂にあちらこちらに道が分かれ、何処に進めば良いのかもまるで把握が出来ない。

 

「どう、しましょう……?」


 フローラが声を潜めて、唸るように呟いた。確かにこれでは、来た道さえも分からない。

 一見、打つ手が無いようにも思える、が――

 

「――しっ」


 しかしマリーベルは、唇に人差し指を当て、フローラに沈黙を促した。

  

 息を吸い、聴覚に意識を集中する。

 

(……聞こえる、聞こえる。これは……鈴の、音? 周囲に広がって、打ち寄せてくるような――)


 そうだ、あの時もそうだった。

 地平線の彼方まで続くような、月夜の隔離世界に閉じ込められた時も、確かに聞こえた。

 それは共鳴するように響く、涼やかな鈴の音。


「音……音。そうだ、イーラアイム嬢は今晩も昨夜も、ハンドベルを手に持っていた――」



 ハッと気づいて、壁を見る。

 白い壁に貼り付くは、等間隔に連なる、拳大のベル。

 ひとつひとつは、さほどに気にならない事象。

 しかし、それらが点から線へと繋がり、マリーベルの脳裏に閃くものがあった。

 

「試して、みましょうか」


 マリーベルは目を閉じ、ピカピカに輝く床へと、靴のかかとを踏みおろした。

 

 途端、甲高い音が響き、周囲から唱和する鈴のそれと重なった。

 

(――こっち、か?)


 ぶつかり、へしあい、音が打ち合う響きを元に、マリーベルはそちらへ向かう。

 視覚に騙されては駄目だ、頼るべきは耳。この音の向こう側に続く『道』なのだ。


 フローラの手を取り、マリーベルは前へ、前へと進んでゆく。

 

 反響する音は、ますます高く、大きくなり――足元が揺らぎ、ふらつくような感覚に前後不覚となりそうになる。

 

 昨夜のように開かれた空間で無いのが災いしたか、気分が悪い。吐き気がする。強化された五感に訴えかけるように切々と奏でられる音の唱和。これは中々に、厄介な権能であった。マリーベルの『祝福』との相性は極めてよろしくない。

 

 気をしっかりと持っていなければ、胃の中の物をぶちまけてしまいそうだ。乙女の尊厳とか、そういうのに関わる行為に対し、本能的な怖気が打ち寄せてくる。旦那様がここに居なくて良かったと、心からそう思ってしまう。もしあの人に見られたら、弟王子様の如く引きこもりになってしまいそうだった。

 

「……マリー、こっち」


 と、握りしめていたフローラの指先が、不意にマリーベルのそれを揺さぶった。

 

「聞こえる、わ……声、思念、とりとめのない思考」


 鈴の音の波長から、それを感じ取ったのだろうか。はたまた、空間を包み込む『祝福』の力が、妙な作用を起こしたのか。

 マリーベルとは逆に、フローラの『祝福』はこの迷宮のそれと、相性が良いようであった。

 

 マリーベルが音の方角を特定し、耳を澄ましたフローラがそれを導く。

 相互の『祝福』を駆使し、歩いて歩いて歩き続け――そうして二人はついに『そこ』に辿り着いた。

 

「ここ、は……?」

「ランドール殿下の御部屋、ですね……」


 シンプルな造りの分厚い扉。取っ手の部分はドアノブやハンドルではなく、草木の装飾が施された鉄製のもの。

 まだ真新しいだろうそれは、近年になって提唱されている、造形美術運動の賜物と思われる。

 

 しかし、最も目を引くのはその表面部分。ドアの真正面にでん、と。大きなベルが取り付けられていた。

 

「これ、ここからも音が鳴っている……? どういう造りなんでしょう」


 リィィィン、と。鈴は今も高い音を立てて鳴っている。

 常人の耳には届かない程の、高い音域。マリーべルの強化された聴覚でなければ、聞き分ける事は不可能であろう。

 

「うぅ……ぎぼぢわるい……これ、もぎとったら怒られるやつです?」

「おそら、く……懲罰もの、かと……」


 バレなきゃいいんじゃないかと思い始めるも、流石に実践は出来ない。

 何せ向こうは、こちらの動向を伺ってる節さえあるのだ。

 

「さて、鍵は――まぁ掛かってますよね、そりゃ」


 取っ手に触れるも、うんともすんとも言わない。

 マリーベルの力を持ってすれば、物理的に破壊する事は容易いだろうが、それは最後の手段というものだ。

 

「……もしや、これ、で――」


 フローラが懐から取り出した『鍵』を錠に差し、押し込む。

 

 ――実はこれ。昨夜、ミュウが落としたものなのだ。

 

 『交代式』の直後、マリーベルはフローラと共に庭園に散策に出た。

 昨晩の痕跡が何か残っていないか、確かめようとしたのだ。

 

 そこで、手入れをしていた庭師に声を掛けたところ、先ほどコレが見付かったと、『鍵』を差し出された。

 簡素な意匠が施されたそれは、聞けば昨晩、ミュウが立っていた辺りの場所から見付かったという。

 

(何かの役に立つかと持っておいたが、まさか、この鍵が……?)


 果たして、それは抵抗も無くクルリと回り、程なくして開錠の音が聞こえた。

 少しばかり出来過ぎに思える事象に、マリーベルはやや顔をしかめる。

 だが、これが示す事実もまた、明確にして明瞭であった。

 

「やはり、そうでしたか。これで確定ですね。イーラアイム嬢は第二王子殿下の部屋、その合鍵を持たされるほどに深い関係にある、と――」


 とはいえまぁ、流石に艶事めいた話ではあるまい。お堅い侍女とあの王子様が『そういう』関係になるとは、想像も付かない。

 とすれば、密偵の類か。『祝福』を行使すれば、誰にも見つからずに逢い引きをする事も可能だ。

 こちらの動向を探り、ランドール王子に逐一報告していた。そう考えると、辻褄は合う。

 

(となれば王子様のあの態度も、見せ掛けの可能性が……? うぅん、どうだろ?)


 何となくだが、あの態度は素のような気がする。

 それは、猫かぶりの達人たるマリーベルの所感だ。フローラのように気を張って見せるというのは案外簡単なものだが、だらしくなく崩すのにはコツが要る。よほど普段から『だらけて』いなければ、不自然さを醸し出してしまうのだ。

 

 とはいえ、マリーベルもランドール王子の人となりは良く知らない。

 何せ昼間に会ったのが初対面なのだ。確証と言えるほどでは無かった。

 

 もし彼が、こちらの目を欺くほどの演技の達人ならば、警戒度が跳ね上がる、のだが――


「……どうします、フローラ様?」


 退くか、進むか。決断の時だ。

 分厚い扉からは、目に見えぬ物々しい雰囲気さえ感じる。

 

 もちろん、夜更けに王族の部屋に勝手に侵入するなど、許されない行為だ。

 本人から許を得ていた昨夜とは、状況が違う。

 人を呼ばれれば、良くて投獄。下手をすれば、そのまま――

 

「……行きましょう。時間がない、わ……今は、少しでも手がかりが欲しい、し――」


 それに、と。フローラは呟く。

 

「少し、違和感があった、の。ランドール王子の思念が零れたあのとき。うまく言葉に出来ないけど、引っ掛かるものが、あった」


 ランドールがフローラを見る目は何かを探るような、こちらに挑むような――そんな意図を感じたという。

 

 ――だとすれば、これはやはり罠か? 

 

 しかし、それを問いはしない。マリーベルが言わずとも、フローラ自身、その可能性を十分に受け入れているだろう。

 だとすれば、主の意向に従うだけ。いわゆる出たとこ勝負である。逃走経路さえ確保しておけば、最悪の展開は免れるだろう。

 

 フローラの目線を受け、静かに頷く。

 主と扉の間に滑り込み、取っ手に手を掛け――

 

(……開かない? 違う、何かが向こう側に置いてあるね。成るほど、侵入防止用ってわけか)


 しかし、こんなもの。マリーベルにとっては無いと同じ。

 息を軽く吸い、ゆっくりとドアに力を込める。

 

 さしたる抵抗もなく、扉が動いて隙間が出来た。

 マリーベルは素早く顔を寄せると、中の様子を確かめようと目を凝らす。

 

 ――暗い、全体的に薄暗い。窓はカーテンで遮られ、中に何があるのか良く見えない。

 ごちゃごちゃとした何かが、影となってそびえ立つのは分かるが、それだけだ。

 

 マリーベルは意識を目に集中する。

 微かに差し込む、月明かりの光量。それを瞳が増幅し、内部の情景を浮かび上がらせた。

 

(……なにこれ?)


 影の正体。それは、部屋中に所狭しと広がる、家屋や庭園の模型であった。

 そのいくつかは、何処となく見覚えがある。この宮殿を模したものに間違いないだろう。恐ろしく精巧な造りだ。

 インテリアとして、一つくらい部屋に飾りたくなる。いかにも旦那様が好きそうな奴であった。お土産に欲しい。

 

 そんな埒もない事を考えつつ、周囲を睥睨。目に見える範囲に人の姿が無いのを確認し、マリーベル達は室内へと足を踏み入れた。

 

「フローラ様、足元にお気をつけて」

「は、い……」


 後ろ手に扉を閉めると、マリーベルは侯爵令嬢の手を引き、そろりそろりと歩き出す。

 

(趣味の塊って感じの部屋だなぁ。とても王子様の自室とは思えないや)


 美術品の類は殆ど無い。壁に掛けられた絵も、さして名画というわけではない、素朴な風景画だ。

 というか、家具の類も殆ど見当たらないのはどういう事か。

 タンスの代わりにテーブルがあり、その上には模型が置かれている。少しでも空いた空間があれば、そこにねじ込む形で点在している。

 

(……ん? 向こうから、物音が聞こえる?)



 山と積まれた模型の向こう、奥にある扉の中から、それは聞こえて来た。

 

 

「――で、す! だめ、そ――」

「――ではない、か。こういうときこそ、燃え――」


 それは言い争うような、男女の声。そのどちらにも聞き覚えがある。

 ハッとしてマリーベルはフローラを見る。

 

「フローラ様、あの声は――フローラ様?」

「え、あ……え? え?」


 フローラの様子がおかしい。暗がりでも分かるほどに頬を紅潮させ、目を落ち着かなさげにパチパチと閉じ開いている。 何があったのかと、問い掛けようとした、その時だった.



「――あぁ、来たか。早かったな。成るほど、成るほど。賭けは一応、兄上の勝ちであるか」



 その声と共に、扉が開く。

 肌が擦れるような音が響き、のっそりと人影がそこから姿を現した。

 

「ランドール殿下――」


 フローラの口から、掠れるような声が響く。

 扉の向こうには、ランプの明かりが煌々と輝いて見えた。

 その光に照らされ、『彼』の姿が暗闇の中にハッキリと浮かび上がる。

 

「……え、何で半裸なんです?」


 そう、そうなのだ。のそのそと現れた王子様。その体を覆う衣服は些少。

 細い体躯、その上半身を惜しげも無く晒しており、その肌には汗が纏わりついているように見えた。

 

「しかし、無粋ではあるぞ。無粋だ。もう少し時間を選んで来ぬか。いや、これはこれで貴重な体験であったが……」


 ブツブツと、どこか恨めしそうに王子様は呻く。

 もっさりとした黒い髪が肌に張り付き、そこから覗く紅い目がこちらを睥睨する。

 それは、流石のマリーベルも思わず逃げ出したくなるような『恐怖的光景』であった。

 

「殿下、殿下! その御恰好で出られてはなりません! 殿下!」


 扉の向こう。王子の後方から、焦ったような声が響く。


「別に良いだろう、減る物でもあるまい」

「ですから、そういうものではございませぬと、いつもいつも――あぁっ!?」


 扉の向こうから手が伸び、王子の腕を鷲掴む。

 しかし、余程に焦っていたのだろうか、悲鳴と共にその手が跳ね、体勢を崩したらしい『彼女』が、ランドールの体にのしかかる。

「……レディ・イーラアイム?」


 マリーベルは呆然と呟いた。

 第二王子に抱き留められたその女性は、紛れもなく『あの』お堅い傍仕え。ミュウ・イーラアイムその人であった。

 

「……なんで、貴女までその格好なんです?」


 乱れに乱れ切ったドレス。襟元は見事にはだけ、汗ばんだ髪が肌に張りついている。

 そして、その首元に見える赤い痕は――

 

「ひ、ひぇっ! ち、違います! これは――」


 彼女は慌ててその場から離れようとするが、第二王子の手がミュウの腰を掴んで離さない。


「何だ、何を焦っているのだ?」

「焦ります、焦ります! お離しくださいませ、殿下! お離しを! はやく!」

「何故、そう他人行儀な言葉を使う? 何故、いつもみたいにランドールと呼ばんのだ」


 唇を尖らせるランドール殿下。対するミュウは、可哀想なくらいに混乱の極致にあった。

 

「人が来ると分かっていて、どうしてお盛りになられるのです!? 殿下、ランドール様! もう、もうもうもう!」


 涙目でポカポカと王子の胸板を叩く伯爵令嬢。その可愛らしい仕草からは、鉄の女傑の雰囲気は微塵も感じ取れなかった。まさにまさに、それは目を疑う光景である。これが本当に『あの』ミュウ・イーラアイムなのであろうか。

 

「――えっと、これって……まさか、そういう?」


 マリーベルが困惑気味にフローラの方を見ると、彼女は両手で顔を覆ってプルプルと震えていた。

 

「まちがい、なく……まちがい、な、く……! イーラアイム嬢と、ランドール殿下は、じゅ、じゅんすいに、あ、あいし、あって……うぅ……」

「え」


 あまりの事態に脳が付いて行かない。

 思わずポカンと口を開けたマリーベルに、王子は不思議そうな視線を向ける。

 

「お前達も、何を驚くことがあるのだ。想い人同士の逢瀬だ。愛の営みだ。素晴らしきものとは思わないのか」 

 

 想い人同士の逢瀬。愛の営み。

 

 その言葉が脳に染み渡ると同時に、マリーベルは眩暈を起こした。

 意識を手放しかけ、ふらつきそうになる体を必死に抑える。

 

 密偵云々がまさかの見当違い。

 一番あり得ないと思っていた現実が、そこに広がっていた。

 

 あまりの衝撃に、膝から力が抜けそうになる。気が張ってここまで来た自分達が馬鹿みたいではないか。

 

 痛む頭を抑え、ゆっくりと首を振った――その時、だった。

 

(……あれ?)


 所狭しと飾られた模型。その一角に、何故か視線が吸い寄せられる。

 

 それは、二階建てのお屋敷だ。小ぶりの庭には、花壇や飾り木などが品良く配置されている。

 一見して、何てことは無い模型。精巧に出来てはいるが、それだけだ。

 しかし、マリーベルはそれを目にした瞬間、背筋を震わせた。

 雷に打たれたかのような衝撃。手が足が、ふるふると震えて、止まらない。

 

 その屋敷の輪郭と情景、フロントガーデンの配置とセンス。

 見覚えがある、なんてものじゃない。

 

「な、んで……?」

「マリー?」


 様子がおかしい事に気付いたか。

 怪訝そうにこちらを見るフローラに、しかしどう答えて良いものか分からない。

 だって、だって。これは、まさか――

 

「どうした、小娘。さして物珍しい模型でもあるまい」

「ランドール殿、下……?」

「ここに来るまでは、毎日のように見ていたであろう? なにせ――」


 ミュウを片手に抱きながら、王子の視線がマリーベルを射抜く。嘲笑うでも、見下すでもない。ただ平坦な、何ら感情の見えぬ瞳。そこに在るのは、はっきりとした知性の輝き、それのみだ。

 

 マリーベルの全身が、得体の知れぬ畏怖に粟立ち始める。

 

 この方は、この王子様は……!


「――お前が夫と共に日々を暮らす、我が家なのだから」


 暗愚では、無い。

 

 暗がりの中に光る赤い瞳を見つめながら、マリーベルは唾を呑み込んだ。


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